音楽

日本のフォークソングの名曲

日本のフォークソングの名曲をまとめてみた。

拝啓大統領殿/高石友也

1968年発表のシングル。フランスのボリス・ヴィアン「脱走兵(Le Desertteur)」を高石友也が日本語訳で歌った。当時のド・ゴール大統領に徴兵反対を訴える内容だが、フランス国内では放送禁止となった。♪僕は逃げる、武器は持ってない、憲兵たちよ撃つがいい~。

受験生ブルース/高石友也

1968年、高石友也。もともとは、中川五郎がボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」に自作の歌詞を乗せて歌っていたもので、この歌詞に高石友也が自作のメロディを付けて大ヒットさせた。自分の歌詞を高石友也がヒットさせたことを、中川五郎は不愉快に感じていたという。

時代は変わる/高石友也

1968年「受験生ブルース 高石友也フォーク・アルバム第2集~第2回・高石友也リサイタル実況より~」収録。ボブ・ディランの名曲を邦訳して発表。♪国会議員の先生、政治家らしく進んでください、外では戦いが吹き荒れている、まごつかないでくれ~。

チューインガムひとつ/高石友也

1967年「想い出の赤いヤッケ 高石友也フォーク・アルバム」収録。村井安子という小学3年女子児童の書いた詩に、高石友也がメロディを乗せて歌った。この詩は、小学校教師だった灰谷健次郎が、万引きを告白した女子児童への指導の中で書かせたもの(詳細は「せんせいけらいになれ」)。

学校で何を習ったの/高石友也

1967年「想い出の赤いヤッケ 高石友也フォーク・アルバム」収録。アメリカのフォークシンガー、トム・パクストンの作品を邦訳して発表したもの。♪戦争はそれほど悪くはないと、フランスやドイツと戦って、アメリカ軍は負けたことがない、そのうち僕らも戦えるんだ、学校で今日習ったよ、そういうふうに習ったよ~

俺らの空は鉄板だ/高石友也

1967年「想い出の赤いヤッケ 高石友也フォーク・アルバム」収録。うたごえ運動に取り組んでいたすずききよしの作品。地下で土木作業に従事する労働者の気持ちが歌われている。♪おいらの空には穴がある、おいらの空は鉄板だ、工事終わればよ、俺たちゃお払い箱だよ、明日もどこかでよ、また穴掘るもぐらもち~。

一人の手/高石友也

1968年「受験生ブルース 高石友也フォーク・アルバム第2集~第2回・高石友也リサイタル実況より~」収録。ピート・シーガーの名曲を邦訳して発表したもの。力強いメロディで連帯を強く呼びかけている。♪一人じゃ変えられない、世界は変えられない、でもみんなの力でならきっとできる、その日がくる~

橋を作ったのはこの俺だ/高石友也

1967年「想い出の赤いヤッケ 高石友也フォーク・アルバム」収録。アメリカのフォークシンガー、トム・パクストンの作品を邦訳して発表したもの。コンサートではシングアウトで盛り上がる曲だった。

戦争の親玉/岡林信康

1968年「私を断罪せよ」収録。ボブ・ディランの名曲を高石友也が翻訳したもの。高石友也とボブ・ディランの最初の出会いの曲で、当時、大阪労音のフォークソング愛好会がガリ版刷りで出した歌集の中にあったものを高石友也が修正したものと言われている。

チューリップのアップリケ/岡林信康

1969年発表。養護学校の生徒だった大谷あや子の書いた作文にインスピレーションを得て作られた作品で、貧しい靴職人の家庭で暮らす少女の言葉で綴られている。♪あんな一生懸命働いてはるのに、なんでうちの家いつも金がないんやろ、みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや~。

手紙/岡林信康

1970年発表。被差別部落出身の女性が結婚問題で激しく苦悩する姿が描かれている。

殺し屋のブルース/中川五郎

1969年。ジャックスをバックバンドに録音されたフォークロックサウンド。60年安保闘争デモに参加し、国会突入の際に警察隊と衝突して死亡した女子大生樺美智子と、1967年の第一次羽田事件で警官隊と衝突して死亡した山崎博昭の事件を背景に、それぞれ当時の内閣総理大臣だった岸信介・佐藤栄作兄弟を「殺し屋」として揶揄している。

腰まで泥まみれ/中川五郎

1969年。ピート・シーガーの作品で、1967年のシーガー来日時にこの曲を聴いた中川五郎が邦訳して発表したもの。ベトナム戦争の深みにはまっていくジョンソン大統領がメタファーで表現されている。国内では1968年、陸上自衛隊武山駐屯地内の少年工科学校で、渡河訓練中に13人の少年自衛官が水死する事件が起きている。

主婦(かあちゃん)のブルース/中川五郎

1969年。中川五郎の詩に高石友也が曲を付けている。アイルランド民謡「House-Wife’s Lament」に着想を得た。一般の主婦目線で問題提起を行うことで、女性の自立や社会進出を働きかけている。♪別に大きな不幸もなく平和のうちに年を取った、私は自分に問い返すの、本当にこれでよかったのか、主婦は女の生きがいかしら、本当に私は生きたのかしら~

鉱夫の祈り/高田渡

1969年「汽車が田舎を通るそのとき」収録。エネルギー政策の転換により斜陽期を迎えていた炭鉱夫の貧困家庭をテーマにしている。♪凍りつく土の下で 鉱夫の汗は流され 凍りつく鉱夫の下に石炭(いし)は眠り続ける、お願いだ聞いておくれ、町に住むお偉い方、この子らが唄い出すように鉱夫の祈りを聞いておくれ~。

この世に住む家とてなく/高田渡

1969年「汽車が田舎を通るそのとき」収録。ウディ・ガスリーの「I Ain’t Got No Home」を邦訳したもの。もともと高田渡の実家は岐阜の裕福な材木商で、父は戦後共産党の町議会議員も務めるが、一家は母が亡くなったのを期に上京、転居を繰り返しながら極貧生活の深みにはまっていき、最後は深川の父子寮で暮らしていたという。

自衛隊に入ろう/高田渡

1969年。まだ無名だった1968年、第3回関西フォークキャンプでこの曲を歌って注目を集め、プロデビューにつながった。マルビナ・レイノルズが書いた詩にピート・シーガーがメロディを乗せて歌っていた「Andorra」を、日本語の歌詞を乗せ替えて歌ったもの。

大ダイジェスト版三億円強奪事件の唄/高田渡

1970年。アメリカ民謡「Jesse James」に日本語の歌詞を乗せて歌ったもの。1968年に発生した「三億円事件」をトーキングブルーススタイルで軽妙に仕立て上げている。

東京フォークゲリラの諸君を語る/高田渡

1969年「自衛隊に入ろう」のB面曲。当時、プロミュージシャンとの対立を深めていたフォークゲリラを高田渡は痛烈に批判している。♪高石や岡林の唄はもう前世紀の遺物だとさ、そんな事を言った後に奴等は歌ってた、関西フォークの大昔のレパートリー、そんな所をテレビは撮っている、ゲリラの連中はこう言ったのさ、「マスコミは帰れ」って、カメラにポーズをとりながら~。

生活の柄/高田渡

1971年「ごあいさつ」収録。沖縄出身の詩人・山之口貘の詩に高田渡がメロディを付けて歌ったものだが、高田渡は歌いやすいように詩をアレンジしているので、原作に忠実ではない。♪歩き疲れては夜空と陸との隙間にもぐり込んで、草に埋もれては寝たのです、所かまわず寝たのです~。

乾杯/友部正人

1973年「にんじん」収録。前年発売のシングル「もう春だね」B面にはライブ盤が収録されていた。連合赤軍による浅間山荘事件に揺れる社会をトーキングブルーススタイルで客観的に描き出している。

長崎慕情/友部正人

1973年「にんじん」収録。コンサートで初めて訪れた長崎の街に対する気持ちが素直に表現されている。♪帰りたくないあの町には、帰りたくないどこへもさ、空じゃ入道雲が腕を振り上げ、道ばたじゃお婆さんがこっくり居眠り~。

炭鉱街ブルース/真崎義博

1975年「続関西フォークの歴史」収録。ボブ・ディランの「ノースカントリーブルース」に日本語の歌詞を乗せて歌っている。真崎義博は「ボロ・ディラン」の異名を持ち、後年翻訳家に転向している。中川五郎はこの曲を聴いて「受験生ブルース」という替え歌を作った。♪おいでみなさん聞いとくれ、はり紙だらけの炭坑町、年寄りだけしか残らない、こんな話を聞いとくれ~。

ホーボーの子守唄/古川豪

1973年「羅針盤で星占いはできない」収録。ウディ・ガスリーの名曲「Hobo’s Lullaby」に日本語の歌詞を乗せて歌っている。放浪の旅を愛したビートニク運動への憧憬が溢れている。♪町から町へと、さまよい疲れ、長距離トラックの響きが、おいらにゃ子守唄~。

地下鉄を語るブルース/小林隆二郎

1975年「続関西フォークの歴史」収録。リアル地下鉄職員だった小林隆二郎が、地下鉄職員の一日の暮らしをトーキングブルーススタイルで歌っている。

真壁仁「詩の中にめざめる日本」(岩波新書)から24作品を紹介民衆は詩人である/真壁仁 真壁仁の編集による「詞の中にめざめる日本」が岩波新書から出版されたのは1966年(昭和41年)のことである。...
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1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。