俵万智の「サラダ記念日」は、1987年度最大のベストセラー作品である。
一人の若手歌人の作品集のタイトルは(しかもデビュー作)、日本中で知らない者はいないとまで思われる流行語となった。
本書「サラダ記念日」には全部で430余首の作品が収録されているが、その一番最初の作品は「この曲と決めて海岸線の道とばす君なり『ホテルカリフォルニア』」である。
1985年に「野球ゲーム」で角川短歌賞の次席となった著者は、この時既に日本短歌界のホープとして注目されており、翌1986年に「八月の朝」で角川短歌賞を受賞した時は、現代歌壇界の話題を独占する存在となっていたが、それでも、「短歌の本は売れない」と角川出版が書籍刊行を見送るくらい、一般的な知名度はほとんどなかった。
「サラダ記念日」というと恋愛歌の印象が強いが、最初から最後まで通読すると、恋愛以外の作品も少なくないことが分かる。
「ひところは『世界で一番強かった』父の磁石がうずくまる棚」や「『また恋の歌を作っているのか』とおもしろそうに心配そうに」などを含む「朝のネクタイ」は、父を詠んだ作品群であり、身近な娘の目線からとらえられた父の姿が、温かく読み込まれていて好感が持てる。
「橋本高校」は、現役教師としての立場によって詠まれた作品群で、「『路地裏の少年』という曲のため少しまがりし君の将来」「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」など、子どもたちに対する柔らかい愛情表現が、女性教師・俵万智の姿を想像させる。
大切なことは、どの作品も、未だに古くなっていないということだろう。
最高のトレンドでありながら、時代を超越した普遍性を同時に抱えていたことで、「サラダ記念日」は幅広い世代から支持されたのかもしれない。
新しい女性の価値観としての共感
もう一点は、失恋の歌としての新しさである。今あげた四首を見てもあきらかだが、石川啄木に代表されるような、明治末年来ずっと長いあいだ短歌のトレード・マークだった暗さとしめっぽさとは完全に無縁な失恋の歌である。ここでの男と女の関係は、思わせぶりな陰影などとっぱらってしまったそれだ。(佐々木幸綱「跋」)
多様なテーマを歌っているとしても、俵万智最大の魅力は、その恋愛歌にあったことは間違いない。
例えば、「ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう」は、まるで散文のように自然な一文を短歌としている作品だが、何でもないことのように「男を捨てる」という軽さが、新しい女性の価値観として共感を呼んだ。
爽やかな恋愛模様を女性目線から自由な口語体で詠む作風が、当時流行していた「新人類」という言葉と重ね合わせられたこともあり、俵万智は当時の若者を代表する存在となったのだ。
たった一つの「いいね」で幸せになれる
短いということは、表現にとってマイナスだろうか? そうは思わない。自分のなかの無駄なごちゃごちゃを切り捨て、表現のぜい肉をそぎおとしてゆく。そして最後に残った何かを、定型という網でつまかえるのだ。切り捨ててゆく緊張感、あるいは切りとってくる充実感。それが短歌の魅力だと、私は思っている。(俵万智「あとがき」)
「サラダ記念日」の表題は、もちろん「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」の作品によるものだ。
2020年7月6日のツイッターで、著者の俵万智は「今は「いいね」の数を競うような風潮があるけれど、これはたった一つの「いいね」で幸せになれるという歌です」というつぶやきを投稿した。
30年以上昔の作品を、今も自然体で解説できることの素晴らしさを思わずにはいられない。
そして、それは、「サラダ記念日」が著者自身も決して超えることのできない、巨大な怪物になってしまったことを示している。
弱冠25歳で「280万部のいいね」を獲得した、巨大な怪物に。
書名:サラダ記念日
著者:俵万智
発行:1987/5/8
出版社:河出書房新社