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【書評】「ハリスツイードとアランセーター~ものづくりの伝説が生きる島」

毎年冬が近付くと読み返す本があります。

長谷川喜美さんの『ハリスツイードとアランセーター』です。

冬のオシャレといったら、やっぱりツイードとセーターですからね。

今回は、このファッション紀行をご紹介したいと思います。

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『ハリスツイードとアランセーター』とは

『ハリスツイードとアランセーター~ものづくりの伝説が生きる島』は2013年に万来舎から出版されたファッション紀行です。

著者はジャーナリストの長谷川喜美さんで、写真は阿部雄介さんが担当。

表紙写真が美しい『ハリスツイードとアランセーター』表紙写真が美しい『ハリスツイードとアランセーター』

スコットランドとアイルランドの小さな離島で育まれてきたハリスツイードとアランセーターというクラフトをテーマに、丹念な現地取材に基づいて書かれた詳細な紀行文です。

A4版フルカラーの豪華仕様で読みごたえ満点、読後の満足感は素晴らしいものがあります。

『ハリスツイードとアランセーター』の帯『ハリスツイードとアランセーター』の帯

ハリスツイードとアランセーターの歴史と現状がしっかりと書き込まれているので、ちょっとした研究書と言っても差支えがないくらい完成度が高いです。

アパレル関係者の方にはぜひ読んでいただきたい本です。

ハリスツイードの歴史

ツイードの語源には諸説ありますが、一般的に知られているのが「読み間違い説」

1830年頃、ロンドンの生地商人がスコットランド国境の会社から受け取った手紙の中に書かれていた生地の名称「ツイール(tweel)」「ツイード(tweed)」だと思い込んでしまったというものです。

イングランドとスコットランドの国境には「ツイード河」という河川があり、この生地がツイード河付近で織られたものであったことから勘違いしてしまったものらしいです。

ロンドンの生地商人は、この生地を「ツイード」という名前で売り出したところ大変な評判となって一般に定着したと言われています。

ケルト文化についても詳しく紹介されているケルト文化についても詳しく紹介されている

18世紀の終わり頃にはスコットランドやアイルランドを中心とする当時のイギリス連合王国全体で、ツイード生地は盛んに織られるようになります。

アウターヘブリディーズ諸島の「ハリスツイード」、アイルランド北西部の「ドニゴールツイード」、スコットランド北西部の「シェットランドツイード」など、産地の名称に基づく様々なツイードが存在しますが、世界で唯一商標登録されているツイードが「ハリスツイード」です。

当初は島内の一般家庭で家族のために織られていたハリスツイードですが、1849年、ハリス島統治者であったダンモア伯爵の未亡人キャサリン・ハーバートが、小さな島の産業発展を目的として、刺繍スクールを開校するとともに、ハリスツイードの産業化奨励に努めました。

その結果、ハリスツイードはロンドンからヨーロッパ全土へと知名度を広げていき、1903年~1906年にかけて第1期ハリスツイード黄金時代が訪れます。

爆発的な需要増大を背景に、島々には紡績工場(ミル)が続々と建設されますが、ハリスツイードを騙る偽物が横行したため、1909年「ハリスツイード協会」が設立されました。

そしてハリスツイードの品質を保証するものとして、ハリスツイードのマークが商標登録されたのです。

ちなみに、現在も使用されているハリスツイードのマークは、ケルト十字をモチーフとしたオーブ&マルチーズ・クロスで、ダンモア伯爵家の家紋に由来しているそうです。

当初はハンドスパン(家庭で手紡ぎされた糸)のみが認められていましたが、需要増加に対応するため、1934年以降は島内のミルで織られたミルスパンの織り糸も使われています。

その後、ハリスツイードはトラッドブームを背景として1967年に第2期最盛期を、1985年に第3期最盛期を迎えますが、現在その需要は大きく落ち込んでいるそうです。

最大の原因は、2006年に島内で最大のミルを買収したイングランドの実業家がハリスツイードの生地販売を中止、わずか5種類の生地によるジャケットの生産販売に事業を効率化したことでハリスツイードの市場価値を大きく落としたことだと言われています。

結局、このミルは2009年に操業停止、売れ残りのツイードジャケットはツイードそのものの価値と価格を下落させ、ハリスツイードのマーケットそのものを破壊してしまったということです。

現在は、2007年に操業開始した新しいミルが、ハリスツイードの復活を目指して活動しているそうなので頑張ってほしいですね。

アランセーターの歴史

1000年以上の歴史を有すると言われるアランセーター。

18世紀から19世紀にかけて、イングランドやスコットランドの漁村では、漁師の日常着として手編みのセーターが盛んに編まれていました。

これが現在の「フィッシャーマンズセーター」の原型になっていると言われています。

1935年、ダブリンのアイルランド手工芸品店「カントリーショップ」は、イニシモア島在住のエリザベス・ライバースから買いつけたアランセーターを販売しており、これが世界で最初に販売されたアランセーターだと推察されています。

カラー写真やインタビュー記事も豊富に掲載されているカラー写真やインタビュー記事も豊富に掲載されている

1946年には、優秀な編み手を集めるため、アラン諸島三島においてアランセーター競技会が開催され、イニシモア島のマーガレット・ディレインが優勝しました。

1956年、この伝統的なセーターはフランスのファッション誌「ハーパース・バーザー」に掲載されました。

さらに同じころ、クリスチャン・ディオールがカシミアのアランセーターを商品化しています。

クリスチャン・ディオールは、ダブリンにあるクラフトショップ「クレオ」で最初のアランセーターを発見したんだそうです。

この「クレオ」には、1946年のコンテストの優勝者マーガレット・ディレインの娘からの手紙が保管されていました。

その手紙には、優勝者のマーガレット・ディレインは10代の頃、アメリカのボストンで暮らしていて、当時ボストンでフィッシャーマンズセーターを発見したこと、イニシモア島に帰郷した後に自分でもセーターを編み始め、それを島の女性たちに教えたことなどが記されていました。

1908年当時のアラン諸島ではセーターを編む文化が育まれてはいなかったそうです。

つまり、アランセーターはボストン帰りの女性によって編み始められたものということになります。

1000年以上の伝統を持つというアランセーターの伝説は、1940年代にアランセーターを熱心に販売した商売人たちによって流布されたもののようです。

1961年にはアイルランド出身のフォークグループ「クランシー・ブラザーズ」が、アメリカの人気テレビ番組「エド・サリバン・ショー」にアランセーターを着て登場。

さらに同じく1961年にはアイルランド系移民の家系にあるジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任し、アイビーリックのブームの波に乗ってアランセーターも大ブレイクします。

1967年「メンズ・クラブ」によってアランセーターが日本にも紹介され、1970年代初頭頃からは「ヴァンジャケット」が漁師のためのセーター「フィッシャーマンズセーター」としてアランセーターを発売、大流行しました。

当時、アラン諸島で暮らす女性たちにとってセーター編みは家計を支える重要な仕事だったそうです。

アランセーターの特徴は、アラン諸島の暮らしを自然をモチーフにした編み込み模様で、ケーブル(縄)、ブラックベリー、ツリー・オブ・ライフ、ハニカム(蜂の巣)、ジグザグ、トレリス(石垣)など多様ですが、編み手によって呼び方は異なっているそうです。

ちなみに、アランセーターの編み込み模様が各家庭の家紋のような役割をしているとか、海で遭難した死体が上がったときに編み込み模様でどこの誰だか分かるとかいった類の伝説は、現地ではほとんど知られていないみたいです(笑)

まとめ

それでは最後に『ハリスツイードとアランセーター』のお勧めポイントをまとめてみました。

・現地取材に基づく詳細な探求
・多くのカラー図版
旅行記としても楽しめる

こういうファッション紀行が他にもあったら、きっと楽しいだろうなあと思いました。

シリーズ化されたら全部買っちゃうなあ、きっと(笑)

参考になれば幸いです!

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1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。