文学鑑賞

車谷弘「わが俳句交遊記」エピソードに富んだ作家と俳句の回想録

車谷弘「わが俳句交遊記」あらすじと感想と考察

車谷弘「わが俳句交遊記」読了。

本書「わが俳句交遊記」は、1976年(昭和51年)、角川書店から刊行された随筆集である。

この年、著者は70歳だった。

なお、本作品は、1977年(昭和52年)、芸術選奨文部大臣賞を受賞している。

文士にまつわる小エピソードがたくさん

本書は、『文藝春秋』『オール読物』で編集長を務めた車谷弘が綴った、作家と俳句の回想録である。

文士にまつわる一つ一つの小エピソードもいいし、随所に挿入される俳句もいいし、著者の情緒的な文章もいい。

一番最初に読んだ「年越そば」は、幸田露伴の思い出から始まり、久保田万太郎、渡辺水巴、川端康成、高橋義孝などが登場する。

久保田万太郎は、一夜おいて伸びたかけそばを食べるのが好きだったが、渡辺水巴は「天ぷらそば、わたしに云わせれば、あんなものは吸いものだ」と、ざるそば一点張りだった。

その水巴は、「酒がいちばんうまいと思うのは、さるそばが食べたくなった季節だね。それは山吹の咲く頃だ」と言っていたという。

締めきりに追われて、印刷会社の出張校正室で原稿を書いていた内田百閒に食事を尋ねると、そばの「かけ」と「もり」を一つずつ注文した。

高橋義孝に誘われて、神田の「やぶ」へ行ったとき、高橋は元気のいい声で「天ぬきで、一本つけてくれ」と言ったそうである。

大晦日、伊東の宿にいた幸田露伴に、佐々木茂索がのし餅を届けたとき、佐々木は「年越しそばもお届けしましょうか」と訊いた。

すると、露伴は「年越しそば、いや、あれは町人の食べるものです」と辞退したそうである。

「百鬼園」は、内田百閒の思い出を綴ったもの。

日本銀行で一万田総裁と対談したとき、百閒は「あなたはお金を借りたことがありますか」と言って、借金や質屋の話を大いに披露したものらしい。

著者が百閒の自邸をあまり訪問しなかったのは、「私が酒が飲めないから」と書いている。

歓待好きの百閒は「下戸をもてなすのはむずかしいなア」と嘆じていたのを、著者も聞いていたのだ。

だから、大雪の日に原稿を取りに行った際にも、百閒は「熱燗で、先ず一杯、というところだが、そうだ、君は駄目なんだなア」と悔しそうに言ってから、「おい、なにか、熱いうどんでもつくって、さしあげてくれ」と、夫婦で労わってくれたそうである。

「忙しいか」と訊かれたので「忙しくて困っている」と正直に答えると、百閒から叱られたこともあった。

「忙しい、というのは、そのひとに向って、きくときの言葉ですよ。自分で、自分を忙しい、というのはバカです。一日二十四時間を、自分で適当に処理出来ないでどうしますか。寝たいときは、よく寝なければいけない。世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世のバカが起きて働く、というじゃありませんか」(車谷弘「百鬼園」)

「吉屋信子」にも、いい話がたくさん入っているが、最後の忘年句会で詠んだ俳句がいい。

年の湯の湯気に消えゆく月日かな 吉屋信子

吉屋信子には「暦売知らぬ月日を抱え持つ」という句もあるが、過去や未来を表す「月日」という言葉への思いが伝わってくる。

「山廬二代」は、飯田蛇笏・龍太を中心に綴った俳句エッセイである。

井伏鱒二が「七つの街道」取材のために、境川村を訪ねる途中に立ち寄った葡萄園で、「天皇」としか彫っていない不思議な石碑を見つけたという話は興味深い。

これには、飯田蛇笏の「西日さす天皇の碑に葡萄熟る」という俳句が登場している。

瀬戸内晴美が文壇句会に初めて登場したとき、著者の車谷弘は「瀬戸内さんは、俳句は、木山捷平さんの門下だそうです」と紹介した(「寂聴尼」)。

この日、久保田万太郎が詠んだ句に「門下にも門下ありける日永かな」がある。

「桑名の宿」は、1946年(昭和21年)、安藤鶴夫に初めて小説を書かせたときの話で、安藤鶴夫は川口松太郎から「久保田万太郎の模倣だ」と叱られたという。

「そうなんです。川口さんに叱られたんです。しかし私は、いくらもがいても、どうしても、大好きな万太郎からのがれることは出来なかった。あの頃私は、あなたにあうのが辛かったんだ」(車谷弘「桑名の宿」)

安藤鶴夫が、著者にこの話を告白したのは、1964年(昭和39年)、『巷談本牧亭』で直木賞を受賞したときのことだった。

作家の良いところを見つけてすくい上げる

車谷弘のエッセイの基本精神は謙虚だということ。

あれは自分がやったとか、そういう自慢話の類いが全然ない。

自己主張しない日本人の美学を感じる。

作家に対する優しい視線も読んでいて心地良い。

編集者なんかやっていれば、嫌な思いをすることだって少なくないはずだが、この人は、作家の良いところを見つけてすくい上げるのが上手だ。

読後に残る温かい感触は、筆者の人柄によるものだろう。

書名:わが俳句交遊記
著者:車谷弘
発行:1976/10/15
出版社:角川書店

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。