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下戸を嘆くよりも、下戸を前向きにとらえて、スキルアップを図ろう

下戸の一族

僕はお酒がまったく飲めない下戸である。
僕の父母はもちろん、父方母方双方の祖父母もまったくの下戸。
血縁者の中に酒飲みは一人もいないという、筋金入りの下戸一族である。

葬式に結婚式など、一族が集まる場面にも酒の出番は少ない。
下戸と結婚をした連れ添いたちだけが、肩身狭そうにおとなしく酒を飲んでいる。
奇妙と言えば奇妙な光景だが、それが僕の日常風景ではあった。

酒の訓練

社会に出ると、もちろん、そんなわけにはいかない。
いつか飲めるようになるだろうと、学生時代から酒の訓練を欠かさなかった。
努力で解決できないものはないと信じていたのだ。

社会人になって、いくつもの酒席を経験した。
いつまで経っても、酒を飲めるようにはならなかった。
酒を完全にあきらめたのは、35歳を過ぎた頃のことである。

飲みニケーション

ビジネスマンにとって、酒席で酒を飲めないことは、ひとつの恐怖だ。
なぜなら、ビジネスマンにとっては、酒席もビジネスの一部であるからである。
酒が飲めないことは、仕事ができないという評価にも繋がりかねない。

実際、日本には「飲みニケーション」という言葉がある。
飲み会でコミュニケーションを図るというものだ。
日本のビジネスマンにとって、飲みニケーションを否定することは現実的ではない。

だから、酒を完全にあきらめることは、僕にとっては大きなひとつの決断であった。

僕が酒をあきらめた理由

僕が酒をあきらめた大きな理由は、訓練するだけの時間と労力が無駄だと判断したからだ。
下戸は遺伝子上の問題であって、努力で解決できるものではない。
酒を訓練する時間があれば、その分を別のスキルアップの時間に充てた方が、ずっと有益である。

僕が酒を訓練していたのは、それがビジネスツールとして必要だと思っていたからだ。
酒を飲めれば、ビジネスにおいても新しい収穫があるかもしれない。
ビジネスマンとしてのスキルアップのために、酒は魅力的なツールだった。

その意味で、お酒を飲める人は有利だなと、今でも思う。
ただ、酒をスキルアップの手段のひとつと割り切ることで、新しい道は開ける。
酒を飲めない人は、お酒以外にスキルアップの手段を探せば良いということになるからだ。

酒を飲まない飲みニケーション

そもそも、酒が飲めないと務まらない職業なんて、それほど多くないと思う。
仮にそういうビジネスがあったら、それは自分には務まらない仕事とあきらめるしかない。
外国語のできない人が、通訳の仕事をできないのと同じことである。

酒を飲めなくとも、飲みニケーションには参加できる。
酒以外の飲み物を飲んでいれば良いだけの話だからだ。
飲みニケーションの目的は、はっきり言って酒を味わうことではない。

そうでなければ、安っぽいチェーンの居酒屋で満足したりはしないだろう。
そう割り切ると、案外酒を飲まなくとも酒席には参加できるものである。
純粋に酒を味わうための酒席であれば、潔く辞退すればいい。

現在、週の半分程度は酒席で仕事の話をする生活である。
相変わらず酒は一滴も飲まないが、それで仕事に支障に来したことはないと考えている。
あるいは、酒を飲まないがために見えない損をしている部分はあるかもしれないが。

下戸は前向きにスキルアップ

酒を飲まない人が、損をしていることは確かだと思う。
だから、酒を飲まない人は、その不足分を別の何かで補うしかない。
巧みな話術とか、幅広い教養とか、より相手に実益をもたらすようなビジネス上の情報とか。

そもそも、酒を飲まない人は、酒を飲む人に比べて、経済的な損失は少ないはずである。
酒を飲む時間や酔い潰れている時間、二日酔いで頭の回らない時間もない。
下戸は、経済的にも時間的にも、酒飲みよりはずっと有利なのだ。

その有利な時間は、自分のための有益な投資に使わなければ意味がない。
英会話教室に通うとか、放送大学を受講するとか、教養書を読み漁るとか。
酒と自己啓発をトレードオフすると考えれば、下戸も決して悪いことばかりではない。

下戸を嘆くよりも、下戸を前向きにとらえて、スキルアップを図ろう。
ビジネスマンにとって一番大切なこと。
それは、ビジネススキルをいかに高めるかということなのだから。

下戸のための「宴会における上手な酒の断り方」僕は完全な下戸なので、酒席でも酒を飲むことがない。酒の訓練を止めてからというもの、むしろ、酒席で酒を飲まないスキルが身に付いてしまった。...
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1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。