有島武郎「お末の死」読了。
その年(大正2年)、お末の家では4月から6月までに4人の葬式を出した。
最初に死んだのが長く患っていた父で、次が気力も体力もない19歳の次兄である。
お末は14歳の少女で、お末の家は小さな床屋で生計を立てていた。
そこは、札幌の豊平川に近い貧民窟と呼ばれている貧しい地域で、お末の家も楽な暮らしではなかったが、父の亡くなった後は、長兄が家族をまとめながら懸命に働いていた。
8月の暑い日、川の水で洗った胡瓜を食べた弟と、近所に嫁いでいた姉の赤ん坊が、ほとんど同時に亡くなった。
その貧困地域では赤痢という恐ろしいが病気が流行っていたときで、一緒に胡瓜を食べたお末も腹を壊したが、胡瓜のことは誰にも言えなかった。
幼い子どもを二人も続けて亡くした後、母は性格が歪んだようになって、殊更にお末に厳しく当たるようになった。
お末は、弟と赤ん坊を亡くした責任を感じていたため、以前よりも真面目に家の仕事を手伝うようになるが、弟の四十九日の日、友だちと出かけて、つい帰りが遅くなってしまう。
激怒した母は、お末を激しく罵った。
「死ねと言っても死ぬものか」と強く生きることを考るが、兄からも姉からも責任感の足りないことを叱責されて、お末は行き場を失ってしまう。
結局、お末は店の劇薬を使って服毒自殺を図るのだが、「お末の死」では、その朝、お末が姉の家で薬を飲んで苦しみ、病院に運ばれてから絶命するまでの様子が、実に克明に描写されている。
この作品のテーマが「庶民の貧困」にあることは間違いがないだろう。
「札幌遠友夜学校」という貧民を対象とする慈善学校の運営に携わっていた著者(有島武郎)にとって、庶民の貧困は必ず書かなければならない大きなテーマだった。
お末を強く愛しながらも厳しく当たらなければならない家族の歪んだ愛情は、極度の貧困から生じる社会的な虐待であり、貧困家庭を放置してお末を死に追いやった社会全体に対する激しい怒りが、この短い小説の中には渦巻いている。
庶民を愛し、弱い者の立場から物語を書くことのできた有島らしい名作だと思う。
ちなみに、遠友夜学校での教え子に「瀬川末」という少女があって、有島は日記の中で、この少女との交流について触れている。
やはり貧困家庭で育った瀬川末は遠友夜学校で学び、私生児を生んだ後で自殺するという悲劇的な人生を送った女性だが、瀬川末の存在が、有島に「お末の死」を書かせたとしても不思議はないし、瀬川末を含む札幌の貧民街全体の印象が、「お末の死」の大きな背景になっているとも言えるだろう。
「お末の死」は小品であり、現在入手困難となっているが、有島らしい美しい文章が随所で光る作品である(青空文庫に入っている)。
物語の最後で、雪の中、位牌を持って棺の後ろを歩いていく足の不自由な弟「哲」が、「ひょこりひょっこりと高くなり低くなりして歩いて行くのがよく見えた」と描かれているのは悲しくも美しい場面だ。
次の日の午後鶴床は五人目の葬式を出した。降りたての真白な雪の中に小さい棺と、それにふさわしい一群の送り手と汚ないしみを作った。鶴吉と姉とは店の入口に立って小さな行列を見送った。棺の後ろには位牌を持った跛足の哲が、力三とお末のはき古した足駄をはいて、ひょこりひょっこりと高くなり低くなりして歩いて行くのがよく見えた。(有島武郎「お末の死」)
貧しい人々の弱さの中に、有島武郎の静かな怒りを見たような気がする。
書名:カインの末裔
著者:有島武郎
発行:1969/4/30
出版社:角川文庫