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感動をありがとう!阪神タイガース鳥谷敬選手から勇気をもらった名場面11選

阪神タイガースの鳥谷敬選手が球団からの引退勧告を受けて今シーズン限りでチームを退団することが明らかとなった。

2004年の入団以来、鳥谷選手には数多くの感動をもらってきた。

今回は阪神タイガースにおける鳥谷選手の感動の名場面を紹介したい。

本当は10選に絞ろうと思ったけれど、どうしても絞ることができなった。

常に第一線で活躍し続けた鳥谷選手の16年間を10個にまとめるなんて、やっぱり難しいよなあ。

下柳の最多勝を決めたサヨナラホームラン

2005年10月5日の横浜DeNA戦。先発の下柳はこの試合に勝てばプロ入り15年目で初の最多勝確定という大事な試合だったが、延長10回表を投げ終えた時点で同点のまま。

延長11回表を投げることはさすがに無理な状況で、下柳の最多勝も厳しい状況かと思われたが、10回裏1死からプロ入り2年目の鳥谷が奇跡のサヨナラホームランを放って下柳が勝利投手となった。

チームがサヨナラ勝ちを決めた瞬間、10回表で降板となった下柳はロッカールームで着替えていたところらしく、ズボンのベルトを締め直しながらグランドに再登場、

ホームインした鳥谷に何度も丁寧なお辞儀をして見せた。

真夏に決めた球団月間最多安打

2010年8月31日の横浜DeNA戦。この夏の鳥谷は文字どおり打ちまくっていて、残り1試合を残して赤星が持つ球団月間安打記録(42本)に後1本と迫っていた。

8月最後の試合で鳥谷は2安打を記録、赤星の球団記録を43本に更新した。

「真夏に強い選手」という鳥谷のイメージを象徴する記録だ。

夏前までの成績がイマイチでも夏に盛り返してくれる安心感が鳥谷にはあった。

遊撃手最多打点を記録

2010年シーズン、鳥谷は日本プロ野球のショートとして初の100打点を記録した(最終的に年間106打点がプロ野球記録)。

この年1番を打つことの多かった鳥谷だが、得点圏打率はセ・リーグトップの.360、満塁打率.500と、とにかく勝負所で打ちまくるイメージが強く、「ホームランバッターではないが打点の多い選手」を体現して見せた。

ショフトとしてレフト金本をサポート

2010年シーズン頃から遊撃手である鳥谷がレフト金本のサポートをする場面が多く見られた。

金本の右肩の状態が内野への返球に支障を来すほど極端に悪化していたためで、内野手の鳥谷が外野の守備位置まで走って金本からの返球を処理する様子は「ショフト」と呼ばれた。

外野を守れない金本が出場し続けているなど、当時のタイガースには謎の部分も多かったが、鳥谷は献身的にチームのために守り続けた。

最高出塁率を獲得

2011年シーズン、初のタイトルとなる最高出塁率を獲得した(.395)。

特に「四球78」はセ・リーグトップで「素晴らしい選球眼の持ち主」としての鳥谷のイメージが完成した。

力強いバッティングで長打を放つイメージのある鳥谷だが、実際には四球による出塁などで地道にチームに貢献するタイプの選手だったと思う。

他にバッターが育たない環境の中、いつまでも長打力やクリーンナップとしての活躍が求められることになったのは、鳥谷にとっては不幸だったとしか言えないだろう。

仮定の話になってしまうけれど、鳥谷のこうしたスキルをもっと伸ばすことのできる指導者がいれば、その後の鳥谷の活躍もまた違ったものになっていたような気がする。

僕は地味な場面で黙々とプレーし続けている鳥谷の姿に、いつでも励まされてきたのだ。

WBC台湾戦で「まさかの2盗」

2013年WBCの台湾戦。1点ビハインドの9回表1死から鳥谷が四球で出塁。今大会ここまでヒットなしの鳥谷だったが、同点ランナーの出塁に実況が「鳥谷の真骨頂!」と叫んだことは忘れられない(笑)

次の長野が簡単に倒れて2死になったところで、貴重な同点ランナーの鳥谷がまさかの2盗。

ほとんどの観客が想像していなかったと思われる「まさかの盗塁」に球場内はものすごいどよめきに包まれた。

得点圏にランナーを進めた日本は、9回2死から井端が劇的な同点タイムリーを放ち、その後の勝ち越しに繋げた。

日本中が注目する国際大会の緊迫した場面で勇気ある盗塁を決めたことで、鳥谷敬の活躍は多くの国民に記憶されることとなった。

WBCオランダ戦で先頭打者ホームラン

2013年WBCのオランダ戦。前夜の「まさかの盗塁」の活躍を受けて、ここまで無安打(打率.000)の鳥谷が1番バッターとして登場。

四球を含め高い出塁率が評価された形だったが、この試合でトップバッターの鳥谷は先頭打者ホームランを記録。

その後の猛攻・大勝に繋げた。

ちなみに、WBCにおける日本チームの先頭打者ホームランは2006年のイチロー以来2人目だった。

何をしでかすか分からない鳥谷の嫌らしさが、このWBCでは十二分に発揮されていたと思う。

遊撃手初の600試合連続フルイニング出場

2016年4月24日の広島カープ戦。

鳥谷は日本球界のショートとして初の600試合連続フルイニング出場を達成。

最終的には667試合連続フルイニング出場となり、歴代4位の記録となった(ショートとしては日本記録)。

もっとも、この年の鳥谷は「超変革構想」を掲げる金本新監督から、四球などでコツコツ出塁するよりもホームランなど長打力を伸ばすよう指示を受け、打撃フォーム改造などの指導を受けており、高い出塁率で見せる鳥谷らしさは急速に消えていった。

黒いフェイスガードで全力プレー

2017年5月24日の読売シャイアンツ戦。

鳥谷は巨人の先発吉川の直球を顔面に受け、鼻の骨を折る重傷を負った。

翌日のスタメンから外れた鳥谷は黒いフェイスガードを付けて代打で登場。

結果はサードゴロだったが、一塁まで全力疾走するプレーを見せた。

これまでも幾多の怪我を押して試合に出続けた鳥谷だったが、顔面デッドボールで鼻骨を骨折した翌日の試合にも出場する鳥谷の姿は、他球団のファンにも大きな感動を与えた。

生え抜き初甲子園球場で2000本安打達成

2017年9月8日の横浜DeNA戦。

鳥谷は第1打席で2000本安打を達成。

阪神球団の生え抜き選手としては1983年の藤田平以来2人目で、甲子園での達成は球団史上初だった。

2000本目のヒットは鳥谷らしくセカンドの頭上を越えて右中間を破るきれいなツーベースヒットだった。

鳥谷が真の意味で「虎のレジェンド」になったのは、この瞬間だったような気がする。

阪神タイガース生え抜き選手の2000本安打というのは、そのくらい難しいハードルだったからだ。

ちなみに、生涯阪神タイガースの選手だった桧山進次郎は1263本、掛布雅之は1656本。

晩年オリックスに移籍した岡田彰布が1520本、ロッテに移籍した今岡誠で1284本。

つまり、阪神タイガースで2000本を打つというのは、ほとんど別次元の話と言えるくらいに大変な記録なのだ。

三塁手としてゴールデングラブ賞を獲得

2017年シーズン、鳥谷は初めて三塁手としてゴールデングラブ賞を獲得。

入団以来、阪神タイガースの正遊撃手として活躍してきた鳥谷は、前年の「超変革」失敗による打撃不振の影響などを受けて、金本監督の構想によりショートからサードへとコンバートされていた。

初めての三塁手としての仕事を見事に成功させてみせた鳥谷の姿を見て感動したファンは非常に多い。

そして、翌年度以降も三塁手として活躍する鳥谷の姿を信じていたファンも決して少なくはなかったのだ。

おわりに

2017年に三塁手としてゴールデングラブ賞を獲得した鳥谷は、翌2018年シーズンで再び金本監督からまさかの二塁手へのコンバート指示を受ける。

中途半端な扱いの中で、結局、守備位置を固定できなかった鳥谷は、入団1年目以来14年ぶりに最終規定打席に到達できなかった。

阪神タイガースにおける鳥谷の晩年(2016年~2018年)は、本当に金本監督の存在が大きく左右したという印象がある。

結局、金本監督は電撃解任されてしまうのだけれど、こんなことなら金本監督誕生の際に鳥谷を放出してくれれば良かったのになんて考えてしまうのは僕だけだろうか。

でも、そんな環境の中でも決して投げやりになるわけでもなく粛々と練習を重ねてきた鳥谷選手は真のプロ野球選手だと思う。

鳥谷選手、たくさんの感動をありがとう!

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KONTA
1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。