庄野潤三「ニューイングランドびいき」読了。
昭和32年から33年にかけて、アメリカのガンビアという村へ留学していた庄野さんは、帰国後『ガンビア滞在記』という長編小説を書いたほか、留学時代の体験を多くの短編小説として発表している。
「婦人画報」昭和34年9月号に掲載された本作も、そんなガンビアシリーズの短編小説のひとつだ。
僕は、このガンビアシリーズを楽しみに読んでいるので、正直に言って、単行本表題作の「旅人の喜び」よりも、「ニューイングランドびいき」の方を楽しく読んだ。
「ニューイングランドびいき」は、日本からアメリカへ向かう船の中で親しくなったウィンタースティーン一家と庄野夫妻との交流を描いた小説である。
物語の前半は、船の中でのエピソードが描かれ、後半は、アメリカで再会したウィンタースティーン夫妻と一緒に、カナダ国境まで旅をする様子が描かれている。
大雑把に分類すると旅行記ということになるが、庄野さんの旅行記は、厳密には旅行記とは言えないような味わいがある。
ドロシイの弟が買ったこの古ぼけた農家に住んで暮すことになったとしたら
もし私が、かりに家族全部でヴァーモント州のニューポートへ来て、ドロシイの弟が買ったこの古ぼけた農家に住んで暮すことになったとしたら、六月の晩の今時分、私の家の三人の子供はあの隣りの家の子供の中にまじって云って走り廻っているだろう。そうすると私は出かけて行って、「おい、何時まで遊んでいる。もう帰って寝なさい」と私の家の子供に云うことになるかもしれない。(庄野潤三「ニューイングランドびいき」)
ウィンタースティーン夫妻と一緒に、カナダ国境へ旅をしたとき、彼らは、ニューポートで暮らしているドロシイ(ウィンタースティーンの妻)の弟を訪ね、彼が買ったという古い農家を見せてもらう。
この古い農家を見ながら、なぜか、庄野さんは、子どもたちと一緒に、この古い農家で暮らしている自分たちの姿を想像してみせる。
アメリカ滞在中に、庄野さんが、こういうことを考えているのは珍しい。
まるで『ザボンの花』のワンシーンを思わせる描写は、アメリカの古い農家が庄野さんの郷愁を呼び起したことによるものなのかもしれない。
こういう場面描写が、庄野文学の大きな魅力のひとつであることは言うまでもない。
旅行記が旅行記を超えて庄野文学として昇華されている。
人にも侮られず、自分も人を叱らず、そんな風に暮すことができたら。
ゆり椅子もあった。部屋の隅にこの椅子を置いて何もしないで、椅子をゆすっている自分を私は想像した。老年になって、もう何事をも欲せず、願わず、黙って一日、椅子をゆすっている。人にも侮られず、自分も人を叱らず、そんな風に暮すことができたら。(庄野潤三「ニューイングランドびいき」)
アメリカン・コロニアルと呼ばれるデザインの椅子を製作している家具工場で、庄野さんは、そんなことを考えている。
こんな場面も、僕には『ザボンの花』を思い出させる。
『ガンビア滞在記』を読んでいるときには、あまり気にならなかった描写だ。
こんな場面が登場するから、僕は、この短編小説を好きだと感じたのかもしれない。
書名:旅人の喜び
著者:庄野潤三
発行:1964/2/25
出版社:河出書房新社(河出ペーパーバックス)