音楽

ライブ盤CD「Alive! Hiroshima 1987」反戦と反核に燃えた広島平和コンサート

1987年、大学2年生の夏に、被爆地・広島で歴史的なロック・イベントが開催された。

イベントの名前は、広島ピースコンサート「HIROSHIMA 1987-1997」。

この、10年間の長期計画でぶち上げられた大規模チャリティ・イベントは、ミュージシャンは手弁当での参加し、コンサートの売り上げは、原爆被災者のための特別養護老人ホーム建設に充てられるということだった。

尾崎豊、ザ・ブルーハーツ、ザ・ストリート・スライダーズ、シオン、レッド・ウォーリアーズ、エコーズ、、、

当時、当時人気のあった数々のミュージシャンやロックバンドが参加するということもあって、僕たちRock Kidsの胸は否が応でもワクワクさせられた。

もっとも、札幌の大学生が広島のコンサートを観に行くなんて、もちろん簡単なことではない(なにしろ、今のようにLCCも格安航空券もない時代だった)。

僕たち遠方の若者は、後日にテレビ放映されたライブ映像を観て、広島ピースコンサートの夏を追体験として楽しんだのである。

多くの人気ミュージシャンが参加した1987年の広島ピースコンサート多くの人気ミュージシャンが参加した1987年の広島ピースコンサート

1987年の広島ピースコンサートという伝説

ステージの真ん中に立っていたのは、南こうせつと山本コウタローだった。

そこにサンプラザ中野(爆風スランプ)が加わって、どうやらこの3人が進行役を務めているらしい。

あまりに地味な配役だが、逆に「何でもありのロック・イベント」という感じが盛り上がってくる。

考えてみると、現在のようにロック・フェスなんていうものが、まだ登場する前の時代だった。

レコード会社を越えてアーチストが集まり、まして2日間に渡ってコンサートを挙行するというのは、音楽の好きな人たちにとって、夢か幻想のような出来事だったのだ。

エコーズが「ジェントル・ランド」を歌っていた。

辻仁成の「こんにちは、エコーズです!」という叫び声が、今も耳に残っている。

SIONが「コンクリート・リバー」を歌っていた。

まだパンクのような髪の毛をした若き日のSIONは、広島の観客を置き去りにして、恍惚と「♪いつか、流れに乗れるさ~」と歌っていた。

ステージを降りたところで、サンプラザ中野がマイクを向けると、SIONは、まるで好青年のように微笑を浮かべて、東京から広島まで移動してきて歌ったことの意義を語った。

1987年の夏の微笑ましい思い出。

宇崎竜童が「ベース・キャンプ・ブルース」を弾き語りで歌い、ザ・ブルーハーツが「未来は僕らの手の中」を歌った。

ザ・ストリート・スライダーズは「BOYS JUMP THE MIDNIGHT」を熱演し、ボーカルのハリーは、ステージ裏でマイクを向けてきた山本コウタローに困惑しながら、テレビカメラに苦笑を映した。

広島平和コンサートでの尾崎豊広島平和コンサートでの尾崎豊

そして、我らが尾崎豊が登場して「スクランブリング・ロックンロール」を熱唱する。

体力を使い果たし、汗だらけになりながらステージ上を這いつくばる尾崎の姿。

「♪自由になりたくないかい? 自由っていったいなんだい?」

まるで、ボロボロの野獣がのたうち回っているかのように、尾崎の姿は痛々しかった。

尾崎豊が、覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されるのは、この年の12月のことである。

渡辺美里、バービーボーイズ、レッド・ウォーリアーズ、岡村靖幸、久保田利伸、白井貴子、ハウンドドッグ。

この日のために再結成された世良公則のツイストが「宿無し」を歌ったとき、広島の平和コンサートが特別なものなんだということを、強く感じた(当然、ベースの鮫島秀樹は、ツイストとハウンドドッグの両方で出演)。

飛び入りで参加したという佐野元春。

縦縞のスーツ姿で「SHAME-君を汚したのは誰」を歌う元春には、まるでカリスマみたいなオーラが漂っていた。

テレビ番組では、普段は見られないアーチストたちの会場入りの映像も流された。

控え室に集まって、チャリティーコンサートのテーマ曲を作るアーチストたちの映像も。

安全地帯の玉置浩二が作曲した、この「Wow Wow Wow」を、玉置を中心にして、尾崎豊や大友康平らが練習する光景は、1987年のひとつの伝説だろう。

被爆地・広島から発信された反戦と反核のメッセージ。

「平和がいいに決まってる!」のキャッチフレーズ。

酔いしれたミュージシャンと酔いしれた観客とが、真夏の夢を同時に見ている。

それが、1987年の広島ピースコンサートだったのかもしれない。

熱狂的に開幕した広島ピースコンサートは、やがてバブル景気の破綻の中で、少しずつ規模を縮小しながらも、細々と、その活動を続けていった。

「HIROSHIMA 1987-1997」。

10年後まで続く、平和という名の夢へと向かって。

ライブ盤CD「Alive! Hiroshima 1987」

さて、写真は、1987年の広島ピースコンサートの模様を収録したライブ・アルバム『 Alive! Hiroshima 1987 5-6 Aug. 』。

尾崎豊が熱唱する「僕が僕であるために」が泣ける。

エコーズの「JACK」もエコーズらしいライブ。

参加アーチストがみんなで歌った<PEACE BIRD ALL STARS>の「Wow Wow Wow」には、<USAフォー・アフリカ>の「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985年)みたいな豪華さが感じられる。

1987年。

時代はまさしくバブルだった。

ABOUT ME
kels
バブル世代のビジネスマン。読書と音楽鑑賞が趣味のインドア派です。お酒が飲めないコーヒー党。洋服はアーペーセーとマーガレット・ハウエルを愛用しています。