ライフスタイル

コーヒーメーカーは都会的で洗練された暮らしの象徴だった

こだわりのライフスタイル

「ライフスタイルにはこだわっているんですよね」と、部下が言った。昼休み中の雑談である。40代前半のその男性は、充実した暮らしにこだわりがあるらしかった。

「コーヒーだって、本格的なやつでないとダメなんですよ」「本格的なやつと言うと?」と、僕は訊いてみた。「もちろん、コーヒーメーカーで、ポコポコ沸かしたやつです、インスタントコーヒーじゃなくて」

そのとき、僕は実に久しぶりにコーヒーメーカーのことを思い出した。そして、本格的なコーヒーを淹れる道具がコーヒーメーカーであるという事実に、少し驚いた。コーヒーメーカーは、僕の暮らしの中には存在しないツールだったからだ。

コーヒーメーカーのある暮らし

まだ少年だった頃、都会的で洗練された暮らしの中には、いつだってコーヒーメーカーがあったような気がする。

その頃、シティ派作家として大ブレイクをしていた片岡義男の小説には、コーヒーメーカーが登場した。都会で暮らす主人公が飲む朝のコーヒーは、最新式のコーヒーメーカーで作ったものだ。コーヒーメーカーの横には、アメリカ製の粉コーヒーが入っている、赤い金属缶が並んでいた。

わたせいそぞうが描く「ハートカクテル」の中でも、都会で暮らす若い男女は、いつだってコーヒーメーカーで淹れたばかりのコーヒーを飲んでいたのではないだろうか。コーヒーメーカーを使って淹れたコーヒーを飲む二人の暮らしは、それだけで幸せそうに見えた。コーヒーの沸くコポコポという音が、都会の朝を美しく見せた。

現代的な都市生活に憧れている伯母の家に行くと、決まってコーヒーメーカーでコーヒーを落としてくれた。近所のスーパーマーケットでは珈琲豆を販売していて、珈琲豆売り場の近くには、豆を粉に挽いてくれる大きな機械も設置されていた。伯母は定期的にこの店で大手ブランドの珈琲豆を購入しているらしかった。

大人になったら自分も、コーヒーメーカーでコーヒーを落として飲むのだと、少年時代の僕は考えていた。コーヒーメーカーはシティライフの象徴であり、豊かな暮らしを具現化する、分かりやすいアイテムだと思っていたのだ。僕の中で、コーヒーメーカーのある暮らしは、まさしく都会の成功者の暮らしであった。

あれから長い時間が経ち、僕は大人になったけれど、コーヒーメーカーが僕の暮らしの中に入り込んでくることはなかった。

自家焙煎珈琲とハンドドリップ

今、僕は珈琲豆を週に一度、近所の自家焙煎珈琲の店から買ってくることを習慣にしている。珈琲豆の店は、メインの他にもいろいろなお店のものを試すことも少なくない。そのときの気分に合ったコーヒーを見つけることも、コーヒーを飲む楽しみの一つだからだ。

珈琲豆は、必ず飲む直前に電動ミルで挽く。アンティーク風の手動ミルもあるが、毎日のことなので、最近はほとんど利用していない。電動のミルの方が、粉の具合も細かく調整できて便利だということもある。

挽いた粉は、ペーパードリップで抽出する。ドリッパーはコーノ式が中心で、時々ハリオ式のものも使っている。どちらも円錐形で穴がひとつという特徴を持ったドリッパーである。

コーヒーの抽出に特別なこだわりはないが、あえて気をつけているのは、珈琲粉にお湯を注ぐときは、針のように細くなるように注意しているということ。珈琲の粉の中央に針のように細いお湯を少しずつ注いでいくことで、間違いのない抽出をすることができる。それ以外の部分では、特に神経質になったりはしない。

もっとも、自分で美味しい珈琲を淹れられるようになるまでは、随分と時間がかかった。最初の頃は、それこそ修行みたいな感じで練習をして、珈琲豆をいくつも無駄にした。道具と珈琲豆との相性を見極めることにも、時間を要した。

だから、今の僕の暮らしの中でコーヒーと言えば、飲む直前に豆から挽いた珈琲をハンドドリップで淹れたやつのことである。それが本格的なものかどうかは分からないけれど、少なくとも我が家のコーヒーは、それ以上でもそれ以下でもない。今では妻も娘も美味しい珈琲をハンドドリップで淹れることができるようになった。

コーヒーメーカーへの憧れ

部下の男性が誇らしげに語った「コーヒーメーカーでポコポコ沸かしたコーヒー」の味を、きっと僕はよく知らないのだと思う。これまで、僕の暮らしの中に、コーヒーメーカーは一度も存在しなかったからだ。片岡義男の小説に登場するような都会的で洗練された暮らしは、僕に訪れることはなかった。

今、僕はコーヒーメーカーを買おうかどうしようか迷っている。コーヒーメーカーには都会的で洗練された暮らしに憧れていた時代の思いがつまっているような気がするからだ。そのコーヒーが本格的かものかどうかは別だとしても。

ABOUT ME
KONTA
1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。