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渚滑川のニジマス釣りで過ごした北海道の夏休み

水質日本一の渚滑川

国交省の水質調査で、北海道の渚滑川が日本一になったそうである。久しぶりに渚滑川の名前を聞いて懐かしくなった。僕にとって、渚滑川は忘れることのできない、思い出の川だからだ。

20代でフライフィッシングを始めた僕は、全国各地の川を釣り歩いた。殊に、天然トラウトの豊富な北海道では、随分と多くの川を訪ねたものである。どこの河畔にも、本州ナンバーの自動車が駐まっている、そんな時代だった。

日本初のキャッチ&リリース区間

オホーツク海に面する渚滑川は、日本で初めて「キャッチ&リリース区間」を設定した河川だった。多分あれは1995年頃のことだったと思う。日本中のフライフィッシャーマンたちが、「キャッチ&リリース」という言葉に憧れ、この最果ての川を訪れていた。

毎年夏休みには渚滑川を訪れてニジマス釣りに明け暮れた。その頃、地元ではニジマスの放流事業を行いながら、ニジマスの自然繁殖に取り組んでいた。いつの日か、ネイティブトラウトを釣る日が来ることを、みんな願っていたのだ。

キャッチ&リリースへの疑問

もっとも、当時の僕は「キャッチ&リリース」という考え方には懐疑的な立場だった。釣り資源の保護に反対だったわけではない。釣り人の資源保護の手段である「キャッチ&リリース」が、自然保護の文脈で語られることに違和感を感じていたのだ。

魚がいなくなったら釣りができなくなるし、釣りができなくなったら釣り人が困る。持続的に釣りを楽しむために、釣り資源である魚をリリースしよう。そういう話だったら、もちろん僕も理解できる。

けれども、当時はまだ「キャッチ&リリース」に対する理解も十分ではなくて、釣った魚をリリースすることが、あたかも自然保護活動であるかのような論調が、一部にはあった。真剣に自然保護を追求するなら、釣りなんてできなくなってしまう。野生動物を麻酔銃で撃ち倒してリリースすることが自然保護活動になるとは、到底思えなかった。

釣りなんて、所詮は釣り人の自己満足のための遊びに過ぎない。自然保護を持ち出すあたりで、偽善の匂いがプンプンしていた。もちろん、世の中には、釣った魚をリリースすることが自然保護活動になるんだと、本気で信じている人たちがいたことも確かだったとは思うけれど。

真夏のニジマス釣り

そんなわけで、キャッチ&リリース運動には懐疑的な気持ちを持ちつつも、一人のフライフィッシャーマンとして、渚滑川は間違いなく魅力的なフィールドだった。何より大切なことは、北海道の美しい自然の川で、元気なニジマスが釣れるということだった。自動車の中で寝泊まりなしながら、僕はささやかな夏の旅を楽しんだ。

釣りのことを考えると、もちろん盛夏ではない方が良かっただろう。けれども僕は、北海道の夏が大好きだったし、真夏のニジマス釣りが大好きだった。酷暑の午後には昼寝を決め込んで、それ以外の時間帯にはひたすらフライロッドを振り続けていた。

大雨が降った翌日など、川の大きな溜まりにはたくさんのニジマスが集まっていることがあった。そんなときは、フライへの反応が悪いので、釣り竿をルアーロッドに持ち替えて、小さなスピナーを放り込むと、大きなニジマスが次々に釣れた。真剣に観察をすると、何十匹というニジマスが、溜まりの中で群れているのだった。

初めて渚滑川に同行した仲間は、「まるで釣り堀みたいな川だ」と言った。もっとも、そんな彼は、群れの中にどれだけルアーを投げ入れても、ニジマスは一向に釣れなかった。不思議なことに、僕の放ったルアーにばかり、魚は反応してくるのだった。

けれども、渓流釣りは、やはり入れ食いではおもしろくない。人間と魚との知恵比べの末に、釣ったり釣れなかったりするところが醍醐味だった。自然の河川は、やはり釣り堀であってはいけないのだ。

北海道から戻るたびに、僕は釣りと旅の記録をホームページで公開した。いくつかの雑誌から、釣りに関する文章と写真を寄稿するよう依頼を受けた。いくつかの雑誌に、僕の書いた渚滑川に関する文章や僕の撮ったニジマスの写真が掲載された。

思い出の渚滑川

渚滑川は、僕の釣りにとってかけがえのないフィールドになっていた。北海道の夏、渓流の匂い、冷たい水しぶき、木々の香りと爽やかな風。僕の夏休みは、渚滑川とニジマスとフライシッシングのためにあったのだと思う。

僕の渚滑川釣行は10年近くも続いたのだろうか。会社組織の人間として責任ある役職に就くたびに、長い休みを取ることが難しくなっていった。自分の休みよりも部下の休みを優先しなければならなかったからだ。

いつの間にか、渚滑川は遠い川となり、僕は釣りそのものから遠ざかっていた。最後に渚滑川で釣りをしたのは、いつの頃だっただろう。それが最後とも知らずに、僕はいつもの夏と同じように、最果ての川でのニジマス釣りを楽しんでいたはずだ。

あれから、随分長い時間が経った。あの頃のフライロッドを、僕はもう手放してしまった。フライリールやフライケースやたくさんのフライたちと一緒に。

僕が渚滑川の河畔に立つことは、もうないかもしれない。それでも僕は、渚滑川で過ごした北海道の夏を、今でも鮮明に思い出すことができる。渓流の匂い、冷たい水しぶき、木々の香りと爽やかな風。

初めて水質日本一になった渚滑川だけれど、僕の記憶の中の渚滑川は、あの頃からずっと日本一のままだ。

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KONTA
1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。