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「わたせせいぞう自選集 ハートカクテル サマーストリーズ」で80年代の夏にタイムトリップ

コロナまん延中です(まん延してからまん延防止って何なんだ?)。

今年の夏も、旅行にも行けず、海にも行けず、なかなか残念な夏になってしまいました、、、

それでも、今年の夏は良いことがひとつ、ありましたよ。

それは、我々世代には懐かしい、わたせせいぞうさんの自選集「ハートカクテル サマーストリーズ」が刊行されたことです。

旅行に行けない夏休み、「ハートカクテル」で1980年代にタイムトリップしちゃいましょう!

概要

『ハートカクテル サマーストリーズ』は、2021年7月に発売されたばかりの、わたせせいぞうさん自身の選定による自選作品集です。

わたせせいぞうさんのあとがきには「『ハートカクテル』の自選集を四季ごとにまとめて、ハードカバーで作りませんかとお話がありました」「ボク自身もう一度『ハートカクテル』を見返すことは楽しい作業になりそうで、なによりもあの頃のボクに会えることが嬉しくて、快諾させて頂きました」とあります。

ここで『ハートカクテル』について、ちょっと補足を。

『ハートカクテル』は、1983年から1989年にかけて雑誌『モーニング』に連載された作品で、「わたせさん、4Pのカラーの作品描きませんか?」という、講談社の栗原編集長からの一本の電話から始まったものだそうです。

その頃、わたせせいぞうさんは「渡瀬政造」という本名で、同和火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)の営業マンをしていましたから、『ハートカクテル』連載当初は、サラリーマンと漫画家との「2足のわらじ」を履くことになります(当時の名刺は「A支社 支社長 渡瀬政造」だったとか)。

わたせせいぞうさんの描く『ハートカクテル』は、オシャレで都会的な物語として、当時の若者に圧倒的な支持を受け、1986年からは連続テレビアニメが登場(全78話)、1987年にはテレビドラマにもなりました。

今回の企画は、そんな『ハートカクテル』を「四季の風に乗せて全4巻を刊行」しようというもので、その最初の作品が夏篇の「サマーストーリーズ」ということになります(キャッチコピーは「著者自らが選ぶ珠玉の夏物語—」)。

主に都会で暮らす若者を描いた『ハートカクテル』には季節感が溢れていて、特に『ハートカクテル』と言えば、すぐに夏を思い出すくらいに、爽やかな夏のイメージが強い作品でした。

今回の「サマーストーリーズ」には、懐かしの『ハートカクテル』の夏物語が、全部で25篇収録されていて、きらめく真夏の太陽の輝きとさわやかに駆け抜ける風、甘く切ないあのころの思い出が鮮やかによみがえる、決定版自選集となっています。

本シリーズのカバーイラストは全巻描き下ろしで、最新のデジタル技術によって生原稿を補正・着彩するなど、連載当時の彩色を忠実に復元した作品になっていることが特徴。

さらに、描き下ろしエッセイ&フォトなど、オリジナルコンテンツも充実しているので、既に『ハートカクテル』を持っている方にも、絶対におすすめの内容となっています。

画用紙を横にして、1本横線を引く。
そして、目を閉じると、
それは、水平線になる。
ミントブルーの海の上に元気な積乱雲が立ち上って、
ボクの大好きな夏が始まる。

目次・あらすじ

『ハートカクテル サマーストリーズ』には、全部で25篇の作品が収録されています。

グリーンの軌跡

別荘の芝刈り—こいつが今のボクのバイトだ。

夏休みにカノジョと旅行へ行く計画は、カノジョから届いた別れの手紙によってダメになってしまった。

芝生の上に寝転びながら、しばらくは、ボクのハートも小休止—。

第4話。「モーニング」1983年19号掲載。なんだか、村上春樹『午後の最後の芝生』を思い出しますね。

プール・イン・ザ・レイン

スーツ姿のままで、プールで待ち続けている男。

雨が降り始めるけれど、カノジョは来ない。

「最低よ。頭でも冷やしたら」と言った、カノジョの言葉。

そのとおりだ、全くネ。

ボクはスーツのままでプールに飛び込む。

そして、遠くから、彼の姿を優しく見つめる女性がいた。

第25話。「モーニング」1984年14号掲載。

’84−夏

友人の別荘を訪れた男。

一年前には、少年のような少女がいた。

濡れた服の代わりに貸してあげたヘインズのTシャツ、一緒に見た花火。

しかし、カノジョは突然に姿を消した。一枚の手紙だけを残して。

84年の夏—ウェイティングサークルには、84年の秋がいた。

第26話。「モーニング」1984年15号掲載。

一足お先にislander

南の島の海で泳ぐ男。

突然に喉が渇いて、ボクの頭の中はビールでいっぱい。

ウラ庭のオレアンダー林を通り抜けて、ボクは部屋へ向かう。

冷蔵庫のビールまで、あと1メートル。

しかし、その前にオレアンダーにたっぷりと水をかけてやる。

歌い出しそうなくらいに、うれしそうなオレアンダーたち—。

南の島、一本のビール。

ホワイトオレアンダーとレッドオレアンダーのコーラスの中で飲(や)った。

第47話。「モーニング」1985年13号掲載。

いつか母を日曜島へ

南の島で暮らす少年。

無人島は全部で38あって、少年は気に入った島に、月曜島、火曜島、、、と名前を付けた。

母のない少年にとって、いちばん大切な秘密の島が「日曜島」だった。

いつか、母を日曜島へ—

少年は、水曜島の近くで採れた天然真珠を持って、母に会う日を夢見ている。

しかし、父が死んで、少年の夢も終わった。

少年は、母の居場所を知らなかったのだ。

あれから15年—

かつての少年は青年になって日曜島を訪れる。

「なんていう島なの?」と、彼女が尋ねた。

彼女の左手で輝くパールの指輪についての話は、日曜島の砂浜で語ろう。

第48話。「モーニング」1985年14号掲載。

クールランチタイム

ラルフローレンのリネンのスーツ、同じくコットンリネンのシャツと、バンクスのネクタイが、木陰で汐風に揺れている。

中身?

中身(ボク)は今パドリングで、次のウェーブにトライ中だ。

水で体を洗って、コーラとハンバーガーをかっ食らうと、ボクの昼休みも終了。

スーツを着込んだボクは、銀行の営業マンに戻っている。

この4月、ボクは人事異動で地方に転勤となった。

街では、仲間たちが、ボクのことを心配しているだろう—。

そして、今日もボクは、波乗りの昼休みを満喫している。

第49話。「モーニング」1985年15号掲載。

499ピースのジグソーパズル

夕べ、喧嘩をしてしまった。

テーブルの上には、カノジョが制作中のジグソーパズルがあった。

500ピースのジグソーには、1ピースの空白があった。

テーブルの下には、破れた二人の写真—

ボクは、カノジョに内緒でリクエストしたパズルのピースが届く夢を見た。

カノジョは、破れた写真を貼り合わせて、カレの大好物のフレンチトーストを焼く夢を見ていた。

やがて、朝が来る—

ジグゾーをかすめて、手作りの写真ジグソーを部屋のコーナーへ追い込んだ、その風は—

grayとうっすらピンクの混ざった夜明けの海が運んだものだった。

第50話。「モーニング」1985年16号掲載。

5月のある晴れた日ボクの消したもの

消さなくてはならないと思った。

痛切に思ったのは、別れていくカノジョの背を見た時だ。

水割りを飲みながら、ボクは消すことのメリットとデメリットを考えていた。

あれから2か月。

モーニングシャワーの中、ボクはすっかり本来の生活に戻った。

そして、学生時代の友人が言った言葉。

「キミが別れたゆみ子、Nとつき合ってるよ」

ボクは消すために車を飛ばした。

浜辺の壁に書かれた、ボクとカノジョの名前—

青空の下のあの時の恋は、とてもでかかった。

第72話。「モーニング」1986年14号掲載。

カノジョのおみやげは汐風の口笛

メトロポリスの背番号は87—不快指数。

弱小エアコンのシェルターの中、ボクは仕事の山の間を駆け巡るコマネズミ—

本来ならカノジョと友人とで、今頃は海の上だったけど、仕事が延びて、ボクは書類の山の中。

ボクはカノジョと電話で話をしている。

「目を閉じて、私のいる海をイメージして」

白い砂浜に、サイズ22.5の彼女の足跡。

渚を走って来た白い波が、カノジョの足跡を連れて海へ戻っていく。

再び白い砂浜、小さな桜貝、ヤシの木と白いボール、クロスする黄色のフリスビー。

「ね、耳をすまして。波の音、するでしょう?」

しないよ、とボクは言う。

「汐風の音、おみやげに持って帰るワ」と、カノジョの声。

そして—

カノジョのおみやげの白い巻き貝は、本当に汐風の吹く音がした。

第82話。「モーニング」1986年24号掲載。

バイク・サクランボ&イパネマの娘

夏休み、ボクはオートバイに乗って、北の街に旅をした。

道の両サイドはサクランボ並木。

カノジョはサクランボが好きで、ボクはすっぱいものが苦手だった。

シーズンが来ると、いつもサクランボを食べていたカノジョ。

おかしなものだ。

カノジョと別れた後で、サクランボがこよなく好きになるなんて—

やがて、サクランボ並木の信号が青になり、ボクはサクランボの種を空中に残して飛び出していった。

第84話。「モーニング」1986年26号掲載。

秋のきらいな夏男

午前8:00、誰もいないプール。

8月14日、午前8:00の日差しが水面に反射して、ボクにこう言っていた。

「秋だよ。もう秋なんだよ。お前さんの好きな夏は、The End—。風に聞くといいサ」

いや、違う、夏の風だ。

高校野球が終わっても、休みが終わっても、虫が鳴き始めても、ずっとずっと夏—

カノジョがやってきて「ねえ、私少し変わった?」と言う。

7月初めに出会った頃には、男の子みたいに短い髪をしていた。

「髪をのばすことにしたの」と、カノジョは言う。

「私の髪が肩までのびたら、秋本番の頃よ」

ボクはプールに飛び込んでカノジョを見た。

秋が少し好きになりそうになっていた—

第85話。「モーニング」1986年27号掲載。

Y市のリズム

Y市の町中には程よい巾の川が流れていた。

33回転よりゆったりと。

この町には、この町のリズムがあった。

ボクのリズムは早くて、どちらかというとせっかちだ。

ボクが2歩くと、みさ子は3歩歩いた。

話し方、呼吸のリズム、みさ子のリズムは、この町のリズムだった。

宿に着いて、僕は旅の思い出帖を手にする。

ボクは、呼吸をこの町のリズムにシンクロさせて、「ボクはこの町が好きだ」と相変わらずせっかちに書いた—

みさ子は、高校2年まで、この町にいたらしい。

第123話。「モーニング」1987年26号掲載。「Y市」のモデルは福岡県柳川市だそうです

ハロー! ’87サマー

夜半過ぎのことだった。

とびうお大使がやってきた(実は南の海に棲むアカトビウオ)。

1時間15分前に上陸したと言う。

夜が明けて、ボクはカノジョと海へ向かった。

「つまりね、今夜半過ぎに87年の夏が上陸したんだ」

ボクはトンボ返りをした—

これはボクからの’87夏に、ほんの名刺がわりなんだ。

第124話。「モーニング」1987年27号掲載。

人魚がため息をついたテーブル

父は言った、「ビールは楽しく飲め」と。

マーメイド・サイは、そんな父がよく通ったビアホールだった。

初めて父に連れられてきたのは、大学1年の頃だ。

窓側のテーブルには、名前やイニシャルがいっぱい刻まれている。

「このテーブルに好きな女の子の名を刻むと、一緒になれるそうだ」と、父は言った。

どこかに母さんの名もあるはずだと笑って。

その父も母も、今はもういない。

ある日、ボクはカノジョを連れて店に来た。

「ねえ、窓側のテーブルに座らない?」と、彼女は言った。

「このテーブルにも、何かいわれがあるのかしら」

さァね、とボクは言った。

そして、彫りの新しいカノジョの名前を、ハートに近い左手で、そっと隠した。

第131話。「モーニング」1987年33号掲載。

白い夏のディスタンス

「白いオールズに乗った女性を見かけませんでしたか?」

2人で楽しみにしていた、夏のバカンスだった。

上司のアクシデントで、ボクの出発が遅れた。

「一年前から楽しみにしていたのよ! ひとりで行けっていうの!」「分かったワ、ひとりで行くわ!」

日頃の不満が、団結・圧縮・爆発。

そして、2時間かけて決めたハイレグの似合うカノジョは、パールの指輪を置いて去った—

「派手な模様のハイレグの水着の女性を知らないか?」

砂浜に座ったボクとカノジョと一本のヤシの影。

別れて一週間は、ちょうど、こんな距離にあるのかもしれない。

そしてそれは、太陽が真上に来れば境界線も消えて、仲直りのできる距離でもあった。

第133話。「モーニング」1987年35号掲載。

うねりを待つ半球体

波を待っているボクに、波を待っているカレが言った。

「やっと見つけたんだ、結婚の相手を」

いつか、キミが言っていた、プラトンの半球体だ、とカレは言う。

仲間たちは、誰もカレの話を信用しなかった。

「何人目だよ!」「何か月もつかな」「何か月だって? そんなに持つのか?」

やれやれ、とボクは思った。

今までに何度もカレが言ったセリフ、「やっと見つけたんだ、ボクの半球体を」。

だけど、波の上で言ったのは、それが初めてだった。

ボクは二人にシャンパンを贈った。

ふたつ合わせると一個の球体になる、半円形のグラスを添えてネ。

第135話。「モーニング」1987年37号掲載。

ハートブレイク 8cm × 5cm

長さ8cm、深さ5cm—ボクのハートの傷だ。

許せなかった理恵のウソ。

ボクはカノジョの悪いところを思い出して、カノジョをあきらめようと思った。

カウンターの端の席では、一人の男が地球儀を回している。

カノジョもいいところもあげないと不公平だネ。

ボクは5杯目のドライマティーニを飲みながら、オリーブのつまようじを5本並べて、5つめのカノジョのいいところを思い出していた。

六つ目、七つ目、そして、、、

「今夜はもうリミットだよ」と、マスターが言った。

最後に、もう一杯だけ—

そして、ボクは、8つめのカノジョのいいところを思い出していた。

第168話。「モーニング」1988年22号掲載。

5つめのビアグラス

裏の麦畑で、父と3人の友人がビールを飲んでいた。

ボクは高校二年生で「ビールって、そんなにおいしいのだろうか」なんて考えている。

ラジオは、4人が卒業した大学の野球中継。

麦風の中で、4人はビールを飲み、ベースボールを聞き、女性の話をした。

「NAMIさんに会ったよ」と、誰かが言った。

父のまつ毛がスローに閉じられていった。

「キミはNAMIさんにクールだったからナ」

麦風が通りすぎて、父は言った。

「あの時、許してやればよかった」

父は黙ってボクの前にビールを置いた。

雲、風、青麦、父、父の友人、ショウリョウバッタ、ベースボール、そして、NAMIさん—

ボクは青空と一緒に、初めてのビールを飲んだ。

第175話。「モーニング」1988年30号掲載。

オーバーヒート・アイランド

「娘は二度も門限を破った」と、カノジョの父が言った。

あの日以来、ボクは門限を守っていたはずなのに—

「ごめんなさい」と、カノジョは言った。

「今は、その理由を聞かないでほしいの」

カノジョがひとりで解決しようとしている大都会の夜は、熱帯夜がその重い翼をおおいかぶせていた。

風がまったく死んでいるのだ。

門限に遅れまいと走るカノジョ。

なんとか間に合ったカノジョを乗せて、最終バスが走り出す。

その夜遅く、初めての風が吹く中で、ボクはタンデムステップを戻した。

第178話。「モーニング」1988年33号掲載。

His Dog’s Voice

今年でこの海は5回目になる。

昨年まではボクの隣にベンチがもうひとつあって、カノジョとボクの間には、5歳になるダルメシアンがいた。

みさ子が来てからは、カノジョにべったりだった犬の名前はフィリップ。

やがて、昨年の秋にカノジョが出て行ったとき、フィリップの姿も消えた。

ボクのお気に入りのカセットテープはカノジョが編集したもので、曲が終わったところで、カノジョの声とフィリップの鳴き声が入っていた。

浜辺でカセットテープを聴いていると、白い波がカノジョとフィリップの思い出を洗い流していく。

やがて、音楽が終わって、カノジョの声とフィリップの鳴き声が流れる。

それにしても、ずいぶん犬の声がうるさいナ—

浜辺のベンチに向かって、一匹のダルメシアンが駆けていった。

第181話。「モーニング」1988年36号掲載。

’88 Summer の背中

恋をしている時は確かに楽しい。

しかし、その何十倍もの苦しみを、ボクは知った。

とりあえず、’88 summer、ボクの恋は小休止時代だった。

そして、一人で訪れた浜辺で、美しい女性とボクは出会う。

「町でもう一度キミに会って、コーヒーを飲みたいナ」

だけど、カノジョの友人のフィアンセが、男友だちを連れてやって来る。

ボクは一人でビールの空き缶を作り続け、ビーチベッドでひと休み。

浜辺に孤独な夕闇がせまる頃に目覚めたとき、カノジョの姿は、もうなかった。

夏は少し背を見せ始めていた—

’88summer、ボクは一本のジーンズと、3枚の白いTシャツを買い、故郷に一枚のハガキを出した。

日焼けしたボクの背中には、サンプロテクターで書かれたカノジョのテレフォンナンバー。

「コーヒー、もう一杯いかがですか?」

P.S. ’88 summer、そして、ピンホール大の恋が、ボクの背に芽生え始めていた。

第182話。「モーニング」1988年37号掲載。

ひまわりの日傘

あの女(ひと)は、今年もやって来た。

あの女(ひと)の目印は、少し大きめのひまわりの日傘だった。

ボクは浜辺で監視員をしていたから、去年のカノジョを覚えていたのだ。

ボクはひまわりを好きなカノジョを、ひまわり畑へ案内した。

「来年は、来られないかかもしれない」と、カノジョは言った。

カノジョは結婚をして、そして、もうこの浜辺にやって来ることはないだろう。

17歳のsummer、失ったもの10、得たもの7、覚えたもの あの女(ひと)の顔—

そして忘れたもの あの女(ひと)の顔。

第183話。「モーニング」1988年38号掲載。

2匹のヤゴ

プールの掃除をしている男と、それを眺めている男。

「ボクはバイトで掃除をする人で、キミは泳ぐ人」と、ボクは言った。

「資本主義の縮図だネ」

「ボクが買った家じゃない」と、カレは言った。

5月の暑い日。

プールの中で、ボクは2匹のヤゴを見つけて、カレはちょっとゾッとしている。

美術館の前で会った女性のことを思い出しながら、ボクは口笛を吹いた。

水の中で光った水色のクリスタルのイヤリング。

それは、カレのキーホルダーと同じイヤリングで、イヤリングを見ながら、彼は泣いた。

ボクは、2匹のヤゴをグラスに移して、カレと一緒に泳いでいた。

第220話。「モーニング」1989年24号掲載。

2秒で通過した駅

寝ぼけていたボクは、海岸沿いの小さな駅で降りてしまった。

「下りは明日です」と、若い駅長が言う。

ボクは、一旦の上り列車に乗った後で、R駅から下り急行に乗ることに決めた。

「キミの夢は?」と聞くと、カレは「結婚です」と言った。

来年の3月で廃止されるこの駅を最後に出る列車で結婚式を挙げたいと、カレは言った。

駅は終わるけれど、ボクたちの未来は、これから始まる—

だけど、問題は、カレがまだカノジョにプロポーズをしていないということだった。

「相手の目をしっかり見て、プロポーズするんだよ」と、ボクは言った。

「ボクも今日カノジョの両親に結婚を申し込むのサ」「今日、みずがめ座はラッキーデー、お互いにがんばろう」

そして、カレに別れを告げて、ボクは上り列車に乗り込んだ。

夕闇の中を走る下りの急行が、小さな駅を通りすぎるとき、若い駅長の隣で耳を傾ける女の子がいた。

みずがめ座、プロポーズ日和、結婚の申し込み—

もちろん全部、ウソだ。

第225話。「モーニング」1989年29号掲載。

夏の夜の夢

「代金は指輪2個で」と、ボクは言った。

浮気がバレて破談になった3年前の婚約。

あれから女を断って、再度彼女にプロポーズするために帰って来たこの町だったけれど、カノジョはボクの友だちと婚約をしていた。

すべては夏の夜の夢だ。

「彼女の誕生パーティに出ないのかい?」と、カレが言った。

「女と駅で待ち合わせしているんでね」と、ボクは時計を見た。

「相変わらずプレイボーイだナ」と、カレは笑った。

やがて、走り出した夜汽車の上で、大きな花火が上がった。

「旦那、指輪2個分の花火は、超特大のやつにしましたヨ」

どこかで花火師の声が聞こえたような気がした。

第229話。「モーニング」1989年33号掲載。

ふたりきりのビアガーデン(2021年版)

旅の空の下で、ボクはカノジョと電話をしていた。

首都は31°の熱帯夜だという。

午後10時、携帯電話が鳴って、カノジョの声がした。

「ね、私たちの遠恋時代覚えてる?」と、カノジョが言った。

ボクは冷蔵庫からプレミアムモルツを取り出して、蓋を開けた。

「あの時、256キロ離れたあなたとふたりきりのビアガーデン」

「キミのカウントダウンが合図だった」と、ボクは言った。

そして、カノジョのカウントダウンが聞こえて、ボクはカノジョと乾杯をする。

ふたりきりのビアガーデンが、1448キロ離れてリニューアルオープン。

本作品のみオリジナル。どうしても原稿が見つからなくて、2021年版を描くことになったそうです。

読書感想&解説

久しぶりに読んだ『ハートカクテル』。

といっても、僕はこのカラーコミックを大型版で全巻揃えて持っているし、時々読み返したりもするので、何十年ぶりというわけではありません。

それでも、こうして新しい書籍で、しかも美しいイラストで楽しむことができるというのは、本当に幸せだと思います。

仕事に、遊びに、恋愛に、誰もが一生懸命に生きていた時代

漫画と言っても『ハートカクテル』は詩画集のようなものなので、複雑なストーリーがあるわけではありません。

雰囲気を味わい、想像力をたくましくして「その後、彼らはどうなったんだろう?」などと考えながら読む楽しみがあります。

時代は80年代で、男性は仕事で忙しかったし、夏休みの予定がキャンセルになることもたびたび。

その都度、恋人と喧嘩をしたけど、仕事に、遊びに、恋愛に、だれもが一生懸命に生きていた時代だったような気がします。

噂によると、人気の海外旅行は一年前の夏に予約しなければいけないとか。

遊びにも全力で取り組まなければいけない時代でした。

『ハートカクテル』は80年代の「みつはしちかこ」!?

今回、読み返してみて感じたことは、すごくセンチメンタルな物語だったんだなあということ。

もちろん、当時も、そういうことを理解して読んでいたつもりですが、今、この年齢になって読み返してみると、感傷に溢れた言葉がずらりで、これは、まるで、みつはしちかこみたいだなと思いました。

1970年代のみつはしちかこを、1980年代の都会的で洗練されたものにしたのが『ハートカクテル』だったように感じています。

そして、そんなセンチメンタルな物語に共感し、憧れていたのが、当時の若者たちだったのではないでしょうか。

ちなみに、1967年生まれの管理人は『ハートカクテル』連載開始の1983年に16歳(高校1年生)、連載終了の1989年に22歳の大学4年生で、『ハートカクテル』はまさしく憧れの大人の世界そのものでした。

もっとも、実際に社会人になって自分に、『ハートカクテル』のようにソフィストテイトされた世界がやって来ることはありませんでしたが(笑)

キャッチコピー感覚あふれるショートストーリーの世界

都会的で詩的なフレーズは『ハートカクテル』の世界観を、言葉で表してくれます。

「84年の夏—ウェイティングサークルには、84年の秋がいた」「モーニングシャワーの中、ボクはすっかり本来の生活に戻った」「8月14日、午前8:00の日差しが水面に反射して、ボクにこう言っていた」「メトロポリスの背番号は87—不快指数」「とりあえず、’88 summer、ボクの恋は小休止時代だった」など、まるで広告のキャッチコピーみたいなフレーズが並びます。

1980年代の広告業界全盛時代、僕たちの暮らしの中にはキャッチコピーが溢れていました。

『ハーカクテル』は、そんな時代感覚を敏感に取り入れて、印象的なフレーズを短い物語の中に効果的に組み込んでいたわけです。

そう言えば、あの頃、とても短い物語が流行していました。

森瑤子や喜多嶋隆などの作家の書いたショートストーリーは、15秒間のテレビCMのように洗練されていて、それを4ページのカラーコミックで表現していたのが、『ハートカクテル』だったような気がします。

みんな忙しかったから、忙しい仕事の隙間時間に楽しめるような物語が好まれたのかもしれませんね。

『ハートカクテル』には、父と息子の物語が似合う

今回の「サマーストーリーズ」の中で、いちばん好きな作品は、麦畑の中で父と友人たちがビールを飲んでいる「5つめのビアグラス」か、あるいは、父の代から通っているビアホールへ彼女を連れていく「人魚がため息をついたテーブル」でしょうか。

『ハートカクテル』は男女の恋愛を描いた話が多いですが、なぜか、父と息子のストーリーが似合う物語でもあります。

父の存在が、男の子たちの成長ぶりを明らかにしてくれる。

そういう面があるからかもしれませんね。

父と少年(青年)の物語は、きっと、この後の「秋物語」以降にも登場してくれると思いますよ。

期待しています!

まとめ

ということで、以上、今回は「わたせせいぞう自選集 ハートカクテル サマーストリーズ」について、全力で語ってみました。

『ハートカクテル』っていうのは、浮ついた男女の恋愛エピソードみたいなイメージがありますが、僕としては、男たちの成長物語として読みたいと思います。

失恋したり、仕事で失敗したり、友だちと喧嘩したり、そんな経験を乗り越えながら、男の子は成長していくものなんですよね。

今、ひとりの女の子の父親となって、僕はそんなことを考えています。

書名:わたせせいぞう自選集 ハートカクテル サマーストリーズ
著者:わたせせいぞう
発行年月日:2021/7/12
出版社:小学館クリエイティブ

ABOUT ME
KONTA
1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。