音楽体験

『THE TIMERS 35周年祝賀記念品』ロック界のラスボスが叫んだ平和への祈り

『THE TIMERS 35周年祝賀記念品』ロック界のラスボスが叫んだ平和への祈り

『THE TIMERS 35周年祝賀記念品』を購入。

あれから35年が経ったなんて、なんか信じられないけど。

ロック界に現れたラスボス&最終兵器

久しぶりに、ザ・タイマーズを聴いた。

いや、それは正確じゃないな。

直近でザ・タイマーズを聴いたのは、2024年(令和6年)10月24日(日)投開票の衆議院選挙のときだ。

ネットに流れていた『ギーン ギーン』を聴いて、「ザ・タイマーズ、懐かしいな」と思ったのだ。

政治献金 成金議員
株券議員 黙秘権議会議員
金銀 参議院
衆議院議員 衆議院議員

(ザ・タイマーズ「ギーン ギーン」)

今だったら「裏金議員」とか「パワハラ議員」とか「セクハラ議員」とか「不倫議員」とか、バリエーションがもっと増えているんだろうな。

それにしても、35年経っても、未だに政治献金問題で争っているんだから、日本という国は、本当にのんびりとしているらしい(国民の無関心が大きく影響している)。

政治家関係では『総理大臣』もいい。

なんにも はっきり言わねえ 総理大臣
遠回しで ごまかしつつ喋る 総理大臣
何だか頼りねえの 総理大臣
我が国の 総理大臣

(ザ・タイマーズ「総理大臣」)

1989年(平成元年)、ザ・タイマーズの登場は、日本のロック好きにとって、かなり衝撃的なニュースだった。

RCサクセションの問題作『COVERS』で、社会派メッセージソングに注目が集まっていた時代でもあったから、ストレートで分かりやすいザ・タイマーズの歌には、刺激的という以上に、心の奥底まで響く「切ない何か」があったのだ(それは「祈り」に近いものだった)。

Hey Hey
We’re THE TIMERS
Timerが大好き
いつでも 君と
笑っていたいな

(ザ・タイマーズ「タイマーズのテーマ」)

ザ・タイマーズのアルバム発売日、僕は、年下の女の子と街(大通)に出ていて、彼女と一緒に、既に話題となっていた「謎の覆面バンド」のファースト・アルバムを買った。

彼女は笑っていたけれど、「忌野清志郎に似た誰か」のメッセージ・ソングは、当時の自分にとって、非常に大きな関心事だったのだ(なにしろ、大学4年生で、まだ22歳だった)。

当然、その年の忘年会には、仲間たちと一緒に、ザ・タイマーズに扮した格好で仮装大会に参加し、真夜中のススキノでギターをかき鳴らすことになる(なにしろ、浮かれた時代だった)。

コナクレ コナクレ
コナコナ コナクレ
オレニ コナヲクレ
コナクレ タノム コナヲクレ

(ザ・タイマーズ「KONAKURE」)

ザ・タイマーズというと、バンド名に引っ張られて、大麻とか麻薬とか覚醒剤とかに注目されがちだけれど、本当に本領発揮できるのは、反核や反戦のように、大きなテーマを歌ったときだった。

Long Time Ago 44年前
原子爆弾が落ちてきて
何10万人もの人が
死んでいったのさ

Long Time Ago 44年前
8月6日の朝 8時15分
何の罪もない人が
死んでいったのさ

(ザ・タイマーズ「LONG TIME AGO」)

広島の原子爆弾を歌った『LONG TIME AGO』は、スケールの大きさといい、具体的な歌詞といい、ザ・タイマーズの代表曲であるのみならず、日本のロック史に残る名曲となった。

おそらく、ザ・タイマーズの音楽哲学の中軸となっているのが、この『LONG TIME AGO』だったのだろう。

つまり、ザ・タイマーズは、平和主義を基本として活動するロックバンドだったのだ(「♪ピースが欲しい~」)。

ザ・タイマーズはロック界のイノベーションだった

日本ロック界のラスボスだったザ・タイマーズ日本ロック界のラスボスだったザ・タイマーズ

バブル時代というのは、反戦や反核を歌うことがトレンディな時代だった。

爆撃機が400機
所狭しと飛びまわり
機関銃の音が響き
対空砲火の弾が飛び交う

500キロ爆弾 ガス爆弾
雨あられと舞い落ちる
リゾートホテルは粉々に壊れ
火の粉が海に降りそそぐ

(ルースターズ「C.M.C」)

あるいは、それは、不安な社会情勢を背景とした、若者たちの心の叫びだったのかもしれない。

佐野元春が『SHAME-君を汚したのは誰』を歌い、浜田省吾が『A NEW STYLE WAR』を歌い、尾崎豊が『核』を歌い、ザ・ブルーハーツが『チェルノブイリ』を歌い、RCサクセションが『明日なき世界』を歌ったその後に、ザ・タイマーズが登場して『LONG TIME AGO』を歌った。

僕等の仕事は ブームに乗ることさ
ビンジョー ビンジョー
ビビンビビンビ ビンビンビンビン
ビンジョー ビンジョー

流行ってるものには
ニコニコして近付いて
近所をうろついて
友達みたいなフリ

僕等はしつっこくて
ブームはすぐにボロボロ
敏感になっちゃって
あいつはノイローゼ

(ザ・タイマーズ「ビンジョー」)

あの頃の感覚で言えば、ザ・タイマーズは、ロック界に現れたラスボス、最終兵器だったのだ(そして、ZERRYは、まさしくキングだった)。

君は
LOVE ME TENDER を聴いたかい?
僕が日本語で歌ってるやつさ
あの歌は反原発の歌だって
みんな言うけど
違う 違う それは違うよ
あれは「反核」の歌じゃないか
よく聴いておくれよ
「核はいらない」って歌ったんだ

(ザ・タイマーズ「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」)

2011年(平成23年)、東日本大震災で被災した福島第一原子力発電所がメルトダウンを起こしたときに、斉藤和義が歌った「ずっと嘘だった」。

この国を歩けば原発が54基
教科書もCMも言ってたよ 安全です
俺たちを騙して 言い訳は「想定外」
懐かしいあの空 くすぐったい黒い雨

ずっとウソだったんだぜ
やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ
原子力は安全です
ずっとウソだったんだぜ

ずっとクソだったんだぜ
東電も北電も中電も九電も
もう夢ばかり見てないけど
ずっと クソだったんだぜ
ホント クソだったんだぜ
ずっと ウソだったんだぜ
ホント クソだったんだぜ

(斉藤和義「ずっと嘘だった」)

忌野清志郎は、2009年(平成21年)に他界して既に亡く、「誰かが歌わなければいけない」という極度の緊張感の中、出てきたのが斉藤和義だった。

あのとき、斉藤和義は、忌野清志郎が歩いてきた道の続きを歩いていたのだろう。

そして、それは間違いなく、ザ・タイマーズという謎の覆面バンドが開拓した、日本ロック界の中に通じる一本の細い道だった。

ブラックリストの表紙を飾る
いつでも犬に付け狙われている

なめるんじゃねえ 出直して来い
しっぽは摑めねえ 証拠は残さねえ

進め みんなの味方
不死身のタイマーズ

(ザ・タイマーズ「不死身のタイマーズ」)

表現の自由が保障されているとは言え、音楽業界で活動するプロのミュージシャンである以上、活動の制約は避けられない。

業界の制約に真正面から衝突していったのが、ザ・タイマーズだった(ある意味で、それはイノベーションでさえある)。

本作『THE TIMERS 35周年祝賀記念品』には、あの頃の熱気が、びっしりと詰め込まれている。

はっきり言って、『夜のヒットスタジオ R&N』のゲリラ・ライブ「♪おまんこ野郎<FM東京>腐ったラジオ~事件」なんて、ザ・タイマーズの歴史の中では、ちっぽけなものだった(衝撃的ではあったけれど)。

大切なことは、ザ・タイマーズが、たくさんの音源を、きちんとした形で、過去の人たちに残してくれたということだ。

ダイヤモンド 豪華マンション
別荘に 外車に 毛皮に金
何の価値もねぇ 俺は欲しくねぇ
この世で一番安っぽいものさ

何でもかんでも
金で買えると思ってる
馬鹿な奴ら
買えるものは せいぜい
俺の歌ぐらいさ

(ザ・タイマーズ「彼女の笑顔」)

ザ・タイマーズの歌を、今の僕たちは、お金を出して買うことができる。

時代は変わってもロックの本質は変わらない。今のような便利な時代になって、タダ同然で聴いてる音楽はしょせんタダ同然の代物なのだ。ロックはただじゃない。なぜなら自分の生き方に関わってくるから。

ポップスは卒業していく音楽で思い出を買う。ロックは年月がどれだけ流れても、今の自分が出会った生き方となるサムシングを買うのだ。

流行歌はいずれ懐メロになるが、ロックンロールはいつも地下のライブ・ハウスのような無法地帯で鳴っている。思い出なんかにはなれない、いつも今ここにいる。

(高橋”ROCK ME BABY”康浩「THE TIMERS 宣伝マン顛末記」)

だから、『THE TIMERS 35周年祝賀記念品』は思い出なんかじゃない。

それは、熱々で、生々しい、現在進行形のロックンロールなのだ(誰がなんと言おうと、どれだけ時間が経過しようと)。

あれから35周年。

僕たちは、今も、ザ・タイマーズの熱いメッセージに、胸をときめかせ続けている。

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ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。