それは「クウネル」がまだ「クウネル」らしかった時代のことだ。
2006年7月の「ごーろごろ。」という号に「猪熊弦一郎の宝物」という記事が掲載された。
洋画家・猪熊弦一郎が生前に蒐集した雑貨を紹介する内容のもので、この記事に、僕は大きな感銘を受けた。
なにしろ、猪熊弦一郎の集めるものときたら、あまりにもいろいろとありすぎた。
高価なアンティークから道ばたで拾ったものまで。
間違いないことは、すべてが画家の審美眼に適ったものであっただろうということだ。
蒐集する価値のあるものかどうか。
それを判断するのは市場でも評論家でもなく、洋画家自身だった。
猪熊弦一郎は、自分が美しいと感じたものだけを、自分のセンスに従って集めていたのだ。
ニューヨークのグリニッジヴィレッジで若いヒッピーが作っていたという、ヒッピーの蝋燭。
クリスマスに、チャールズ・イームズからプレゼントされた、錆びた小さな車。
パリのアンティークショップで購入した、鋳造のレターホルダー。
パリで暮らしていた頃に飲んでいた牛乳の空き瓶。
ニューヨークで暮らしていたアパートの壁の破片。
アリゾナの砂漠で拾ったサボテンの骨。
どれもこれもが個性的で、興味を惹かれるものばかりだ。
当時、僕(ブログの管理人)も、古いモノなんかを集めていたから、「クウネル」のこの特集には、非常に強い刺激を受けた。
新しいブログのタイトルを「紳士のおもちゃ箱」としたのは、もちろん、猪熊弦一郎の著作『画家のおもちゃ箱』(文化出版局)に影響されたものだ。
「紳士のおもちゃ箱」で僕は、相場や稀少性にとらわれることなく、自分の好きなものだけを、自分の好きなように紹介したいと思った。
自分の好きなものだけを、ひたすらに並べていく作業というのは楽しいものだ。
随分たくさんの記事を書いたけれど、他に運営していたいくつかのブログをまとめて再編するという形で、最後には閉鎖してしまった。
どうせ無料のブログサイトを利用していたのだから、あのまま残しておいても良かったかもしれない。
「クウネル」の特集を読んでから、僕は猪熊弦一郎の『画家のおもちゃ箱』という本を、手に入れたいと思った。
しかし、『画家のおもちゃ箱』は既に絶版で、古書店で入手することも難しいような状態だった。
「クウネル」の記事を読まなかったら、僕は、猪熊コレクションのことを知らずにいたかもしれない。
やがて、復刻された『画家のおもちゃ箱』を手に入れることができたのは、ちょうど3年前のことだ。
銀座の無印良品の「MUJI BOOKS」で、僕は偶然にその本を見つけた。
『猪熊弦一郎のおもちゃ箱』。
タイトルは少し変わっていたけれど、その表紙を見た瞬間、僕は懐かしい「クウネル」のことを思い出した。
10年以上前に読んで夢中になった、あの素晴らしい特集のことを。
今、僕は、『猪熊弦一郎のおもちゃ箱』で画家のコレクションを眺めることができる。
だけど、あの時の感動を思い出すのは、今でもやはり、雑誌「クウネル」を開いた時の方である。
「たくさんあって美しい猪熊弦一郎の宝物」。
できれば「クウネル」には、いつまでもこんな素晴らしい記事を紹介し続けてほしかった。
今となっては、言っても詮無いことだけどね。
悲しすぎる。