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安岡章太郎「晴れた空 曇った顔」文学的になりすぎない旅

安岡章太郎「晴れた空 曇った顔」あらすじと感想と考察

「私の文学散歩」という副題がある。

そのつもりで、本書「晴れた空 曇った顔」を読み進めていくと、文学作品の舞台や作家の足跡を辿る、いわゆる「文学散歩」でないことに混乱してしまうかもしれない。

確かに、本書は文人ゆかりの地を巡る紀行集ではあるが、それを「文学散歩」と呼ぶべきかどうか、若干の検討が必要だろう。

井伏鱒二の故郷・加茂村を訪れる「井伏鱒二のふるさと」や永井荷風が暮らしたリヨンを歩く「晴れた空 曇った顔」などは、文学散歩のごとき色彩の強い作品であるが、一方で、葛西善蔵や太宰治の出身地である弘前を訪ねた「暗さの中の明るさ」や、志賀直哉の「暗夜行路」の舞台となった京都を扱った「なやましき市井」などにおいて主要なテーマとなっているのは、文学作品でも文学者でもなくて、実は街そのものだったりする

文学を引き合いに出しながら、綴られているのは、都市文化論的な街のことばかりである。

さらに、山形を舞台とする「東北弁の旅情」などは、大学受験で訪れた山形の下宿屋の女中に関する回想であって、文学作品さえまったく登場しない。

どうして、このようなことが起こるのかというと、本書に収録された作品は、1950年代から1990年代までの間に、いろいろな雑誌で発表されたエッセイをまとめたものであるからで、紀行集として扱うことさえ正しいのかどうか疑問である。

そもそも、ロシア文学の巨匠の足跡を訪ねておきながら、自分にとってチェーホフは翻訳作品を読めば十分であって、作品の書かれた書斎を見物したって、作品鑑賞には何の足しにもならないと言ってしまうくらいだから、いわゆる「文学散歩」を期待する方が間違っているのだ。

もっとも、すべての作品には著者(安岡正太郎)の歩いた道が描かれていて、単なる「文学散歩」として以上に、刺激を与えられる随筆集であることは確か。

良い意味で裏切られたと、本書を読了した瞬間に感じたものである。

文学的になりすぎない旅

葛西善蔵は弘前の出身だが、郷土の後輩に、≪自惚れちゃいけないぜ。岩木山が素晴らしく見えるのは、岩木山の周囲に高い山が無いからだ。他の国へ行ってみろ。あれくらいの山は、ざらにあらあ。周囲に高い山がないから、あんなに有難く見えるんだ。自惚れちゃいけないぜ。》と教えたそうである(太宰治『津軽』)(「東北弁の旅情」)

「他の国へ行ってみろ。あれくらいの山は、ざらにあらあ。」という善蔵の言葉に、著者は激しく同意して見せながら、「わたしは善蔵の歯ぎしりしたいような気持がわかってくると同時に、何だかおかしくてたまらなくなった」と綴っている。

しかし、話はそこから善蔵や太宰を離れて、幼き日の弘前の思い出へと流れを変えて、弘前の人々の「妙に明るい空気」の謎を分析してみせる。

葛西善蔵や太宰治について書くことはたくさんあっただろうと思うのだけれど、文学はあくまでも思い出話のさわりに過ぎない。

文学的になりすぎない旅が、安岡章太郎の文学旅行だったのかもしれない。

現代文壇史の一幕を見る思い

旧本館ロビー正面右隅のバアのカウンターで、右から吉行淳之介、遠藤周作、近藤啓太郎、庄野潤三、その隣が小生、そして左端に小島信夫、という順番で、横一列に並んでいる。まだ全員が三十代半ばの前後だから頗る若い。(「旅人の弁」)

駿河台の山の上ホテルの回想は、「第三の新人」と呼ばれる駆け出し作家のグループが一堂に会した場面から始まる。

昭和31年1月初旬のことで、写真ではリラックスしているように見えて、実は誰もが緊張で強張っていたらしい。

やがて、山の上ホテルは、山本健吉や平野謙、高見順、檀一雄、開高健、遠藤周作、吉行淳之介など、多くの作家が仕事を、持ち込む場所となり、著者もまた、仕事の大半をこのホテルでこなすようになった。

こうしたエピソードは、たとえ「文学散歩」ではなかったとしても、現代文壇史の一幕を見る思いがして楽しい。

「書斎なんか見たって作品鑑賞の足しにもならないよ」という、著者の声が聞こえてきそうな気はするけれど。

書名:晴れた空 曇った顔
著者:安岡章太郎
発行:2003/7/10
出版社:幻戯書房

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。