旧・文芸スノッブ

庄野潤三「メジロの来る庭」80歳の作家の日常とかつての作品への思い

庄野潤三「メジロの来る庭」あらすじと考察と感想

庄野潤三「メジロの来る庭」読了。

あとがきには「子供がみんな結婚して『山の上』のわが家に二人きり残された夫婦が、いったいどんなことをよろこび、どんなことを楽しみにして生きているかを描く私の仕事は、どこまでも続いてゆく」「『貝がらと海の音』(新潮社・1996年)に始まり、文芸誌を舞台として続けて来た私の仕事の九作目に当る」「このあとは十作目となる「波」の連載が待っている」とある。

本作『メジロの来る庭』の中で、作者の庄野さんは80歳の誕生日を迎えている。

物語は2002年1月26日に始まり、9月9日に終わっているが、本作の連載は「文學界」2003年1月号から12月号までだから、本作執筆時の庄野さんは81歳になっていた。

老境を迎えた作家が、かつて自分が発表した作品について振り返る場面は良いものだ。

夕方の読書。夕食前に図書室のソファーで本棚からとり出した本を読む。今日の読書タイムは『明夫と良二』(岩波書店)を読む。長女が結婚した年の結婚式を迎える前の私たち一家の様子が詳しく書きとめられている。長女の結婚式が近づいて来るころ、私たち一家がどんなふうに一日一日を過したかを描いたものには、野間文芸賞を受賞した『絵合せ』がある。これは、家族が集まって「絵合せ」のゲームに熱中する話で、短篇であった。「絵合せ」をしていて、うまくやったのでよろこんだ明夫(上の男の子。浪人中)が、逆立ちしたりする話が出て来る。『明夫と良二』の方は、こどもの本をと岩波から頼まれて、書き下ろして書いたものである。(庄野潤三「メジロの来る庭」)

夕食前に、自宅の書斎で古い著作を読む老齢の作家。

その著作は、かつて3人の子どもたちと一緒に暮らしていた頃に書かれた家族小説で、作家にとっては、古い家族アルバムを眺めるような気持ちだったのだろうか。

事実に基づいて描かれた私小説だから、作者にとっては日記のようなものである。

奇想天外な出来事を書いているわけではないから、読者は共感を得やすい。

『明夫と良二』は1972年刊行の本なので、『メジロの来る庭』の中では、ちょうど30年後ということになるが、30年という時間の流れを、庄野さんは自分の作品を通して感じている。

現代の読者は、そんな80歳の作家が感じている時の流れを通しながら、文学の持つ味わいに触れて楽しんでいるのだろう。

いくつもの著作を通して共感を生む庄野文学

些細な日常生活を描いた「夫婦の晩年シリーズ」だが、本作では、庄野さんの妻の母親が亡くなるという事件があった。

104歳の大往生で、庄野夫妻は葬儀に出席するために広島へ向かうエピソードが描かれているのだが、この「妻の母」は、かつて『ガンビア滞在記』(1959年)という作品に登場している。

戦後、庄野夫妻がロックフェラーの基金で一年間のアメリカ留学をしたとき、二人には既に3人の子どもたちがいた。

このとき「石神井公園の麦畑のそばの留守宅でまだ幼い下の男の子を含めて三人の子供の面倒をみてもらった」のが、今回104歳で亡くなった「妻の母」である。

アメリカでの暮らしを詳細に再現した作品には『シェリー酒と楓の葉』(1978年)や『懐しきオハイオ』(1991年)といった作品もあるが、アメリカで暮らしながら東京の子どもたちを案じる夫婦の様子が頻繁に登場している。

3人の子どもたちの世話で「妻の母」が体調を崩したときなど、庄野夫婦の心労も相当のものだったらしい。

ひたすら家族を描き続けてきた庄野さんだからこそ、その著作を通して、読者も作者の思いを共有できるのだと思った。

作品:メジロの来る庭
著作:庄野潤三
発行:2004/4/10
出版社:文藝春秋

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。