僕らの世代でチューリップのヒットソングといえば「虹とスニーカーの頃」を思い出す人が多いのではないだろうか(小学6年生の時だった)。
だけど、僕にとってチューリップは「ふたりがつくった風景」だ。
大学を卒業して、社会人になって2年目の秋に、一人の女の子と一緒に暮らし始めた。
同棲なんていう大げさなことは考えなかった。
一人暮らしの僕の部屋に、彼女が一人で転がり込んできたのだ。
女の子と一緒に暮らすのは、それが初めてのことだった。
間もなく、僕は会社を辞めて、学習塾で講師のアルバイトを始めた。
彼女は近所の歯医者で仕事を見つけてきていた。
毎朝、僕はベッドの中でまどろんだまま、仕事に出かける彼女を見送った。
僕の仕事は夜だったから、彼女との生活のリズムは、全然違うものだったからだ。
ラジオから流れるチューリップの古いヒット曲を聴いたのは、そんな暮らしをしていた頃のことだ。
ひとりベッドにぼくを残して
いつも出掛けたね 君は早い朝
ふたりを起こした眼覚まし時計
今でもこの部屋の時を刻むよ
雪がたくさん積もった 街がいつもと違った
のら猫を君が拾ってきた あの夜
(チューリップ「ふたりがつくった風景」)
それは、1981年に発売された「ふたりがつくった風景」という曲だった。
「♪ひとりベッドにぼくを残して、いつも出掛けたね、君は早い朝~」というフレーズが胸に沁みた。
上司と喧嘩をして勢いで会社を辞めてしまった僕は、新しい就職先を探さなければならなかった。
ちょうどバブル経済が弾けた直後で、友だちは「バカなやつだ」と笑った。
平日の午後の部屋でラジオを聴いていると、世の中に取り残されていくような気がして、やりきれなかった。
まして、彼女は「ひとりベッドに僕を残して」、毎朝、仕事へ出かけて行ったのだから。
のら猫を君が拾ってきた、あの夜
ある雪の夜、彼女が野良猫を拾ってきた。
僕は一晩だけ預かるつもりで、猫を部屋に置いた。
人間に慣れているところを見ると、捨て猫らしい。
猫はあっという間に、僕らの暮らしの中に溶け込んでしまった。
「♪雪がたくさん積もった、街がいつもと違った、のら猫を君が拾ってきた、あの夜~」は、まさしく、僕らの生活そのものの風景だった。
あまりにもできすぎているような気がするけれど、事実なんだからしょうがない。
しかも、彼女が拾ってきた猫は妊娠していて、間もなく、5匹の子猫を産んだ。
彼女が仕事へ出かけた後、僕は6匹の猫の世話をしながら、ラジオを聴くようになった。
仕事は相変わらず見つからなかった。
僕はベッドの中で彼女を見送り、猫の世話をして午後を過ごし、夕暮れがせまる頃にアルバイトへ出かけた。
夜更け近くに部屋へ帰ると、彼女が夕食を作って、僕を待っていた。
6匹の猫が泣きわめいている、狭いアパートの部屋で。
あれから30年の時が経った。
チューリップの「ふたりがつくった風景」を聴くと、今でも、あの頃の暮らしを思い出す。
世の中に取り残されていきそうで、焦りだけが募っていた、あの頃のことを。