文学鑑賞

飯田龍太「思い浮ぶこと」俳句と釣りを愛した俳人が綴る随筆という醍醐味

飯田龍太「思い浮ぶこと」あらすじと感想と考察

飯田龍太「思い浮ぶこと」読了。

あとがきには「この随筆集は、前著『無数の目』についで、昭和四十七年の春から六ヶ年間に発表した雑文を纏めたものである」「「俳句の風土」と題し、『中央公論』に二ヶ年間にわたって執筆した小文の連載が終ったところで、昭和五十三年の秋、単行本として刊行した」とある。

ざっくりと言えば、俳句と釣りと交友関係の話が多い。

俳句に関しては、毎日ひとつの俳句を書き残す「一日一句」の話がいい。

「俳句遠近」の中に「上達の秘訣」として提唱しているものだが、俳句を上手になりたいと思うのだったら、毎日ひとつの俳句を書きつけていくといい。

ただし、どんなに忙しいときでも体調の悪いときでも、必ず一句を書かなければならない。

逆に、調子が良くて、たくさんの作品ができるような日であっても、書き残すのは、その中で一番気に入った一つの句だけ。

これを三百六十五日続けたら俳句も上達するだろうというもので、毎日必ず一つの俳句を書き残すというのは、簡単そうに見えて決して簡単なことではないと思われる。

俳句上達法としては、「俳句は石垣のようなもの」の中に、いついかなる季節でも、自分の好きな先人の俳句を、一句だけ記憶していること、というのもある。

大切なことは、これからやってくる目前の季節をとらえた俳句であることで、一月の終りであれば二月の作品から一句を選ぶというようにすると、季節感に敏感でいることができる。

釣りの話では「ヤマメと手打ち蕎麦」がいい。

戦後間もない頃、八ヶ岳の麓にある乙事という部落の文化祭に招かれたとき、講演が終わった後の食事で供された手打ち蕎麦のつけ汁には、干魚にして保存したイワナのダシがたっぷりと入っていたそうだ。

渓流沿いの道から真蒼に澄んだ淵を覗くと、尺ヤマメの黒い影が無数に見えたというのだから、釣り人にとっては垂涎の光景である。

もっとも、龍太先生は「私は、二年ほど前から、ヤマメ釣りを止めた」「みずから定年を課したのだ」「このまま続けていると、いずれは「川立ちは川に果てる」という諺通りになるにちがいない」と、ヤマメ釣りを引退したことを綴っている。

ヤマメ釣りの引退の話は「釣りのことなど」にも出ていて、「渓流釣りの定年は五十歳だそうだ」とある。

渓流釣りの本質を知っているからこその潔い判断だったということだろうか。

日本銀行長崎支店へ金子兜太を訪ねる

交友関係の話としては、木下夕爾、金子兜太、永井龍男、庄野潤三、車谷弘などが登場している。

「長崎の一夜」は、日本銀行長崎支店でビジネスマンをしていた金子兜太を訪ねる話。

長崎市内を観光した龍太先生は「勝手に歩き廻っているうち、山がかったところの妙なスラム街に出た。坂道の片側は一面の墓地。それも多くは原爆のための無縁墓とみえ、墓石が散乱したまま。これはこれでスラムとはまた別の鬼気があった」と綴り、その後に、兜太の『長崎にて』で、「華麗な墓女陰あらわに村眠り」「山上の墓原をゆく天を誹り」などの作品を見たときには、すぐに上記の場所を思い出したという。

この夜の兜太との初対面の酒宴はおおいに盛り上がったらしく、兜太の作品を褒めると「うん、あれは天下の名作です」と喜び、批判したときであっても「いや、あれは天下の名作です」と、不愉快になることもなく、ぬけぬけと自画自賛したそうである(兜太先生はさすがだ)。

甲州の無名の俳人を紹介する「無名極楽—村の俳人たち」もいい。

戦前までは、その滝水に頭を打たすと、気狂い病が癒るといわれた。素肌に経文を書いた晒をまとい、両手両脇を肉親に押えられた狂人が滝に打たれている情景を私も何度か目撃した。髪をふり乱し、顔面蒼白となって泣きさけぶ声が、鬱蒼と茂った欅の林にこだました。しかし、しばらくすると、糸を曳くようにか細くなって、いつかその声も杜絶える。(飯田龍太「無名極楽—村の俳人たち」)

ひとつの俳句の中から、様々な情景が甦ってくる。

むしろ、こうした記憶を呼び起こすものこそが、俳句であるということなのかもしれない。

小さな旅—庄野潤三氏のこと

本作「思い浮ぶこと」には、「小さな旅—庄野潤三氏のこと」という随筆が入っている。

初出は「『庄野潤三全集』月報8」で、原題は「小さな旅のことなど」だった。

「庄野さんの作品を読むと、私は、自分の健康状態がいっぺんでわかる」という一文から始まっている。

そして、「ながい作品が短く、短い作品がながく、そういうときは身体の調子が上々で、気持が落着いている確かな証拠である」と続いている。

ここで龍太先生が例として紹介しているのが、庄野さんの「絵合せ」という中編小説だ。

龍太先生がこの作品をあっという間に読み終えたとき、裏の竹藪で蜩が鳴いていて、「蜩の鳴いて机の日影かな(子規)」という俳句を思い浮べるくらいに、読後の印象と実にぴったりの雰囲気だったという。

次に紹介されているのは、同じ作品集の中の「仕事場」と「鉄の串」という短篇小説で、「この二篇は、読み終った途端に時間が逆流する。作者の手を離れた人物が勝手に生きかえって、いつまでも残像が消えない」とある。

「ながい作品は豊饒な詩情でつらぬき、短い作品はきびしい散文の搾木にかけるためだろうか」というのが、龍太先生の分析だ。

その上で、龍太先生は「長短いずれにも共通することは、文章に余計な騒音がないことだ」と言う。

「速度があっても動揺がないことである」と言う。

例えるなら、これは昔のプロペラ機と新しいジェット機の乗り心地の違いということになるらしい。

随筆の後半は、初めて庄野さんと旅行をしたときの回想記である。

「昨年の秋、私は初めて庄野さんと小さな旅をした。同行五人、甲州と信州の境の別墅に居る共通の知人を訪ねるためであった」とあるから、昭和48年の秋のことであったらしい。

下界は初秋、別墅は深秋、そこから十分ばかり車で上った広大な原野には、既に初冬の風が吹いていて、「庄野さんは眼を細め、ほのかな微笑をうかべて、飽かず風景に見入っていた」という。

綺羅をつくした雑木林の黄葉、遠く夕靄をまとって烟るように見える落葉松の群々は、鮮明で柔らかく、ゆとりがあって無駄がない。

それは、まるで「庄野さんの作品そっくりじゃあないか」と、龍太先生は思ったらしい。

その夜は、龍太先生がヤマメ釣りの常宿にしているという、釜無川の本流沿いにある鉱泉宿に泊まるのだが、離れの部屋へ向かう狭苦しい急な階段が、尾長鳥のように大仰な音を立てたとき、庄野さんはすかさず「おや、これはいい。ウグイス階段だ」と言った。

小柄な龍太先生でも尾長鳥のような音がするのだから、重量のある庄野さんが歩くと、カケスか椋鳥が一斉にわめき翔ったような音がする。

それでも、庄野さんは、こんな素朴な素晴らしい宿に案内していただいて実に有難い、愉しい旅になりましたと言っていたという。

翌日は近くの養殖場でヤマメ釣りをするのだが、庄野さんの竿にも尺近い大物がかかった。

庄野さんは「両手でしっかりと竿をにぎりしめ、大地に足をつけたその姿は、野球でいうならまさに長打一発という恰好」だった。

やがて、尺ヤマメは庄野さんの手元にゆっくりと寄せられてくるのだが、最後に龍太先生は「釣りばかりではない。庄野さんは、どんな場合でもかりそめにことを進めないひとである」と、この随筆を締めくくっている。

本随筆集には、もうひとつ、庄野さんが登場する作品がある。

「風土・十二ヶ月」の中の「栴檀の花」という作品である。

先ごろ、共通の友人の葬儀に参列し、井伏鱒二、庄野潤三両氏と同車しての帰途、車中でそんな話が出た。「しかし、栴檀は双葉より芳し、というあの木は、楝のことではないんだ。…の一種なんだね」と井伏先生がいったが、そのとき、傍らを大型トラックが通り過ぎて聞きもらした。(飯田龍太「栴檀の花」)

龍太先生と井伏さん、庄野さんの関係を思わせる文章だが、これを読んだとき、『井伏鱒二・飯田龍太往復書簡』の中にも、庄野さんの名前が登場していることを思い出した。

何にしても、龍太先生の随筆集は読みやすく、そして、読んでいて気持ちのいい随筆集である。

そういう意味では、井伏さんや庄野さんの随筆集と同じような味わいがあると思った。

書名:思い浮ぶこと
著者:飯田龍太
発行:1981/8/10
出版社:中公文庫

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。