つらい時や苦しい時、どうしていますか?
僕は「チクショー!」って気分になったときには、懐かしの80年代音楽を聴いて、自分を勇気づけています。
どん底の時代から這い上がってきた自分を励ましながら。
TWO PUNKS / THE MODS
人生で一番つらかったのは、大学を卒業して就職した会社を、2年も経たずに辞めた後のことです。
当時、僕は25歳で、僕のアパートの部屋には、女の子がひとり転がり込んでいました。
なにしろ食わなくちゃいけないので、彼女は歯医者の受付、僕は進学塾でアルバイトをしながら、家賃と食費を稼いでいました。
世の中的には、ちょうどバブル景気が弾けた後のことで、「バカなときに辞めたなあ」と、随分友だちからも笑われました。
でも、実際、日々の暮らしに余裕がなくて、もう、フラストレーションの塊みたいな生活を送っていました。
夜中に友だちが酒持って遊びにやって来たときも、酔っぱらいの相手をしているような精神的余裕なんかなくて、怒鳴りまくって追い返してしまったこともあるくらい。
そんな当時、よく聴いていたのが、THE MODSの「TWO PUNKS」です。
俺の女は目に涙を浮かべてた
いつまで続けるの、ダーリン?
そう言いやがる
そんなこと、俺にもわかりゃしねえよ
でも、もう列車には乗り遅れた、、、
森山はなんて残酷なんだろう、これはまったく僕自身のことじゃないか。
彼女が歯医者の仕事に出かけている昼間、一人きりの部屋で僕は毎日この曲を聴きながら、惨めな自分と向き合っていました。
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗せてもらえはしなかった
クソ生意気な上司に、文字どおりに辞表を叩きつけていい気になっていた自分が、本当にアホらしいやら、情けないやら、、、
だから、この曲を聴くと、今でも僕は、あの当時の「チクショウ!」という気持ちを、まざまざと思い出します。
そして、絶対に負けるもんか!って、よくわからない敵と、今でも戦い続けているような気持ちになるのです。
翼あるもの / 甲斐バンド
甲斐バンドって、1980年代には、めっちゃシリアスなロックバンドだったんですよね。
「暗い」とか「クール」とかいうよりも「重たい」っていうか。
疲れ果てた身体をだまし
ただ鳥のように翔ぶさ
風に乗り 雲をつきぬけ
自由を夢見て めざして
大きく はばたく
現代(いま)に生きる俺たちに
星は進路(みち)を指してくれる
僕は「遅れてきた甲斐バンドファン」なので、この曲を聴いたときには、20歳を過ぎていたような気がしますが、歌詞の素晴らしさに、もう震えました。
レコードマニアのフルタ君と一緒に、深夜の札幌市内を自動車飛ばして、中古レコード店を訪ねて回り、甲斐バンドのレコードを買い漁ったことも良い思い出です。
バカばっかりやってたけれど、あんなに楽しい時代もなかったと思います、学生時代っていうやつは。
明日はどこへ行こう
明日はどこへ行こう
俺の海に翼ひろげ 俺は滑り出す
お前というあたたかな港に
たどりつくまで
この曲を聴いたときから、僕は少しだけ大人になったような気がしたものです。
路地裏の少年 / 浜田省吾
正確には1970年代の名曲かもしれないけれど、1986年に12インチシングルで新録音バージョンが発売されている、ハマショー兄さんのデビュー曲です。
1987年の大ベストセラーとなった俵万智さんの歌集『サラダ記念日』の中には、「「路地裏の少年」という曲のため少し曲がりし君の十代」という作品が掲載されていました。
高校教師だった俵万智の目線から詠まれた若者の生き様だと思いますが、「路地裏の少年」という曲は、少年たちの道を曲がらせてしまうくらいに影響力を持っていたようです。
あるいは、僕も、そんな少年たちの一人だったのかもしれませんが、、、
口づさめば悲しい歌ばかり
届かぬ想いに胸を痛めて
今日もまた呼ぶ声に応えては
訳もなく砕かれて
手のひらから落ちて
今は俺22 初めて知る
行きどまりの路地裏で
毎晩のように、浜田省吾の「マイ・ホーム・タウン」を聴きながら、「♪今夜、誰もが夢見ている、いつの日にか、この街から出て行くことを~」と歌っていた、高校時代。
大学進学で独り暮らしが決まったときは、本当にうれしくて、高校の卒業式が終わるのを待って、とっとと家を出ました。
「♪お袋が嫌いになったんじゃない、この街が嫌になったんじゃない、今はただ、この灰色に褪せた街を出て行きたいだけ~」と、ARBの「淋しい街から」なんかを口ずさみながら。
勇次 / 長渕剛
社会人になったばかりの頃です。
会社の飲み会でカラオケへ行ったとき、長渕剛の「勇次」を歌いました。
特別に深い意味もなく、ただ好きなだけ~だったんですが、「♪嫌になっちまった、腹が立っちまった、理由もなく家を出たんだ~」という歌詞を聴いた時、直属の上司だった人が、「すごい歌だなあ、おいっ!」と、ちょっと怒気を含んだ声で叫びました。
まあ、確かに僕自身、仕事を覚える中で、いろいろなことに腹が立っていた頃ではあったので、会社に対する不満を歌ったと思われたのかもしれませんね。
酔っていたこともあって、彼はしばらく何かブツブツ言っていましたが、サビのあたりまでくると、いつの間にやらシンミリとして、ジッとカラオケの画面に見入っていました。
勇次
あの時の空を忘れちゃいないかい
勇次
あの時のエネルギッシュな お前が欲しい
帰りたい 帰れない 青春と呼ばれた日々に
戻りたい 戻れない はざまで叫ぶ 俺がここにいる
エリート街道を歩んでいた彼が、会社を辞めたのは、それから間もなくのことでした。
経営方針を巡って、社長とトラブルになったとか、いろいろな噂がありましたが、本当の退職の理由は、もちろん、僕ら若手には分かりっこありません。
ただ僕は「♪あの時のエネルギッシュな お前が欲しい~」という「勇次」の歌を聴くと、今でも、かつて上司だった男性のことを思い出してしまうのです。
シェリー / 尾崎豊
尾崎の代表曲って、何なんでしょうか?
「I LOVE YOU」とは言ってほしくないなあ。
「15の夜」とか「僕が僕であるために」とか「卒業」とか「誕生」とか、尾崎には代表曲となり得る曲が多すぎるんですよね。
その中で、僕が人生の一曲を選ぶとしたら、やっぱり「シェリー」かなあと思います。
尾崎豊の中でも尾崎豊らしさに満ち溢れた曲だから。
だって、「いつになれば、俺は這い上がれるだろう?」ですよ。
「どこに行けば、俺はたどりつけるだろう?」ですよ。
「俺は真実へと歩いているかい?」ですよ。
ここまで人生(自分自身)と真正面から向かい合った歌は、尾崎の作品の中にも、それほどたくさんはないはずです。
俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺はけっしてまちがっていないか
俺は真実へと歩いているかい
自己陶酔かもしれないけれど、大学生の頃は、覚えたばかりのギターを弾きながら、ひたすら、この歌ばかりを歌い続けていたような気がします。
何度も何度も繰り返し歌うだけの価値のある歌だと、当時は信じていたんでしょうね。
なにしろ、信者だったからなあ、尾崎教の。
魂こがして / ARB
会社を辞めてフリーター生活をしていた頃に聴き始めた音楽がARBでした。
小さな出版社で働いている友人が、ARBのコピーバンドをやっていて、「自分らはテクニックじゃない、パワーだ!」って、ドヤ顔で言っていたのを覚えています。
まさに、そんなバンドですよね、ARBって。
スポットライトは孤独を映し
色褪せた場面にピリオドを打つ
片道キップを二枚手に入れ
喜びと悲しみの停車場に立つ
家も町も遠く離れて 一人道を走る
ボクサーのように闇切り開け
魂こがして
あの頃は、本当に精神的余裕がなかったので、こんな逆境の歌ばかり聴いていました。
音楽聴きながら、どんどん自分を追い詰めるタイプですね。
だから、この当時に聴いていた音楽は、間違いなく自分の精神的支柱となっているし、悔しいことがあったりすると、今でも自動車の中で大音量で聴いちゃったりします。
石橋凌と一緒に歌いながらね。
ルシアン・ヒルの上で / レッド・ウォーリアーズ
定職にも付かないで、彼女と二人で暮らしながら、ブラブラしている時代が2年くらいありました。
平成3年から平成5年にかけてのことで、世の中はちょうどバブルが破綻したばかり。
その後の「氷河期」とか「失われた20年」とか、そんな時代がやって来るなんて、そのときは、まだあまりよく分かっていなかったような気がします。
僕の仕事は夜の塾講師だったので、昼間は部屋で音楽を聴いているだけ。
完全に社会から取り残された2年間だったなあと思います。
ある日の午後、隣の部屋から大音量でレッド・ウォーリアーズの「ルシアン・ヒルの上で」が聴こえてきました。
それはもう「聴こえてきました」なんていうレベルではなくて、互いに窓を開け放していることもあって、ほとんど爆音みたいな音量。
隣の部屋に引っ越してきたばかりの女の子が、ユカイのボーカルに合わせて、これもめっちゃ大きな声で歌っています。
キャンディ・ストアの前で
カラッポのサイフの中のぞいて
苦笑いをしてたあの頃から
何もなかったように月日は流れても
まだ俺は夢を見てる
ほとんど自分の部屋のステレオで大音量で聴いているかのような「ルシアン・ヒルの上で」。
でも、全然うるさいとも思えないで、僕は隣の部屋の彼女の歌と一緒に、レッド・ウォーリアーズの音楽を聴いていました。
いつまで、こんな生活を続けていくのかなあ、なんて考えながら、、、
まとめ
ということで、以上、今回は、人生に迷ったときに聴きたくなる、1980年代ロックの名曲をご紹介しました。
個人的に、平成初期の頃が一番「チクショー!」って感じだったので、当時、励まされながら聴いていた音楽ばかりです。
ちなみに、フリーターとしてブラブラしていた僕は、平成5年(1993年)10月16日、ようやく定職につくことができました。
そして、札幌を離れて新しい生活を始めるのですが、このあたりの話は、また、いずれ。
あれから29年。
僕は今も、あの頃に聴いていた音楽に励まされながら、何とか毎日を乗り切っています。