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トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の彗星」原爆の恐怖に立ち向かった少年たち

トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の彗星」原爆の恐怖に立ち向かった少年たち

トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の彗星」読了。

本作「ムーミン谷の彗星」は、1946年(昭和21年)に発表された長編小説である。

この年、著者は32歳だった。

自己主張の強いキャラクターの集団

「八月七日の午後八時四十二分、赤い彗星が地球に衝突する」──

スニフと一緒に天文台を訪れたムーミントロールは、恐ろしい予言を与えられて、ムーミン谷へと戻っていく。

彗星がやってくるまで、ムーミン谷はまったくの平和な土地だった。

海の底で真珠を集めたり、新しい洞窟を発見したり、川へ新しい橋をかけたり、庭にきれいな貝がらを並べたり。

何もかもがどす黒くなってしまった原因を探るため、ムーミントロールはスニフと一緒に「おさびし山」にあるという天文台まで旅に出たのだ。

途中で出会った旅人スナフキンを仲間に加えて、天文台へたどり着いたムーミントロールは、あの恐ろしい予言をパパとママに伝えるべく、ムーミン谷へと戻っていくのだが、、、

真の危機に直面したとき、我々はどのような行動を取るべきかということの答えが、この物語の中には隠されている。

例えば、ムーミン谷の住民たちが続々と避難している様子を見たスニフが「ぼくたちはきっとものすごく勇敢なんだ」と叫んだとき、ムーミントロールたちはこんな会話をしている。

「ぼくたちが、とくべつに勇敢なのじゃないと思うよ。ただ、あの彗星になれてしまっただけなんだ。彗星となじみになってるくらいだもん。あれを知ったのは、ぼくたちがさいしょなんだ。しかも、あれがどんどん大きくなるのを見てきたんだ。彗星って、ほんとにひとりぼっちで、さびしいんだろうな…」

「うん、そうだよ。人間も、みんなにこわがられるようになると、あんなに、ひとりぼっちになってしまうのさ」スナフキンが言いました。

スノークのおじょうさんが、ムーミントロールのうでに、手をさしこみました。「どんなことがあっても、あんたがこわがらないあいだは、わたしもこわくないの。やくそくするわ」(トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の彗星」下村隆一・訳)

この物語に特別の深みを与えているのは、個性豊かな登場人物たちの言動だろう。

恐怖を直視することを恐れて美しいものにばかり目がいく女の子「スノークのおじょうさん」、何かがあるたびに「会議を開かなくちゃ。ぼくが議長と書記になる」と指導力を発揮したがるスノーク、トラブルが起こると「こうなった責任は君たちにあるんだからな」と他人の責任を問うスニフ。

自己主張の強いキャラクターの集団は、まさしく人間社会の縮図であって、登場人物はみんな、それぞれに自分なりの折り合いを付けながら、仲間たちとの共同生活を過ごしていく。

「スノークのおじょうさん」に恋をして勇敢な少年となったムーミントロールと、物を持たない生活を愛する自由な旅人スナフキンが、この自己中心的な登場人物たちのまとめ役を務めながら、転がるようにして物語は展開を見せてゆく。

どのキャラクターを好きになるかによって、読者は自分自身を占うことにもなりそうだ。

最初のムーミン物語はどれ?

著者のトーベ・ヤンソンが『ムーミン谷の彗星』を発表したのは、第二次世界大戦直後の1946年(昭和21年)で、日本での紹介は1964年(昭和39年)になってからとタイムラグがあるが、トーベ・ヤンソンの原作そのものが、何度か改訂されているといった事情もあった。

トーベ・ヤンソンのムーミン物語は、1945年(昭和20年)の『小さなトロールと大きな洪水』が最初の作品だが、第二次世界大戦直後の混乱期に小冊子として出版されたものであり、原作そのものが永く絶版となっていたため、日本での紹介時には、本書『ムーミン谷の彗星』が第1作目として扱われていた。

1991年(平成3年)に『小さなトロールと大きな洪水』が新たに出版されて以降、『ムーミン谷の彗星』はムーミン物語2作目の作品として親しまれているが、日本で最初に知られることになったムーミン物語であることに変わりはないだろう。

書名:ムーミン谷の彗星
著者:トーベ・ヤンソン
訳者:下村隆一
発行:1981/2/10
出版社:講談社青い鳥文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。