庄野潤三の短編小説「薪小屋」読了。
「薪小屋」は、昭和37年「群像」7月号に掲載され、作品集『鳥』(講談社、1964年)に収録された作品である。
旅行先で用件を済ませた「私」は、東京へ帰る途中に「今では置き忘れられたようになっている旧街道筋の宿場町に降りてみたい」という気持ちになって、偶然にその小さな駅で途中下車したのだった。
雨の中、たどり着いた宿屋の母屋は大層古びていたので、「私」は昔ながらの落ち着きのある部屋に通されることを期待していたが、実際に通された部屋は後で建てられたものらしく、天井も壁も畳もまだ割合に新しかった。
やがて、宿の主婦がやって来て、「お泊りはどのくらいにすれば宜しいですか」と、料金の相談を始めるが、どのくらいが適当な料金なのか、「私」には見当がつかない。
結局、酒や肴のことを考えて泊り賃を決めた私は、夕食に地酒を出すように頼み、そのときに、宿屋の主人が、鉄道員であること、酒で体を壊したこと、かつて辛口が好きだったが、今では甘口しか飲まないことなどを知る。
ここまでは、気ままな旅行記を読んでいるような気持ちになった。
夕食のすき焼きを食べながら、酒を飲んでいた「私」は、食事を運んできた主人に「よかったら、こちらで一緒にやりませんか」と声をかけ、やがて、主人と二人で酒を酌み交わす。
ここから聞き書き風の小説になって、鉄道員である宿屋の主人による会話を中心として、物語は構成されていく。
著者はおそらく、宿屋の主人の話から、文学的なインスピレーションを受け取ったのだろう。
宿屋の血筋の話や街の話は、やがて宿屋の経営の話へと変わり、「私」の泊まっている部屋(つまり、二人が酒を酌み交わしている部屋)が、かつては「薪小屋」だったものを部屋に改造したものであったことを聞かされる。
昭和40年代になって庄野さんは、サラリーマンではない職業の人たちに取材した作品、いわゆる「聞き書き小説」を次々と発表することになるが、この「薪小屋」は、そうした「聞き書き小説」の原点を読むような印象を受けた。
もうひとつ、庄野さんには旅行記的な作品がたくさんあって、「薪小屋」の前半部分は、そういった旅行記的な作品として考えることもできる。
ひとつの作品としては、旅行記と聞き書き小説とをミックスしたような作風だが、「今では置き忘れられたようになっている旧街道筋の宿場町」の雰囲気を、宿屋の主人の会話から情緒たっぷりに再現している。
書名:『鳥』収録「薪小屋」
著者:庄野潤三
発行:1964/5/20
出版社:講談社