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渡辺淳一「リラ冷えの街」ストーカーとセクハラから始まる不倫の物語

渡辺淳一「リラ冷えの街」あらすじと感想と考察

渡辺淳一といえば「セクハラ作家」というイメージがあるが、それはなぜだろうか。

札幌のライラックまつりの季節、久しぶりに『リラ冷えの街』を読んでみた。

ちなみに『リラ冷えの街』は、「リラ冷え」という言葉を国内に定着させた小説として有名な、渡辺淳一の初期の代表作だ(1970年、北海道新聞連載)。

主人公の有津京介は、北海道大学の農学部に在籍していた学生時代、人工授精に必要な精子を提供するアルバイトをしたことがある。

本来、秘密であったはずの患者の名前を聞いた有津は、十年近く経った今もなお「宗像佐依子」という依頼人の名前を忘れられないでいる。

有津が宗像佐依子と偶然に出会ったのは、東京から札幌へ戻る飛行機の中で、羽田空港のアナウンスで「ムネミヤサイコ」の名前を聞いた瞬間から、有津はどうかして、この女性と親しくなりたいという気持ちを持ち始める。

佐依子は27,8歳くらいの美女で、有津は飛行機の中で隣の席に座った彼女に話しかけ、名刺を渡すことに成功するのだが、隣の席に座りながら、人工授精を受ける佐依子の肉体を妄想し続け、何とか彼女に話しかける隙はないものかと探る有津の性欲は凄まじい。

大学を12年前に卒業した、妻子ある中年男の行動としては、かなり異常である。

やがて、勤務先の北大植物園で偶然に佐依子と再会した有津は、薄野近くにある料亭の個室へと彼女を誘い、無理矢理に酒を飲ませた上、帰りの車の中で強引にキスをする。

そして、次に会った時、ラブホテルへ佐依子を連れ込んだ有津は、激しく抵抗する彼女を強引に犯して、男と女の関係を持つことに成功するのだけれど、「形だけの抵抗は真意の抵抗ではない」という男の身勝手な理屈に溢れる有津の言動は、同じ男性として、読みながら心が痛くなってくる。

結局、不倫の関係を持ち続けた末に妊娠した佐依子を、有津は「今度だけは諦めて欲しい」と説得、子どもを中絶させることに成功してしまうあたりは、いつもの「渡辺淳一ストーリー」という感じで、不倫・妊娠・堕胎・別れという定番の黄金コースを見事に踏襲した作品となっている。

そもそも、こんな物語が新聞に連載されたこと自体が不思議だけれど、上司が部下の女性を酔わせて無理に肉体関係を持つことが「オフィスラブ」として許されていた時代、男性の女性に対する価値観は現実的にこんなものであって、だからこそ、本作品も「渡辺淳一の代表作」と言われるくらいにヒットしたのだろう。

美しく描かれる札幌の四季

特徴的なのは、地方紙の連載小説ということもあって、札幌の季節感が非常に美しく描写されているところで、セクハラと不倫の汚さを四季の美しさで埋め尽くしてあまりある作品になっている。

札幌を代表する文学作品となる可能性を持っていただけに、主人公の傲慢なセクハラぶりはあまりに痛い(主人公が昭和初期の戦前生まれだということを考慮しても)。

人種差別や障害者差別などといった価値観の変化の中で、表現のあり方が問われることは文学作品の宿命ではあるが、根本的に誤った女性観に基づいて展開されるストーリーに未来はないだろうし、また、あってはならないだろう。

有津のストーカー的行動がなければ二人が出会うことはないし、二人の肉体関係は有津の獰猛な性欲によってのみ支えられているから、中年男性のセクハラを取り払ってしまうと、この物語は物語として成立することさえできない。

可能性があるとすれば、男の妄想が小説として商売になった時代を証明する「負の遺産」として受け継がれていくということだろうか。

これを恋愛小説と呼ぶのは間違っているし、歪んだ愛だということに気が付くべきである。

書名:リラ冷えの街
著者:渡辺淳一
発行:1971/5/20
出版社:河出書房新社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。