僕の夏歌はブレッド&バター
人にはそれぞれ「夏歌」がある。夏になると聴きたくなる歌。サザンオールスターズだったり、山下達郎だったり、チューブだったり。
僕の夏は、ブレッド&バターとともにある。ブレッド&バター、1969年にデビューした兄弟デュオ。すごいヒット曲があるわけでもないのに、50年も続いているすごいミュージシャン。
ブレバタ世代ではないけれど
はっきり言って、僕はブレバタ世代ではない(と思う)。実際、若い頃にブレバタを聴いたことはほとんどなかった。申し訳ないけれど、流行っていたことがあるのかどうかさえ、僕には不明。
子どもの頃は、きっとあまり好きな音楽ではなかったような気がする。透明感のあるボーカルとか、美しいメロディラインとか、上質のギター演奏とか。若い頃の僕は、そういう音楽があまり好きではなかったから。
ブレバタを聴くようになったのは、はっきりと大人になってからのことだ。きっかけは覚えていない。何かのオムニバス盤に収録されている作品を聴いたんだと思う。
「ホテル・パシフィック」との出会い
初めて好きになった歌は「ホテル・パシフィック」という曲だった。センチメンタルなメロディとノスタルジックな歌詞。それが松任谷由実の楽曲であることは、ずっと後になってから知った。
君がさしかける傘の中で 雨の輪が揺れるプールを見ている
六月といえば夏を待てず みんなして はしゃいだね
ブレッド&バター「ホテル・パシフィック」(1981年)
この曲をきっかけとして、ブレッド&バターのアルバムを次々に聴いた。ブレバタが夏の音楽だということを知ったのも、そのときのことだ。ブレバタのアルバムの中には、確かに夏が溢れていた。
湘南サウンドとしてのブレッド&バター
それまで、湘南サウンドといえば、サザンオールスターズくらいにしか思っていなかった。ブレバタを聴くようになって、僕の中の湘南サウンドは大きく変わった。ブレッド&バターは、僕の中の湘南サウンドの基準となった。
ブレッド&バターの湘南サウンドは、子どもたちのための音楽とは違っていた。あくまでもクールで、都会的で、洗練された湘南サウンドだった。1980年代的に言えば、ソフィストケイトされたサーフミュージックだったのだ。
以来、夏が近づくたびに、僕はブレッド&バターを聴くようになった。夏の間中、ブレッド&バターを聴きながら過ごした。そして、夏が終わる頃、僕の中のブレッド&バターの季節も終わりを告げた。
大人の青春というやつ
ブレッド&バターの夏は、学生時代の夏のようにあっけらかんとしていない。やがて季節が変わるように、時代が変わっていく。ブレバタの夏は、いつでもそんな変わり目に立っているかのようだった。
考えてみると、僕がブレバタを聴き始めたのは、30歳を過ぎてからのことだった。もしかして僕は、消えつつある青春の記憶を、ブレッド&バターの音楽の中に探していたのだろうか。ブレッド&バターの作品には、大人の青春を歌ったものが多いような気がしていた。
大人の恋愛、大人の傷み、大人の生き様、大人の夏。ブレッド&バターは、僕にとって紛れもなく大人の音楽だった。子どもの頃には理解できなかった多くのものが、今となっては理解できる。
子供じみた夏はもう来ない
裸足で国道横切ったら 入道雲見える浜辺に出られた
子供じみた夏 もう来ないか 君に ただ聞きたくて
淋しさという呪文が 仲間たちを引き離すよ
君がもしいてくれたならば 僕は変わりはしなかった
ブレッド&バター「ホテル・パシフィック」(1981年)
人はいつまでも学生時代のままではいられない。本当の意味でそのことに気付いたとき、人は大人になっているのではないだろうか。ブレッド&バターは、僕にそんなことを教えてくれた。
今、僕は考えている。ブレッド&バターの音楽を、単純に「夏の音楽」と言ってしまってよいものかどうか。大人の青春の傷みを知った今となっては、少し疑問が残るところだ。