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庄野潤三「前途」戦時を生きる文学青年たちの青春群像

庄野潤三「前途」あらすじと感想と考察

庄野潤三の長編小説「前途」読了。

あとがきがないので、帯文を読んでみる。

学徒出陣を目前にした青春—苛烈な<前途>を予知させる学生生活の中で、人生の真実に触れながら、一日ずつの生の実感を清冽に織りなした感動作!
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学徒出陣を目前にし、残り少ない青春を予知しての学生生活—心をゆるした友、愛する家族、敬慕する師との交流を通して、苛烈な時代を生きる<ある青春>が鮮やかに結晶! 戦後二十余年を経てはじめて描かれ、<戦中派作家>の文学的神髄を示した話題の秀作。(群像掲載)

紹介文に補足と付け加えると、「前途」は、戦時を生きる「文学青年たち」を主人公に据えた青春小説である。

女性に憧れを持ちながら、女性との出会いさえなく、悶々とした青春を過ごす登場人物たちは、若いエネルギーを文学にぶつけながら、明日をも知れぬ日々を生き抜こうとしている。

結局、青春というのは、遠いところにあるものではなくて、こうした地味な、ひとつひとつは小さな、取り立てていうこともないような友人との交わりの日々のことだと思う。女の人との恋愛がないから、自分の青春を空しいとする者には、たとえ意中の人を得たとしても、その青春はやはり空しいものだろうと。(「第一章 ラム研究会」)

物語の語り手である「僕」(漆山正三)は、福岡で東洋史を学ぶ学生である。

漆山青年は箱崎の下宿に越して間もなく「カルチエ・ラタン譚」をいう短文を書いて、その中で、下宿生活を送る友人たちの様子を書き留めている。

佐藤春夫の小説を競い合って集め、一緒に同人誌を作ろうと志しながら、なかなかうまくいかない文学仲間の小高民雄、毎夜のようにビールを飲みながら青春を語り合った室。

漆山青年は福岡の箱崎に、パリの学生街「カルチエ・ラタン」を重ね合わせていたのだ。

この街で漆山青年は、大学の仲間である高木と蓑田と三人で、「チャールズ・ラム研究会」を結成して、ラムの作品を読み交わすようになる。

一方で、故郷の大阪には、文学の師である伊東静雄がいて、手紙をやり取りするほか、帰省の折には、酒を飲みながら文学を学んだ。

物語は、漆山青年が小高や木谷数馬や貴志武彦らとともに同人誌を創刊しようとしながら、文学性の違いから頓挫してしまうという、文学活動を大きな柱に据えながら、戦時下の大学生活の日々を丁寧に描いていく。

特徴的なのは、この小説は日付が入った日記調で綴られているということである。

想像するに庄野さんは、「ガンビア滞在記」と同じように、詳細に綴られた日記をベースにして、この物語を書き進めたのではないだろうか(少なくとも、そんな印象を与えている)。

もっとも、「月」と「日」が明確に示されているのに対して「年」は記載されていないから、一見してそれが昭和何年のことであるかを読み解くことはできない。

一月一日のところで初めて「昭和十八年一月一日」とあるから、この物語は、昭和17年11月23日に始まって、昭和18年9月5日に終わるものだということが分かる。

大学生活を終えた仲間たちは、やがて、それぞれが戦争の中へと人生を歩み始める。

「今度帰って来た時生きてたら、返して貰うわ」

海軍予備学生として入隊する小高を見送った夜、小高は文庫本の「李太白詩選」を「僕」に渡しながら、そんなことを言った。

徹底的にセンチメンタルな装飾を排した淡白な文章で綴られているのに、先行きの知れぬ彼らの不安が、見事に浮き彫りにされている。

ベルが鳴って、汽車が最初に大きくひとつ揺れた時、室と蓑田と僕の三人で声を揃えて、「小高民夫君、万歳」と叫んだ。そして、室と僕とは汽車についてプラットフォームを走った。室は、お互いに頑張ろうぜとどなった。(「第九章 送別旅行」)

お薦めしたい庄野文学の作品が、またひとつ増えたことがうれしい。

書名:前途
著者:庄野潤三
発行:1968/10/12
出版社:講談社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。