「おまえ、ヤマタツ知ってるか?」と言ったのは、下宿の先輩だった。
先輩と言っても、同じ大学の1年生で、二浪していた彼は、僕より二歳年上だった。
1986年の夏である。
「ヤマタツと言ったら山下達郎でしょう?」と、僕は言った。
ちょっと前に「高気圧ガール」とか「RIDE ON TIME」とかがヒットした、やたら夏っぽいイメージのミュージシャン。
でも、浜田省吾情報によると、山下達郎はサーフソングとか歌ってるわりに、運動が苦手で、泳げないからサーフィンもできないらしい。
ビーチボーイズ好きの浜田省吾は、「日本のブルース・スプリングスティーン」だった割に、サーフ・ミュージックにもうるさかった。
僕がそんな話をすると、先輩は「違うよ、バカ」と笑った。
「ヤマタツと言ったら、山本達彦だろう、山本達彦」
正直に言って、そのときの僕は、「シティポップ界の貴公子」と呼ばれていた山本達彦なるミュージシャンを全然知らなかった。
なにしろ、その頃の僕の音楽的関心は、1960年代末期に社会現象となった反戦フォークにあったくらいだから。
「山本達彦はな」と、先輩は続けた。
「今、女子大生に大人気のミュージシャンだ。ナウい女子大生は、みんな山本達彦を聴いているんだ」
先輩の眼は、異様に輝いている。
「実はな、誘われているんだよ、山本達彦のコンサートに」
どうやら、先輩は、最近話題に登場することの多い某女子短大の女の子と、山本達彦のコンサートへ行くことになったらしい。
「でも、先輩、あの短大生、ブスでうるせーって言ってませんでしたっけ?」と突っ込むと、先輩は、ちょっと挙動不審な感じで、「まあな」と目を逸らせた。
先輩の確信に満ちた話によると、今時の女子大生と付き合うには、山本達彦の音楽はマストアイテムということだった。
知りませんでしたよ。
女の子と付き合うために、そんなマストアイテムがあるなんて。
「おまえも、いつまでも浜省なんてダサいの聴いてないで、ヤマタツ聴きな」
そう言うと、先輩はゆっくりと自分の部屋へ戻っていった。
どうやら、短大生とデートするって話を自慢したかっただけらしい。
仕方ないので、僕はサークルのM先輩がアルバイトしているレンタル・レコード店へ行って、山本達彦のレコードを借りた。
「夏の愛人」と「密室のタンゴ」のシングルレコード。
カウンターで僕の選んできたレコードを見ると、マン先輩は笑った(やっぱりね)。
「なに、おまえ、山本達彦なんて聴くの? 軟弱だなあ。山本達彦なんて、男の聴くもんじゃねえよ」
パンタと沢田研二の好きな先輩には、山本達彦の重要性が分からなかったらしい。
「でも、先輩、今時の女子大生の間じゃ、山本達彦が大人気なんですよ。ナウい女子大生と付き合いたかったら、山本達彦くらい聴いておかないと、話になんないすよ」
取って付けたように僕が言うと、先輩は「ふーん、そんなもんかね」とだけ言った。
部屋に帰って、僕は「夏の愛人」と「密室のタンゴ」のレコードを聴き、なんじゃ、こりゃと思った。
ナウい女子大生へと続く道は、残念ながら、険しく厳しい道のりのように思われた。
やがて、北の街に山本達彦がやってくる頃、僕の周りでは、ちょっとした山本達彦ブームが巻き起こっていた。
「ナウい女子大生と付き合いたかったら、山本達彦は外せないよね」
どうして、そんな話になったのか、よく分からないけれど、「ナウい女子大生」という言葉は、当時の男子大学生にとって、間違いなくパワーワードだったらしい。
下宿屋の先輩は、(予定どおり)ヤマタツのコンサート後に短大生と深い関係になって、晴れて交際することになったという。
あれから長い年月が経った。
僕のiPhoneのプレイリストには、今、山本達彦の「夏の愛人」が入っている。