読書体験

【深読み考察】村上春樹「1Q84 BOOK1」が意味不明のファンタジー小説ではない理由

村上春樹「1Q84 BOOK1」あらすじ・感想・考察・解説

村上春樹『1Q84 BOOK1』読了。

本作『1Q84 BOOK1』は、2009年(平成21年)5月に新潮社から刊行された長篇小説である。

この年、著者は60歳だった。

『1Q84 BOOK1』あらすじ

「1Q84」のタイトルは言うまでもなく、ジョージ・オーウェルの名作『1984』に対するオマージュだ。

舞台は、1984年(昭和59年)の東京。

ジョージ・オーウェルが『1984』(1949)で近未来を描いたのに対し、村上春樹は『1Q84』(2009)で近過去を描いた。

ポイントになっているのが、「1984年(昭和59年)」という時代設定である。

村上春樹の『1Q84』は、独立した二つの物語が、交互に同時進行の形で進んでいく。

村上作品では『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』で知られている構成である。

ひとつの物語の主役「青豆」(ちなみに本名の苗字)は29歳の女性で、宗教一家に育った過去を持ち、女性を傷つける男たちを許してはおけない。

10歳の時、孤立したクラスの中でただ一人優しく接してくれた少年に、長く恋をし続けている。

彼女は、決して、その少年(今では成人男性だが)の行方を探そうとはせず、いつか、<奇跡的な偶然>によって運命の再会を果たすことを夢見ている。

もうひとつの物語の主人公である「天吾」は小説家志望の29歳男性で、言語障害を持つ17歳の美少女「ふかえり」の書いた小説のリライトを引き受ける。

彼がゴーストライターとなった小説『空気さなぎ』は新人文学賞を受賞するが、一躍人気作家となったふかえりは自ら姿を消してしまう。

二つの物語は、まったく別々の道筋を辿りながら同じ方向へと進行してゆき、少しずつ少しずつ近づいてゆく。

ふたつの物語の大きな背景となっているのは、<さきがけ>と呼ばれる宗教団体(カルト教団)である。

<さきがけ>は、1970年代の学園紛争が生み出したコミューンの発展的な団体で、青豆と天吾はそれぞれに<さきがけ>との関わりを持ち、<リトル・ピープル>と呼ばれる謎の存在と対峙していくことになる。

『1Q84 BOOK1』解説

『1Q84 BOOK1』における小説としての大きな仕掛けは<パラレル・ワールド>である。

首都高速で緊急避難用の階段を降りた時から、青豆は自分が<いつもとは違う世界>に迷い込んだことに気が付く。

1Q84年——私はこの新しい世界をそのように呼ぶようにしよう、青豆はそう決めた。Qは question mark のQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身を置いている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。今は1Q84年だ。(村上春樹『1Q84 BOOK1』)

物語は、この架空世界「1Q84年」を舞台として進んでいく。

ストーリーはシンプルで、10歳の時に恋をした少年と少女が、大人になって奇跡の出会いを果たすという物語である(『BOOK1』の時点で二人は再会していないが)。

この<奇跡の再会>という設定は、村上春樹の初期の短編小説『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(1981/『カンガルー日和』)を思い出させる。

つまり『1Q84』は、『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』を発展させた形の物語なのだ。

パラレル・ワールドに迷い込んだ二人の男女が奇跡の再会を果たす——それが『1Q84』という小説の軸である。

作品が難解に感じられるのは、大きなテーマがメタファーを活用しながら複層的に織り込まれているからだ。

大きなテーマとはもちろん「宗教団体(カルト教団)」で、このカルト教団は、将来的に(おそらくは1990年代に)大きな社会的事件を引き起こす萌芽を見せ始めている。

逆説的に言うと『1Q84』は、1990年代に発生した社会的事件の源を、1984年という時間設定の中に求めた作品ということができる。

著者は、この水脈を1970年代という学園紛争の時代まで遡り、<1990年代に発生した社会的事件>の意義を見つけようとしているように思われる。

<1990年代に発生した社会的事件>とは、もちろん<オウム真理教>による一連の事件のことで、村上春樹は、この小説を教団側からではなく、大きな組織に翻弄されて生きる一般市民の側から描こうとしている。

<リトル・ピープル>や<空気さなぎ>といったメタファーにつまづきさえしなければ、読解という点では決して難しい小説ではない(少なくとも『BOOK1』を読み終えた時点ではそう感じた)。

むしろ、長篇ファンタジーとして、気軽に楽しめる作品となっているのではないだろうか。

『1Q84 BOOK1』読書感想

『1Q84』は、極めて村上春樹らしい仕掛けに満ちた長編小説である。

何より登場人物のキャラクターがいい。

主人公の「天吾」は『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公を思わせるし、「ふかえり」は、同じく『ダンス・ダンス・ダンス』の「ユキ」のイメージに近い。

「ふかえり」の育ての親である「戎野先生」は、「ユキ」の父親である小説家の「牧村拓」に似ているのではないだろうか。

自信過剰の編集者「小松」は『ノルウェイの森』の「永沢さん」を思い出させるし、天吾のセックス・フレンドである自分勝手な人妻(名前はまだない)は、同じく『ノルウェイの森』の「ミドリ」の将来像みたいだ。

青豆は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「計算士」で、婦人警官「あゆみ」は、『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるゴージャスな売春婦「メイ」というのはどうだろうか。

つまり、「1Q84」に登場する人物は、いずれも過去の村上春樹作品のデジャブ(既視感)である。

かつて観た映画に登場している俳優が、新しい映画の中で異なる人物を演じている。

「1Q84」は、僕にとって、そのくらい村上春樹的な作品だと思われた。

もちろん、文学作品としての完成度は、『ダンス・ダンス・ダンス』や『ノルウェイの森』とは比べ物にならないくらい洗練されている。

執筆に費やされている時間が、きっと、あの頃とは桁違いに違うのだ。

一つ一つのセンテンス、言葉のひとつひとつに、入念な作業の痕跡が感じられる。

完璧な球体を磨き上げるみたいに、著者は、この小説を何度も何度も磨き上げたに違いない。

もっとも、球体が完璧であるということと、完璧な球体が好きだということとは、別の問題になっていくわけだが。

いずれにしても『1Q84』は極めて村上春樹的な作品と言えるから、かつて『ダンス・ダンス・ダンス』や『ノルウェイの森』を読んで好きだったという人には、おすすめの小説である。

もちろん『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』が好きだったという人にも。

そして、初めて村上春樹を読むという人にも、『1Q84』はお勧めしたい小説だ。

読書にある程度慣れている人であれば(なにしろ長編小説なので)、特別の苦労をすることなく読み進めていくことができると思われる。

文章に癖はないし、難解な言葉もそれほど多くはないからだ。

続けて「BOOK2」も楽しんでみたい。

書名:1Q84 BOOK1
著者:村上春樹
発行:2009/5/30
出版社:新潮社

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。