1983年、高校一年生のとき、僕の中で謎のヘヴィメタル・ブームが発生していました。
それは、しかも、後に「ジャパメタ」と呼ばれることになる、日本人による日本語のヘヴィメタルです。
あの時、僕は、どうしてあれほどまでに「ジャパメタ」に惹かれたのだろうか?
今回は、ジャパメタ・ブームの中心に位置していたとも言えるロック・バンド、アースシェイカーのファーストアルバム『アースシェイカー』についてご紹介します。
アースシェイカーのこと
アースシェイカーは、日本のヘヴィメタル・バンドです。
京都出身で、アマチュアバンドとしてライブ活動で実力を磨き、1983年、日本に「ヘヴィメタル」という言葉を持ち込んだ男・伊藤政則のプロデュースによってメジャーデビューを果たします。
当時、日本国内のライブハウスでは、アースシェイカーのほか、44マグナム、アクション、X-RAY、マリノといった実力派のアマチュアバンドが注目を集めていました。
アースシェイカーは、そんな日本のヘヴィメタル・シーンの先陣を切る形で、メジャーシーンへと登場したのです。
アースシェイカーのバンドメンバー
アースシェイカーのリーダーは、ギターのシャラ(石原慎一郎)。
ボーカルはマーシー(西田昌史)。
ベースはカイ(甲斐貴之)。
ドラムはクトー(工藤義弘)。
アースシェイカーとの出会い
僕がアースシェイカーを聴き始めたのは、彼らがメジャーデビューした1983年のこと。
なぜか、クラスの一部の男子の間で謎のヘヴィメタル・ブームみたいのがあって、アースシェイカーのコピーバンドも登場。
僕は、中学校の頃から仲良しだった西郷徹也君(仮名)にLPレコードを借りて、アースシェイカーの音楽を聴くようになりました。
西郷君は高校生ヘヴィメタル・バンドのボーカリストで、アースシェイカーのマーシー(ボーカリスト)みたいに髪を長く伸ばして、高音部のシャウトをいつも練習していました。
ヘヴィメタ・バンドを始めた瞬間にきれいな彼女ができて、うらやましかったのを覚えています(笑)
まあ、つまり、僕の中のジャパメタ・ブームの始まりが、今回ご紹介する『アースシェイカー』というアルバムだったわけですね。
アースシェイカーの特徴
アースシェイカーの大きな特徴は、メロディアスなハードロックということ。
ハードなサウンドと叙情的なメロディが、うまい具合に溶け込んで混然一体となって、ひとつの世界を形成しているので、ヘヴィメタルというカテゴリだけはとらえきれない、といった評価もあったようです。
分かりやすいメロディと分かりやすい歌詞は、高校生バンドがコピーする上で、重要な要素だったのではないでしょうか。
ファーストアルバム『アースシェイカー』
一曲目はバンド名を冠した「アースシェイカー」。
マーシー作詞、シャラ作曲で、ライブでも定番の、アースシェイカーの顔とも言える曲です。
二曲目の「ウォール」は超ハードな楽曲で、ライブでも非常に盛り上がる曲でした。
マーシー作詞、カイ作曲。
ハードロック・バンドとしてのアースシェイカーを理解する上で、非常に重要な作品です。
四曲目「アイ・フィールド・オール・サッドネス」は、マーシー作詞作曲のバラード・ナンバー。
この曲を聴いた伊藤政則が「このバンドを育てたいと思った」というエピソードあり。
五曲目「ダーク・エンジェル」は、アイアン・メイデンのエイドリアン・スミス提供によるブリティッシュ・ロック。
初めて、このアルバムを聴いた時、僕の中で一番しっくりときた曲が「ダーク・エンジェル」でした。
こういう曲をもっとたくさん聴きたい!
そんな気持ちが、僕をジャパメタの沼へと誘いこんでいったのです、、、
六曲目「マリオネット」は、作詞マーシー、作曲シャラ。
七曲目「チルドレンズ・ドリーム」は、作詞作曲ともマーシー。
八曲目「タイム・イズ・ゴーイング」は、マーシー&シャラのコンビ作品。
最後の九曲目「夢の果てを」も、マーシー&シャラの黄金コンビ。
この「マリオネット」から「夢の果てを」まで並ぶ作品は、初期アースシェイカーの特徴を、特によく表している作品だと思います。
全部で40分のアルバムですが、あっという間の40分が過ぎていきますね、、、
まとめ
ということで、以上、今回は、ジャパメタ・ブームを牽引した日本のロック・バンド、アースシェイカーのファーストアルバム『アースシェイカー』について、ご紹介しました。
1980年代初頭の録音なのに全然古臭く感じないのは、ヘヴィメタルだからなんでしょうか?
とは言え、久しぶりにハードロックをアルバム一枚を聴くと、なかなか体力を消耗しました、、、
ハードロックって、やっぱり全身で聴く音楽なんですね、、、