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新保祐司「ハリネズミの耳」クラシックを文学で語る音楽エッセイ集

新保祐司「ハリネズミの耳」あらすじと感想と考察

新保祐司「ハリネズミの耳——音楽随想」読了。

本書「ハリネズミの耳」は、2006年(平成18年)から2011年(平成23年)にかけて、月刊の音楽情報誌「モーストリー・クラシック」に連載されたコラムを書籍化したものである。

ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている

どうして「ハリネズミ」なのか?

「狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている」と言ったのは、古代ギリシアの詩人アルキロコスである。

思想史家アイザイア・バーリンは、人間を「ハリネズミ族」と「狐族」の二つに大別し、「ハリネズミ族」とは、一つの基本的なビジョンによって、物事を考えるタイプの人間であると定義付けた。

著者は、音楽を聴く耳にも「ハリネズミの耳」と「狐の耳」があるのではないかと指摘する。

例えば、今日ではモーツァルトについて「たくさんのことを知っている」人間が増えているだろうが、モーツァルトの音楽の中に鳴っている「でかいこと」を何人が聴きとっているであろうか。小林秀雄は、今日に比べれば、資料や録音などがはるかに少ない時代に、「でかいことただ一つ」、即ち「疾走する悲しみ」をたしかに聴きとったのである。(新保祐司「ハリネズミの耳——音楽随想」)

音楽の中に鳴っている「でかいことを一つだけ」聴きとろうとするのが、つまり、ハリネズミの耳だ。

本書は、そんなハリネズミの耳をもって、クラシック音楽を楽しんでいる著者による音楽エッセイである。

文学を引用して音楽を語る

本書の特徴は、クラシック音楽を文学評論家の視点で文章化しているところにある。

例えば、ペルゴレージの「スターバト・パーテル」を採りあげるにあたって、著者は詩人の立原道造を引用している。

立原道造の詩が決して暗くならず、優しく、さわやかであるように、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」は、青春のただ中で死んだ人間が歌ったものらしく、優美である。モーツァルトの「レクイエム」が、三十五歳の男の人生の苦悩が滲みこんだ音楽となっているように聴こえるのとは対照的である。(新保祐司「ハリネズミの耳——音楽随想」)

R・シュトラウスの「アルプス交響曲」では、石川啄木が登場している。

私は、この「アルプス交響曲」を、石川啄木の絶唱「ふるさとの山にむかひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」のようなものだと思っている。ミュンヘン生まれのR・シュトラウスにとって、アルプスは「ふるさとの山」のようなものであろう。(新保祐司「ハリネズミの耳——音楽随想」)

石川啄木は、もうひとつ、ラフマニノフの「交響曲第二番ホ短調」でも引用がある。

著者は、パーヴォ・ヤルヴィの指揮で、交響曲二番の有名な第三楽章アダージョを聴いているとき、石川啄木の「みぞれ降る石狩の野の汽車に読みしツルゲエネフの物語かな」という短歌を思い出す。

そして、第三楽章アダージョは「汽車に読みしツルゲエネフの物語」のように悲しく美しい。ツルゲーネフの小説に出てくるロシアの貴族の美しい令嬢の幻像が、眼に浮かんでは、またはかなく消えていくようである。(新保祐司「ハリネズミの耳——音楽随想」)

音楽エッセイというと、やたら専門的なものが多いが、本書は、普通の音楽好きが読んで楽しいように綴られている。

例えば、著者は、NHKテレビの「名曲アルバム」が好きだが、番組中でグレツキの「悲歌のシンフォニー」を初めて聴いたという。

普通の「名曲鑑賞」的な「名曲アルバム」とは全く違って、そこには歴史の真実の悲しみと厳しさがあらわれていた。その後、この「悲歌のシンフォニー」がとりあげられた「名曲アルバム」を見たことがない。もしかすると、「名曲アルバム」のコンセプトからすると余りに深刻な音楽なので、放映がとりやめになったのかもしれない。(新保祐司「ハリネズミの耳——音楽随想」)

「名曲アルバム」で新しい曲と出会うというのも、いかにも庶民的である。

自分(読者)と同じ目線で話をしている感じがして楽しい。

シューベルトの歌曲は、テノールが歌うべきだ

こういう音楽エッセイは、新しい音楽との出会いに期待するところが大きい。

イアン・ボストリッジの「冬の旅」は、このエッセイを読んで聴くようになった。

「シューベルトの歌曲は、テノールが歌うべきだと、もともと私は思っている」と、著者は言う。

シューベルトの歌曲にあるのは、「青春」の絶望であり、夢であり、悲しみである。「青春」の恋愛であり、希望である。すべて「青春」のものなのである。それを表現するには、テノールが向いているのである。(新保祐司「ハリネズミの耳——音楽随想」)

バリトンのフィッシャー=ディースカウでは、シューベルトの歌曲にある「青春」がよく表現されないと、著者は指摘しているのだ。

こういう音楽の聴き方は、いかにも「ハリネズミ的」だなと、僕は思った。

本書のタイトルが、とてもよく理解できた瞬間である。

書名:ハリネズミの耳——音楽随想
著者:新保祐司
発行:2015/11/27
出版社:港の人

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。