音楽

吉田拓郎「となりの町のお嬢さん」は夏の終わりとすっぱい恋の物語

夏の終わりになると聴きたくなる曲がある。

吉田拓郎「となりの町のお嬢さん」も多くの人に愛されている夏の終わりの名曲だ。

隣町のお嬢さんが僕の町にやってきた

吉田拓郎の古い歌に「となりの町のお嬢さん」という曲があった。

ある夏、隣町のお嬢さんが僕の町にやってくる。

僕はお嬢さんととても親しくなり、お嬢さんと一緒に隣町へ行こうと決心する。

しかし、夏の終わりが来ると、お嬢さんは僕を残して帰ってしまった。

ごく簡単に要約すると、そんな一夏の物語だ。

となりの町のお嬢さんが
僕の故郷(くに)へやってきた
都会の香り振りまいて
夢を見させてくれたんだ
好きになっちまったんだよ
はじめて知った口紅の味
僕の胸ははりさけそう
月夜の晩に誘われて
大人になると決めたんだ

いつか必ず帰る都会の人間

夏の始まりに、都会から美しい女性(あるいはかわいい女の子)がやって来て、その女性に恋をするというストーリーは、ある意味で定型化されている。

そして、多くの場合、夏の終わりとともに女性は都会へと帰ってしまい、一夏の恋は終わる。

夏が一夏の物語を提供してくれる背景として、避暑地の存在がある。

都会の人間は夏のバカンスをほんのひととき海辺の街で過ごす。

田舎の人々は当然に都会の人々が素敵な存在に思えてしまう。

物語の多くが、都会の人間を受け入れる側の視点から描かれたものであるのは、田舎の人間の方にこそ恋に落ちる要素が多いことを示唆している。

もとより都会からやってきた人間は旅人である。

帰る場所が他にある一時の滞在者なのだ。いつか必ず帰らなければいけないという前提条件が、物語をロマンチックなものにする。

そして、旅の終わりは夏の終わりにやってくるということが、この手の一夏の物語を一層感傷的なものに塗り替えてしまうのだろう。

すてきな君は町の人だ
いつか帰ると知ってるさ
切符を2枚買っちまえばいい
二人で恋のキシャポッポ

図書館で出会った隣町の中学生

中学3年生の夏休み、僕は街の図書館で受験勉強をしながら過ごした。

同じテーブルには同級生が5人くらい集まっていて、同じように受験勉強をしていた。

ある日から、隣のテーブルに見知らぬ女の子が座るようになった。

彼女も僕たちと同じように受験勉強をしているようだ。

やがて、彼女は隣町の中学生だということが分かった。

僕は参考書よりも彼女が気になるようになり、勉強の合間に休憩と称して彼女と話をするようになった。

少しずつ距離が近くなったように感じたところで夏休みが終わった。

結局、何も始まることなく、そして何も終わることなく、僕たちの夏は終わったのだ。

となりの町のお嬢さんは
僕を残して行っちゃった
約束よりも早い汽車で
何も言わずに帰ったよ
嫌いになっちまったのかよ

となりの町の風に乗って
そんな噂を耳にした
お嫁に行ってしまったんだね
娘心と秋の空

海辺の町は夏の終わりと
すっぱい恋でみかん色に
しらんふりしてゆれてゆく
となりの町のお嬢さんは
今年の夏の忘れもの

夏の終わりの喪失感

夏の終わり、隣町のお嬢さんは約束を破って一人で帰ってしまう。

これはおそらく心変わりではないだろう。

彼女は結婚前の一夏の何かを探しに海辺の町までやってきただけなのだ。

もちろん「僕」にだってそんなことは分かっているはずだ。

だからこそ「僕」は「となりの町」まで「お嬢さん」を追いかけて行ったりはしない。

それは「僕の故郷(くに」)」でしか見ることができない「夢」だということを、「僕」は知っているからだ。

夏の終わりの喪失感というのは、他の季節にはないものである。

春の終わりは「夏の始まり」に収斂されるし、秋の終わりは「冬の到来」に、冬の終わりは「春の訪れ」に置き換えられてしまう。

夏という季節だけが、過ぎてゆく季節と失ってしまったロマンスを感傷的に記憶させてくれる。

つまり、夏は他のどの季節とも異なる特別の季節なのだ。

今年も夏の終わりを迎えて、いろいろな街の片隅に「すっぱい恋」の欠片が転がっているんだろうなあ。

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