古い雑誌を読んでいたら、ジャズバー店主時代の村上春樹さんを発見しました。
今では大作家の村上先生ですが、デビュー後もしばらくは、ジャズバーのマスターをしていたんですよね(しみじみ)。
ということで、今回は、古い『ブルータス』に載っている村上春樹さんの記事と写真を紹介したいと思います。
かなりレアですね、若き日の村上春樹さん♪
創刊したばかりのブルータスのこと
今回、ご紹介する雑誌は、マガジンハウス社の『BRUTUS(ブルータス)』1980年12月1日号(No.9)です。
雑誌『ブルータス』といえば、成人男性では知らない人がいないくらいの超有名雑誌(おそらく成人女性も)ですが、この1980年12月時点では、まだ今ほどの知名度はありませんでした。
だって、『ブルータス』は1980年の5月に創刊されたばかりの、真新しい雑誌だったのですから。
創刊時は月刊誌でしたが、手応えが良かったのか、7月以降は月2回の発行となっています(これは現在も変わっていません)。
当時のコンセプトとしては、『POPEYE(ポパイ)』を読んで大人になったシティボーイのための雑誌ということで、先進的な都市生活者に向けた特集が次々と提案されていました。
ジャズバー「ピーター・キャット」店主の村上春樹さん
そんな都会人向けの雑誌『ブルータス』に、デビュー当時から登場していたのが、オシャレで現代的な作品で人気を獲得しつつあった、小説家の村上春樹さんです。
村上さんのデビュー作「風の歌を聴け」が掲載されたのは、文芸誌『群像』1979年6月号。
このとき、村上さんは30歳で、千駄ヶ谷でジャズバー「ピーター・キャット」を経営するマスターでした。
小説家としてデビューした後も、村上さんは「ピーター・キャット」を続けながら、執筆活動に勤しみ、1980年6月には二作目の長編小説「1973年のピンボール」を発表します。
今回、紹介する『BRUTUS(ブルータス)』1980年12月1日号(No.9)には、「1973年のピンボール」を発表したばかりの村上春樹さんが登場しています。
もちろん、ジャズバー「ピーター・キャット」のマスターとして。
村上さんが「ピーター・キャット」を手放して作家業に専念するのは、1981年のこと。
『BRUTUS(ブルータス)』1980年12月1日号(No.9)に登場している村上さんは、ジャズバーのマスターと小説家を兼業している、最後の時代だったと言っていいのかもしれませんね。
もっとも、村上さんと『ブルータス』とは未だに仲が良いらしくて、つい最近も『ブルータス』では、二号続けて村上春樹特集をしたりしていました。
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『ブルータス』で二号続けて特集されるなんて、村上先生もやっぱり出世したんですね。
ブルータスの特集「男には隠れ家が必要である。」
今回ご紹介する『BRUTUS(ブルータス)』1980年12月1日号(No.9)の特集名は「男には隠れ家が必要である。」。
サブタイトルとして「ブルータスが考える男の空間学」とあります。
『ブルータス』って、こういう特集名が大事だったんですよね。
やたらに「男」にこだわっていたのも、当時の『ブルータス』っぽいです。
山上のアトリエ、地下室のガレージ、都心のロフト、郊外の別荘、書斎、キッチン、寝室、、、
とにかく、様々な視点から「男の隠れ家」が論じられていて、その取材範囲は日本を飛び出してニューヨークにまで及んでいます。
いつの時代も男性って、自分だけの空間が欲しいものなんですね、、、
ジャズ・クラブ「ピーター・キャット」の村上春樹
前置きが長くなりましたが、いよいよ我らが村上春樹さんの登場です。
「《日本編・男の隠れ家》11人の男の思想と実践に迫る。」というコーナーで、11人の男性の中の一人として、まるまる1ページ使って紹介されていますよ。
男が書く小説のなかに、いつも素敵なバーが登場する。お気に入りのカウンターのあるバーで好きなジャズを聴く、充実した時間。そんな時間を手に入れたくて、店を造ってしまった。営業時間外、店はオーナーの隠れ家となる。
いやー、カッコいい滑り出しですね。
この頃の村上春樹さんのイメージって、まさしく、こんな感じでした。
僕が村上さんの作品を読むようになるのは、このときから10年も後の話ではありますが。
村上春樹氏(31歳)のデビュー作『風の歌を聴け』では<ジェイズ・バー>というバーが重要な舞台になっていた。2作目の『1973年のピンボール』にも、そのバーは登場する。「あのバーは実在しません。ああいうバーがあればいいなと思って書いたのです」
<ジェイズ・バー>は、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の、いわゆる「鼠三部作」に共通して登場するバーの名前です。
「鼠三部作」は、物語の語り手である「僕」と、その親友「鼠」、そして、二人が常連となっている「ジェイズ・バー」の店主「ジェイ」、その三人の男たちの友情の物語でもあります。
まだ村上春樹を読んだことがないという人は、ぜひ、この「鼠三部作」から読み始めることをお勧めします。
読みやすくておもしろいので、無理なく村上春樹デビューができると思いますよ。
村上氏は小説家として、その名が知られるようになったが、本職は代々木にあるジャズ・クラブ「ピーター・キャット」のオーナーだ。店は村上氏の趣味に徹して造ってある。テーブルは一つ一つ形が違う。アンティークの家具屋を歩きまわって集めたものだ。
1990年代に入って、村上春樹の小説を読むようになった後、一度でいいから「ピーター・キャット」に行ってみたかったと思いました。
1980年当時、管理人はまだ13歳の中学一年生なので、現実的に無理なんですけど。
でも、行ってみたかったなあ。
感じのいいカウンターがある。営業時間終了後、このカウンターでウイスキーを飲む。その時間にジャズ・クラブは絶好な隠れ家になる。お気に入りの家具に囲まれ、3000枚のレコード・コレクションのなかから愛聴盤をひっぱりだして店内に流し、客のいなくなった店でユックリ飲む。ぜいたくな時間だ。
デビュー作「風の歌を聴け」や長篇二作目「1973年のピンボール」などの長編作品は、お店の営業時間が終了した後の時間を使ってコツコツ書いたと言われています。
長編小説なのに断片的な構成になっているのは、そんな細切れの時間を使って書いたためだとも。
長篇小説の醍醐味に欠けるとも言われますが、僕は、断片的な素材をコラージュしたような初期の作品も好きです。
むしろ、ああいう作品をもう一度読んでみたいけれど、村上さんはもうジャズ・クラブのオーナーではないし、31歳の若き作家でもないんですよね、、、
それにしても、カウンター席に足を組んで座っている村上さん、いかにもポーズを取っているように見えて笑ってしまいました(爆)
飲んでいるのはビールではなくてコーヒーのようですが、左手にはしっかりと煙草が。
Tシャツ、ジーンズ、スニーカーは、村上ファッションの三種の神器。
群像新人賞の授賞式にもスニーカーで出席したというのが、若き日の村上さんの自慢話の一つなので、こういうファッションで取材に応じているところが、いかにも村上春樹さんらしいなあと思いました。
ああ、こういう記事を書いていると、久しぶりに「鼠三部作」を読み返したくなりました。
僕の場合、一年に一度は読み返しているんですよね、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の鼠三部作。
まとめ
ということで、以上、今回は、ジャズ・クラブ「ピーター・キャット」のオーナーが本業だった時代の村上春樹さんについて、ご紹介しました。
古い雑誌を読んでいると、いろいろと新しい発見があるので、本当に楽しいです。
今では忘れられてしまった人たちがいるかと思えば、まだ無名だった時代の大物が何気に登場していたりだとか。
古い雑誌巡りの旅は、これからも続けたいと思います。