ジャパニーズ・ビジネスマン
仕事を引退したとき、父親は僕にいくつかのモノを譲ってくれた。ビジネスマンとしてのけじめをつけようとしたのかもしれない。父親はバブルの時代に活躍した、ジャパニーズ・ビジネスマンだった。
僕の父は仕事一筋の人間ではあったけれど、自分の身に付けるものに関しては、随分強いこだわりをもっていた。およそ洋服に関しては、お気に入りのデパートの、お気に入りの店の、お気に入りの店員以外からは決して買うことがなかった。
バーバリーのステンカラーコート
ある日、仕事から帰宅すると、「実家から荷物が届いているよ」と、妻が言った。ダンボールの大きな箱を開けると、バーバリーのステンカラーコートが出てきた。裏地には、父の名前が(それは僕の名前でもある)刺繍されていた。
父に電話をすると、「俺はもう着ないから、おまえにやるよ」と、父は言った。ついこの間、父は定年退職したばかりであることを、僕はそのときに初めて思い出した。僕は短く礼を言って電話を切った。
バーバリー党
昔から父はバーバリー党だった。バーバリーで気に入ったものがなければ、どこかイギリスのブランドを探してきては、バーバリーに合わせたりするのが好きだった。イギリス製のものは上等だと信じ込んでいたらしい。
いつか、僕がブルックスブラザーズのブレザーを初めて買ったとき、浮かれている僕を見て、父は「それはアメリカ製か」とつぶやいた。どうして、アメリカブランドのブレザーなんて着るのだと、父は言いたそうだった。「おまえは何も分かっちゃいないからな」と、父は苦笑した。
昔の人間らしく、父は頑固で一途だった。いろいろなブランドを器用に組み合わせて着こなすということが苦手のようだった。バーバリーのスーツにバーバリーのコートを合わせるのが、父のやり方だったのだろう。
オーバーサイジング
父のバーバリーは、いかにもなオーバーサイズだった。空前の好景気の中、日本中が上昇志向と拡大志向の流れに乗って、「どれだけ自分を大きく見せることができるか?」ということを追求しているような時代だった。
人々は、少しでも自分が「大人に見えるように」ということだけを真剣に考えて、大きすぎるファッションに身を委ねた。肩パッド入りで袖も裾も長すぎて、おかしな色をしたブカブカスーツのような服を着て。
あの頃、父もブカブカのスーツを着ながら仕事をしていたのだろうかと考えると、僕は少しおかしくなった。時代のトレンドを意識する人たちは、おそらく誰もがビッグシルエットに包まれていたに違いない。いつの日か、それが時代遅れになるということを、心のどこかで理解していながら。
それにしても、と僕は思った。父はこのバーバリーを定年まで着続けていたのだろうか。長い時間愛用していたというには、父のバーバリーはあまりにもピンとしすぎていた。
おそらく、オーバーサイズな時代が終わった後、父はこのバーバリーを着ることはなかったはずだ。トレンドに敏感な男性は、時代遅れなシルエットのコートを着続けたりはしない。たとえ、それがバーバリーのコートであったとしても。
父がこのコートを使ったのは、せいぜい2年間くらいではないのか。そして、バーバリーのコートは長く封印されることとなる。ひとつの時代を忘れないための記念碑のような存在として。
ビッグシルエットの時代に紛れて
不思議なのは、父がどうしてこのコートを僕に送ってきたのかということだ。いくらバーバリーとはいえ、それが時代遅れの遺物であることは、父だって先刻承知のはずだ。いや、誰よりも父が分かっていると言っていい。
オーバーサイジングなバーバリーを羽織りながら、僕は考えた。きっと、父はこのコートを捨てることができなかったのだろう。バブル時代の遺品だから? あるいは、そうなのかもしれない。
いずれ、再び使うときが来るかもしれないと考えて、クローゼットの奥深くに埋め込まれたバーバリーは、父が定年退職するまで発掘されることはなかった。引退後に父は、ビジネスアイテムの遺品を整理している中で、バブル時代のバーバリーと再会する。あまり活躍することのなかった、オーバーサイジングなバーバリーと。
もちろん父は、この古いバーバリーをそのまま捨てることだってできたはずだが、結局のところ、父はこの古いコートを捨てる代わりに、僕へ送りつけてきた。なぜ?
父は、このコートを通して、僕に伝えたかったものがあるのかもしれない。充実したビジネスライフを過ごしていた時代の、若き日のコートを通して。
ブカブカのコートは、思ったよりも悪くなかった。この春に試着したオーラリーのコートだって、こんなふうにブカブカだった。そして、とても着心地が良かったではないか。
僕はバーバリーのコートをできるだけ丁寧に、クローゼットにしまった。そして、この冬は、バーバリーのコートを着てみようと思った。ビッグシルエットの時代に紛れながら。