かつて、大人たちに反抗する少年の歌で若者の人気を集めていたシンガーソングライター、浜田省吾。
2005年、そんな浜田省吾が、父親の気持ちを歌った曲が発表されました。
作品名「I am a father」。
今回は、かつて夢見る少年だった大人たちの曲をご紹介したいと思います。
浜田省吾って、どんなミュージシャン?
1980年代、浜田省吾は「日本のブルース・スプリングスティーン」と呼ばれていました。
白いTシャツにブルージーンズ。
疾走感あふれるエイトビートのロックンロールで、若者たちの気持ちを代弁するようなメッセージソングを歌い続けました。
本人ももちろん意識していたことでしょう。
自分は日本のブルース・スプリングスティーンなんだ、と。
浜田省吾の歌は、時にひどく内省的であり、時にひどく社会的なものでした。
<69年の夏は/路上に燃え上がる/幾つもの幻影(ゆめ)を見たよ>と、学生運動の挫折を歌った「明日なき世代」(1980)や、<愛の世代の前の一瞬の閃光(ひかり)に/すりかえられた脆い計画(ゆめ)など/崩れ落ちてく>と、反戦反核を歌った「愛の世代の前に」(1981)など、当時の浜田省吾は、とにかくラディカル。
日本のポップシーンで、明確に反戦を主張したミュージシャンは、もしかすると、浜田省吾が初めてだったのかもしれません。
もっとも、それだけに、浜田省吾の「早すぎる社会派メッセージソング」は、当時のミュージック・シーンでは、なかなか受け入れられませんでした(「偽善者」と呼ばれたこともあった)。
満足できない少年たちの代弁者だった浜田省吾
社会的な問題に正面から取り組むと同時に、浜田省吾は、日常生活に不満を持つ少年たちの歌を歌い続けていました。
1980年代の浜田省吾が歌った少年たちは、みんな自分の生活に満足できなくて、いつか、この街を出ていこうと考えています。
「街から出ていくこと」—それは、浜田省吾にとって、永遠の大きなテーマだったのではないでしょうか。
<今夜/誰もが夢見ている/いつの日にか/この街から出て行くことを>と歌った「マイ・ホーム・タウン」や、<これが最後のファイティング/さよならのかわりさ/夜が明ける前に/この町出てゆく>と歌った「DADDY’S TOWN」。
<ボストンバッグに/ラジオと着がえ押し込み/退学届けと手紙ポケットに入れて/今夜/お前は世界を相手に戦い始める>で始まる「反抗期」も、学校を辞めて街を出ていく歌です。
浜田省吾の作品では、とにかく少年たちが現状に満足できず、新しい世界を求めて街を出ていきました。
そして、1980年代、そんな浜田省吾に憧れた少年たちが、日本中にいたのです。
俵万智が詠った浜田省吾「路地裏の少年」
1987年のベストセラーとなった俵万智の第一歌集『サラダ記念日』には、浜田省吾に関する歌が収録されています。
それは<「路地裏の少年」という曲のため少し曲がりし君の十代>という作品です。
俵万智は、高校の先生だったので、この歌は教え子の生徒のことを詠んだものだと思われます。
「路地裏の少年」というのは、浜田省吾のデビューシングルで、<「旅に出ます」/書き置き/机の上/ハーモニカ/ポケットに少しの小銭>と、これもやはり、住み慣れた街を出て、新しい世界へと旅立つ少年の姿を歌った作品でした。
この曲の影響を受けた少年の十代が少し曲がってしまった。
そのことを俵万智は決して肯定的にではなく、大人の側の視点から詠っています。
80年代当時、浜田省吾というのは、落ちこぼれとも呼ばれかねない、そんな少年たちのアイコニカルなミュージシャンだったのです。
かつての少年たちは、今どこへ?
そんな浜田省吾も、少しずつ大人の側の人間となっていきます。
社会派の立場を取り続けながらも、「満足できない少年たちの代弁者」として歌い続けるには、浜田省吾は年を取りすぎていました。
同時に、かつて浜田省吾の歌に夢を見た少年たちも大人になり、社会を支える立場の人間となっていきます。
胸に夢を抱いて、小銭とハーモニカだけ持って街を出た少年たちは、今ごろどうしているだろう?
当時の多くの作品に対するアンサーソングとして発表された曲、それが今回ご紹介する曲「I am a father」です。
2005年の「I am a father」
「I am a father」は、2005年6月に発売されたシングル曲で、時任三郎が出演するミュージック・ビデオでも話題となりました。
歌の内容は、かつて夢見る少年だったこの俺が、今では父親になって子どもたちの将来を案じているといったものです。
長年の浜田省吾ファンとして、この作品は、かなり衝撃的なものでした。
浜田省吾が<大人の側の人間であること>を、ここまでストレートに受け入れるのか、という驚き。
そして、この曲は、かつて浜田省吾の作品に憧れた一人の元・少年として、ひどく胸に沁みいる曲でもありました。
『J.Boy』が発売された1986年に19歳だった少年が、2005年には38歳で、10歳の女の子の父親になっている。
浜田省吾の新曲を聴きながら、当時の管理人は、久しぶりに涙を流しました。
この曲は、かつて浜田省吾に憧れた元・少年たちに対する、久しぶりの応援歌なのだと思い込んで。
「I am a father」の魅力とは何か?
「I am a father」という曲の魅力は、元・少年だった大人たちへの応援ソング、ということだと思います。
小銭とハーモニカとラジオを持って街を出た少年たちは、みんな、それぞれの苦労を重ねながら、何とか大人になりました。
恋をして子供を授かり、どうにか家庭を守りながら、今も働き続けています。
それは、ある意味で当り前のことで、世の中の誰もが同じ立場にある。
そんな(元・少年の)大人たちに向かって、浜田省吾は「俺たち、頑張ってきたよな!」と温かい言葉を投げかけてくれた。
それが、「I am a father」という曲の、最大の魅力だったのです。
悩んだ夜や苦しみ抜いた日々を共有している仲間だからこそ、「俺たち、頑張ってきたよな!」という言葉を分かち合える。
もちろん、これは、十代の頃に浜田省吾の音楽を聴いて育った元・少年の、一途な思い入れにすぎません。
だけど、そんな思い入れを受け入れてくれるだけの度量が、この作品にはあると思います。
同じ時代を生きた仲間として、「俺たち、頑張ってきたよな!」という言葉を分かち合える仲間として。
だから、もしかすると、この曲は、実は、1990年代を生き抜いてきた大人たちに対する<労いの歌>だったのかもしれませんね。
2005年の「I am a father」。
あれから既に17年の時が経とうとしています、、、
まとめ
ということで、以上、今回は、浜田省吾のシングル曲「I am a father」について、ご紹介しました。
「昔、浜田省吾を聴いたことがある」というお父さんたちにお勧め。
コロナ禍が落ち着いたらカラオケで歌ってください。