プロローグ
“coors”の発音はむずかしい。ウエストコーストで失敗したことがある。以来オーダーする時、数回、口の中で発声練習をすることにしている。
vol.1 バラホテル
その町には海からの風が流れていた。ボクの父はこの町でホテルを経営していた。ホテルはボクのガールフレンドの父に乗っ取られた。15年と2か月前の昔。
Vol.2 ジェシィの店
ボクのアパートメントの近くにジェシィの店がある。ジェシィは日系2世のジェントルな男だ。店のおすすめはだんぜんピッツァパイ。
「さアお待たせ、hotなうちにやんな」
vol.3 一枚の愛(a sheet of love)
ホテルの売店で一枚のポストカァドを買った。夕やけのすてきなポストカァドだ。ボクは今2年前、君と来たホテルのプールサイドにいる。
ボクは別れてしまった女に1時間15分かけて1枚のポストカァドを書いた。
vol.4 グリーンの軌跡
別荘の芝刈り。こいつが今のボクのバイトだ。仕事を始める前にボクは色々な模様を描いた。少し前までグリーンの模様はカノジョの名前だった。正確に云うと35日前までだ。
vol.5 ネコ
カノジョが出ていった翌日からネコがしゃべり出した。ボク引越ししようと思うんだよ。カノジョももう帰って来ないと思うんだ。君は帰って来ると思うかい?
「さア、分からないナ」とネコは云った。
vol.6 コスモス・アベニュー
キミ、自転車を忘れていっただろ。あの自転車はキミの為に買ったものだからキミのものさ。だから持って行けばよかったんだ。どう、今度の住まいは?
翌日ボクは風と光のシャワーの中を走っていた。
vol.7 オールドハワイ・コナ
やア、久しぶり。近くに来たんで寄ってみたんだ。2年経つけど、この辺は少しも変わらないネ。しかし、部屋の中は一変していた。壁の色だろ、カーテン、スタンド、ボク専用の椅子。カノジョはショートヘアになっていた。
vol.8 彼女の名前
時々会う彼女は5FのD社に勤めているようだ。カノジョのことはそれだけしか知らない。ボクはカノジョの名前すら知らないんだ。だからボクはカノジョに名前をつけることにした。
美砂子、そのペリーエリスのロファーとっても似合うよ。
モノローグ
パーティですてきな女性がいた。コインを投げた。裏が出たので友人に譲った。寝る前もう一度コインを投げた。やっぱし裏だった。
vol.9 7頭のトナカイ
45°の角度の秋の日ざしが部屋の奥まで届いていた。MJQのバイブの似合う、今年もトナカイの季節がやって来た。
「お客さん、どのようなセーターですか?」
製作延日数63日、使用毛糸極太オフホワイト310g、茶系ミックス70g、黒150g。メーカーは「みさ子」なんだ。
vol.10 1/3の確率
毎度ご来店ありがとうございます。お客さまのお呼び出しを申し上げます。杉並の中井美沙子さま、お電話が入っております。
「ボクは今同じデパートの1Fにいるんだ」とボクは云った。
あれからずっとうまくいかないことばかりさ。スパゲティのゆで方まで下手になったよ。
vol.11 ノックをしなかったサンタクロース
ジェシィはホットエッグノッグを作ってくれた。ジェシィは寡黙な男だ。おかげで今宵楽しいクリスマスを何故カノジョと一緒でないか説明しなくてすんだ。実はカノジョと一週間前喧嘩してしまった。クリスマスまでの延長戦になるとはネ。
vol.12 兄のジッポ
「下りの列車は定刻どおりですか?」ボクは同じ質問を2度して、駅員は同じ返事を2度した。
麗子さんは3年前冬山で死んだ兄の嫁さんだった。身よりのないカノジョは、以来うちで正月を迎えている。
ボクはボーマージャケットのハンドウォーマーポケットからジッポを取り出した。兄貴のジッポだった。
vol.13 北へ251キロ
1月26日、ボクはローズギャラリーでバラを買った。両腕いっぱいのバラをサイドカーに入れシートをかぶせて、そして北へ向った。5年前の今日1月26日カノジョを交通事故で失った。目的地まで251キロだった。
vol.14 彼女のこと-タバコ
タバコを喫う女性は嫌いだとボクはカノジョに云った。あれから半年経つがカノジョはタバコをやめなかった。タバコとライターはカノジョ手製のかわいい刺繍のついた布の袋に入っていた。
街でタバコを喫う女性を見ていると、ボクはカノジョに会いたくなる。
vol.15 さよならホワイトレディ
2/13、ボクたちはホテルのテラスに居た。「楽しかったワ、この2年」とカノジョは云った。「そしてとても短かった」
カノジョと出会った日も雪だった。でも、そのことを言葉に出してしまうと、ボクの心の中の7人の小人達が一斉に未練話を持ち出すだろう。
白い町がどんどん白くなっていく。目をとじると、そこにも白い雪が降っていた。カノジョからのプレゼントはすこーし甘くすこーし苦いホワイトチョコレットだった。
モノローグ
コォトの下はオフホワイトのオックスフォードのシャツ1枚だった。気温3℃。今日はクリスマスイブ。そしてセーターをプレゼントされる日だった。
vol.16 彼のパパは東へ行けと行った
カノジョの左手の薬指にはマリッジリングが2つ光っていた。ひとつは1か月前に事故で死んだカレのものだった。カレとカノジョとカレのパパと3人で暮らしたこの家に、今カノジョは別れを告げようとしている。
「お前さんに頼みがあるのだが」とカレのパパは云った。「そのリングを私にくれないか? 2つともだ」
vol.17 スプリング・ジェントル・レイン
ジェシィの店にはフライファンがある。もうじきフライファンがまわり出す。その下のいつもの席で、ボクはカリンカリンのフライドポテト&冷えたビールを飲っていた。ジェシィはポテトの皮をむいていた。店の時計が7時をまわる頃の、いつもの店の風景だった。
vol.18 父のエンブレム
ボクのブレザーには父から譲り受けたエンブレムがある。7年前のことだ。その日はヨットには風が強すぎた。若いボクたちは無謀だった。
「こんな強風に出かけるなんて無茶だよ、全く君たちは」ボクは父のブレザーを披露の激しい後輩にかけてやった。そしてブレザーは父から譲り受けた。
その父は、もういない。
vol.19 Running
その朝ボクはいつものコースをはずれ飛行機雲に沿って走った。飛行機雲はメインストリートに沿って伸びていた。そのつきあたりがSt.だった。
「きっと来てくれると思ってたワ」とカノジョは云った。慶子、ボクはふり返らないんだ。悲しくなるだけだからネ。
そしてカノジョは額をボクの肩にくっつけて少しだけ泣いた。
vol.20 ふたりの会社 1970-1975
1970年『ふたりの会社』がY市に法人登記された。A型の友人Oと、O型のボクのふたりきりの会社だった。板張りのギシギシ床を除けば、海の見える快適なオフィスだった。
ある日BGMが変わった。窓の外のシーンが変わった。そしてふたりの間の何かが。
「解散しよう」とボクは云った。
vol.21 虹色の風
風見鶏は北々西を向いたまま動かなかった。まどろみの午后風はなかった。いや、かすかにある。かすかな風はタンポポの落下傘を南西に流し、午すい中のカノジョの前髪を額に垂らした。
「昼寝のじゃまをしちゃいけないよ」とボクは風に云った。
vol.22 ふたりきりのビアガーデン
「ねえ、ビアガーデンに行かない?」隣のカップルの女性が男性に話しかけている。ここ数日、日本は熱帯雨林気候になっていた。ボクはカノジョに電話をかけた。「ボクたちふたりきりのビアガーデンを開こう」
カノジョはアスパラガスをいためていた。ボクはカリンカリンのフライドポテトを作った。BGMはカノジョの担当だった「ねえ、何がいい?」「カリフォルニア・ドリーミング」。ボクは大きめのジョッキ。カノジョはふつうめのビアグラス。
256キロ離れたカノジョのカンパイでふたりきりのビアガーデンはオープンした。
エピローグ
幼い頃、父のみやげにカラフルなアメコミが一冊あった。ホットミルクがホットエッグノグに替った今も、ボクにとっては大切な宝物だ。
おわりに
わたせせいぞうさんの「ハートカクテル第1集」は1984年(昭和59年)に講談社から発行された。「モーニング・オールカラー・コミックブック」というシリーズで、前編オールカラーという贅沢な大判コミックだった。当時の帯には「ALL COLOR SHORT COMICS」とあるように、まるでショートコラムのように短くて、そして印象的な物語だった。「ハートカクテル」の中には今も憧れの大人たちの青春がある。