週末、新宿のあちこちで反戦デモが行われている。
ロシアによるウクライナへの侵略戦争。
今の時代に侵略戦争があるってこと自体驚きだけど、反戦デモはやっぱり新宿なんだなあと、妙に納得。
なにしろ、「反戦デモといえば新宿」というくらい、昭和の時代から新宿は反戦デモのメッカだったのだから。
例えば、僕の手元にあるのが、朝日ソノラマ『新宿広場’69』というソノシート盤のレコード。
当時、新宿西口広場で盛んに開かれていたフォークゲリラ集会の模様をドキュメント録音したもので、反戦フォークが好きな人には貴重な資料になってくれる。
このとき、僕は2歳だから、もちろんリアルな体験をしているわけではない。
大学生になってプロテスト・ソングに興味を持ち始める中で、いろいろと買ったレコードの中のひとつである。
世の中がバブル景気で盛り上がっている時代に、反戦フォークのレコードを買い漁っていたんだから、あまりにもアナクロすぎる(笑)
1969年の新宿フォークゲリラは、社会現象としても有名だけれど、集会の主体は<ベトナムに平和を!市民連合(略称は「ベ平連」)>だった。
だから、朝日ソノラマの記事も、小田実などベ平連の主張で埋め尽くされている。
その頃は、ベトナム戦争に反対する若者たちが新宿西口広場に集まって、みんなで反戦フォークソングを歌うっていうのが、時代のトレンドだった。
歌われるのは、岡林信康の「友よ」のようなプロミュージシャンの作品のほかに、東京フォーク・ゲリラが作詞をした「機動隊ブルース」(高石ともや「受験生ブルース」の替え歌)、南大阪ベ平連のオリジナル「栄ちゃんのバラード」(当時の佐藤栄作首相を皮肉った歌)などがあった。
60年代末期の若者の連帯感ってすごいなあって思うけれど、フォークゲリラにはフォークゲリラなりにヒエラルキーのようなものがあって、新参者の中にはおもしろくない思いをした人たちも多かったらしい。
彼らのことが嫌いだった高田渡は、わざわざ「東京フォークゲリラの諸君を語る」なんていう歌をレコードにしているくらいだ。
歌で世の中を変えられると信じていた若者たち
主催者のことはともかくとして、広場に集まって、みんなで反戦歌を歌うという行為には夢があって、僕は好きだ。
「歌で世の中を変えられる」と、彼らが本気で信じていたかどうかはともかくとして、歌うことで発せられるメッセージというのは、決して小さなものではない。
個人的には「他者と協働する」ことが苦手な典型的コミュ障なので、集会に参加したいとか、誰かと連帯したいとか思わないけど、「小さな力が集まって大きな力になる」という物語は、なんだか浪漫だなあと思う。
ピート・シーガーが「一人の手」という曲で「でも、みんなの力でなら、きっとできる」と歌ったように。
あまりに群衆が集まって通行にも支障を来すようになってしまったので、新宿西口広場は、<広場>から<通り>へと変更されてしまった。
<広場>ではなく<通り>になったので、もう集会をすることもできなくなってしまったというわけだ。
こんなところにも、新宿のフォークゲリラの伝説を語る上で、忘れてはいけないエピソードがある。
あれから50余年。
時代が変わっても、新宿は反戦デモの街だった。
違うのは、シュプレヒコールの対象が、<アメリカ>から<ロシア>へと変わったことだ。
「反戦」と「反米」という言葉がセットだった時代のことを思うと、いかにも隔世の感がありますね。