庄野潤三「うさぎのミミリー」読了。
『うさぎのミミリー』は、著者(庄野潤三)の日常生活を題材とした長編小説である。
「レ・ミゼラブル(八月十二日)」「大阪行き(十月八日)」「こたつじまい(四月二十九日)」などのように日付が記されているので、あたかも日記のようにも思えるが、正確な意味で、これは日記ではない。
その最大の要因は、時代的な背景がまったく描かれていないということにある。
例えば、『うさぎのミミリー』では「1999年(平成11年)8月12日から2000年(平成12年)5月まで」の庄野家の日常が描かれているが、作品中では具体的な時代設定についての説明は一切登場しない。
物語の後半で、庄野さんの『鳥の水浴び』という単行本が刊行されたエピソードが登場したときに初めて、この小説が2000年のことを描いたものだということが明確になる(実は、正月の後に送られてきた長女の手紙の中に「二千年」の記載があるのだが)。
1999年から2000年にかけての物語だから、普通に考えると「世紀末」「21世紀」「2000問題」「ミレニアム」など、特別なキーワードがいくつも思い出されるが、『うさぎのミミリー』の年末年始には、そうした社会的背景はまったく触れられていない。
子どもたちの家族が集まって、御馳走を食べて酒を飲み、福引をして賑やかに過ごす。
新世紀への新たな誓いなどまったくない、いつもの正月の、いつもの風景があるだけだ。
著者は徹底的に自分のことだけを描いている。
「自分のこと」の中には、自分の周りの人々のことも含まれるから、庄野さんが描いているのは、自分自身を中心とした身の回りの人々の暮らしである。
庄野さんは、若い頃から「私小説」という言葉と真摯に向き合ってきた作家だった。
私小説の作家として生きてきた庄野さんが、晩年になって導き出した完成形、それが、この「夫婦の晩年シリーズ」という一連の作品群だったのかもしれない。
社会性を完璧なまでに排除して、そこで描かれているのは、庭の樹木や、そこに集まる野鳥たちのことであり、フーちゃんやミサヲちゃん、けい子ちゃんなどといった身内の人々のことであり、一日の終わりに妻と楽しむハーモニカの演奏のことである。
時には、友人の阪田寛夫と宝塚公演を見学に出かけた帰りには、行きつけの居酒屋「くろがね」で酒を酌み交わすし、故郷の大阪まで墓参りに出かけたときには、常宿としているグランドホテルの馴染みの店で、うなぎ料理に舌鼓を打つ。
早稲田の穴八幡宮へ「一陽来復」のお守りをいただきに行った帰りには、「ユタ」という喫茶店に寄ってコーヒーとホットケーキを注文するのが決まりで、柿生のお不動さんのだるま市で新しいだるまを買った後は、生田駅前の「味良(みよし)」でタンメンを食べるのが決まり。
庄野さんの生活には、実に「決まり事」という名のワンパターンが多い。
ワンパターンの暮らしは、毎年のように繰り返されることによって、やがて「我が家の年中行事」となっていく。
人が生きていく上で積み重ねられていく生活の轍。
庄野さんは、そんな人生の轍を描き続けた作家だった。
少ない言葉で多くを表現する熟練の技術
『うさぎのミミリー』は、「波」2001年(平成13年)1月号から12月号に連載され、2002年(平成14年)4月に新潮社から発行された。
タイトルの『うさぎのミミリー』は、次男の家庭で飼育しているペットのうさぎのことで、次男一家が旅行で出かけるとき、庄野夫妻はいつも「ミミリー」を預かっている。
うさぎの「ミミリー」が庄野さんの小説に登場するのは、特にこの作品が初めてということではないし、この小説が、うさぎの「ミミリー」を主人公として描かれているということでもない。
うさぎの「ミミリー」を含む、庄野さんの暮らしの中の様々なものが、この小説のメインキャラクターである。
庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」は『うさぎのミミリー』で七作目となったが、これまでの作品に比べると、かなりすっきりしてきたという印象を受ける。
まるで職人技のように、少ない言葉で多くを表現する熟練の技術が極められていると言うべきか。
書名:うさぎのミミリー
著者:庄野潤三
発行:2001年4月
出版社:新潮社