NHK「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で、<『ノルウェイの森』“世界のハルキ” はこうして生まれた>を観た。
運命の分岐点も、どうやって世界のハルキが生まれたのかも、全然分からなかったけれど。
まあ、映画「ドライブ・マイ・カー」で、原作者の村上春樹にも注目が集まっているということなんだろうな。
流行作家という理由だけで詠まなかった村上春樹
村上春樹の「ノルウェイの森」(1987、講談社)が刊行されたとき、僕は大学二年生だった。
その頃、僕は小説好きの大学生が集まっている文化系サークルに所属していた。
時代の必然として、そこには村上春樹に心酔する大学生がたくさん含まれていた。
当時から僕は、現代文学というものをほとんど読まない文学青年だった。
まして、流行作家という理由だけで、村上春樹の著作を手にすることはなかった。
サークルの読書会以外では、村上春樹の作品を読んだことがなかった。
はっきり言って。
感度の高いオシャレな若者たちが愛読した村上春樹
1980年代の後半、村上春樹は文学青年のアイテムではなかった。
むしろ、感度の高いオシャレな若者たちが、トレンディという時流に乗るために読んでいるような、そんな軽薄で浮かれた印象さえ漂わせていたような気がする。
何人もの友人が、僕に「ノルウェイの森」を薦めてくれた。
誰かが薦めてくれれば薦めてくれるほどに、僕は村上春樹の小説だけは、絶対に読むまいと誓った。
そのようにして、村上春樹の作品を理解することなく、僕の大学生活は終わった。
スキー場で読み終えた「ノルウェイの森」
僕が初めて『ノルウェイの森』を読んだのは、社会人になってからのことだ。
大学を卒業してみると、どういうわけか周りには、村上春樹を好きだという人がいなかった。
ちょうど文庫本が出たばかりだったような気がする。
僕は初めて村上春樹の小説を自分で買った。
季節は冬で、僕は会社の仲間たちと一緒に、温泉のあるスキー場まで旅行に出かけていた。
世の中は、スキーがブームだった時代で、ゲレンデは多くの若者で埋もれていた。
もっとも、僕は最初からスキーを滑るつもりなんかなかった。
温泉に入って『ノルウェイの森』を読む。
ただ、それだけのために、僕はスキー旅行に参加していたのだ。
「スキー場まで来てスキーをしないなんて」と、みんなは笑った。
まるで読書のための強化合宿のようにして、僕は「ノルウェイの森」を読んだ。
すべてを読み終えたとき、誰もいないホテルの一室で、僕は一人で泣いた。
死後三十年を経ていない作家の本は原則として読まない
「ノルウェイの森」を読んで得たことが、いくつかある。
彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」(村上春樹「ノルウェイの森」)
人生は短い。
僕が最も共感できたのは、この永沢さんの言葉だ。
やっぱり、流行小説なんか読んでいてはいけないのだと、僕はその時改めて思った。
そして、こういう言葉を書くことのできる作家の小説だったら、あるいは信用できるのかもしれない、と思った。
あれから30年の時が経つ。
僕は相変わらず流行小説を読むことが苦手で、相変わらず時代遅れの小説ばかり読み漁っている。
村上春樹の小説だけは、一時期までしっかりと読んだ。
リアルタイムで読んだ作品は、「国境の南、太陽の西」が最初で最後になったけれど。