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堀田あけみ『1980アイコ十六歳』真剣に生きている普通の女子高生の本音

堀田あけみ『1980アイコ十六歳』真剣に生きている普通の女子高生の本音

堀田あけみ『1980アイコ十六歳』読了。

本作『1980アイコ十六歳』は、1981年(昭和56年)12月『文藝』に発表された長篇小説である。

この年、著者は17歳だった。

第18回(1981年度)文藝賞受賞(当時の史上最年少)。

1982年(昭和57年)放映、伊藤つかさ主演テレビドラマ『アイコ16歳』原作小説。
1984年(昭和59年)放映、伊藤つかさ主演テレビドラマ『アイコ17歳』原作小説。
1984年(昭和59年)公開、冨田靖子主演映画『アイコ十六歳』原作小説。

16歳の女子高生の精神的成長

本作『1980アイコ十六歳』の土壌となっているのは、1980年(昭和55年)を生きる16歳女子高生の健康的で前向きな、強い自己肯定感である。

特別のあらすじはないが、1980年(昭和55年)の夏から冬にかけて、主人公(三田アイコ)の「青年の主張」のような心境を、現代的な言葉によって綴った物語となっている。

作品の大きな柱となっているのは、弓道部の同僚部員(花岡紅子)との難しい人間関係であり(友情問題)、中学生の頃から交際していたボーイフレンド(トミ坊)との破局である(恋愛問題)が、こうした友情問題や恋愛問題に肉付けするようにして、主人公の大人観や教育観などが(極めて現代用語的な言葉によって)展開されていく。

主人公(愛称ラブたん)は、カタカナで書く「アイコ」という自分の名前を「今っぽく言うと、好きくない」と言うが、それでも、この物語が「アイコは~」という言葉を主語として語られているところに、主人公の強い自己肯定感がある。

「いいがねえ。片仮名の名前なんか、親の趣味、疑うに。全然意味ないでしょう」「テクノ感覚あふれとっていいよ。ナウいわ」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

テクノ・ポップの人気ユニットYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)がデビューしたのは1979年(昭和54年)で(デビューシングル「テクノポリス」)、1980年(昭和55年)には、セカンド・シングル「ライディーン」がヒットしていた。

弓道部で同僚の紅子は、とにかく女子部員に評判が悪い。

「女の評判が何になるのよ。男の評判さえ良ければ、その女は世間で認められたことになり、成功するのだ。内面は無視しよう、ひたすらに外面を磨き、かわい子ぶり、カマトトぶり、人生をしぶとく生きる人こそ偉い。松田聖子をごらんなさい」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

嘘泣きなどの批判で「ぶりっ子」と揶揄された松田聖子のデビューは1980年(昭和55年)。

男性や大人の前で、態度や言葉遣いを変える女性は、「陰険」と言われて、女子の攻撃対象となった。

ちなみに「NHKの子」紅子は、今や年齢を越えた国民的アイドル・ドラえもんを知らないそうだ。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

紅子は「テレビはNHKしか観ない」らしい。

当時、<NHK>と<教育委員会>は、若者たちの間で、真面目で堅物の代名詞として使われていたから、「NHKしか観ない」紅子は、大人の前で真面目ぶる「良い子」だったのだ(紅子は漫才のB&Bも知らなかった)。

ちなみに、国民的アイドル『ドラえもん』は、年末に年賀状のポスターとしても登場。

現在まで続くテレビ朝日版アニメ『どらえもん』の放送開始は、1979年(昭和54年)4月で、1980年(昭和55年)3月には、初めての大長編映画『ドラえもん のび太の恐竜』が公開されている。

「紅子ォ、男子の仕事は手伝わなくていいよ。こっちに手ェ貸して。女子のすることなんだから」返し。「あらぁ。男女って、別れないといけないもの?」常識考えろよ、この色情狂。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

紅子との関係は、最後まで主人公を悩ませる。

アイコはおし殺したような唸り声を出した。「死んじゃえ、死んじゃえばいいんだ。紅子なんか死んじゃえばいい……」今は、それだけしか考えられない。「死んじゃえ……死んじゃえ……」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

「死ね」や「てめェ、ぶっ殺すぞ」は、若者たちにのみ通じる共通言語だが、戦争を経験してきた大人たちには、もちろんジョークでは済まされない。

ここに、大人と若者との理解し合えない壁があるが、主人公は、主人公なりの大人観を持っていた。

「そんでも、金八みたいな先生がええ、と現実にあたるようなことはないわ。現実のきびしさがわかってくるもん。あのドラマ、はっきり言って考えが甘い」「物の見方も一面的ね。金八っつぁんは頑張ってござるけど、やっぱり人間的な人が、良い教育者だって、一口で言えんもの」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

武田鉄矢主演の学園ドラマ『3年B組金八先生』の放映開始は、1979年(昭和54年)。

1980年(昭和55年)には、校内暴力問題「腐ったミカンの方程式」などで有名な、第2シリーズが放映中だった(沖田浩之や直江喜一、ひかる一平、伊藤つかさ、川上麻衣子などが出演)。

第1シリーズの主題歌「贈る言葉」(海援隊)も「みんなが言うほどアイコはこの曲が好きじゃない」とあるから、主人公は「金八先生」があまり好きではなかったのだろう(『贈る言葉』は、ボンファイアーでみんなと一緒に歌ったもの)。

『金八先生』第2シリーズでは、中島みゆき「世情」が流れる中、中学生が警察に逮捕される「卒業式前の暴力」も有名だが、アイコたちは、校内暴力問題にも自分たちなりの考えを持っている。

今、校内暴力問題を起こした子供達が、将来、世界のために働けないって、きめつけられないよね。アイコたちは一生懸命だよ。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

文藝賞選者の一人・小島信夫は、「今の女子高校生がいかにもよく書かれている」と評したが、アイコたちの持つ強い自己肯定感・世代肯定感は、作品中の細部にまで明確に示されている。

ただし、陰険女子(紅子)との関係構築には、さすがの主人公も手を焼いた。

「おかん、どえらい深刻なんだに。あんたの娘はね、紅子が得するのが人生なら、そんなもん、放棄したいと思っとる」「してどうする」「死ぬ」「そんなら死んでみ」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

興奮していた主人公は、母親との会話を受けて自殺未遂するが(手首を切った)、このときから、真剣に生きることを考えるようになる。

どんなに健康的でも、どんなに前向きであっても、悩みの中に生きるということが、つまり、青春時代というものだ。

主人公は、自分を風見鶏に投影した。

あたしも風見鶏だ……・翔びたくても翔べない、風を見送る鉛の鳥だ。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

人は、悩みながら成長していく(「外見だけは明るく、アイコは今日もぽつん、ととり残されたような思いに悩んでいる。自己嫌悪」)。

本作『1980アイコ十六歳』は、16歳の女子高生の、半年間の精神的成長の過程を描いた、ミニマリズムな青春物語なのだ。

高校生にとって生きにくい時代

主人公のもうひとつの悩みに恋愛問題がある。

それは、世の中で言われているようにドロドロしたものではないが、青春期を生きる女子高生には大きなテーマだった。

二人の距離が離れた原因は、別々の高校へ進学したことだ。

でも、アイコはどうしても、勉強一本つめこみ主義の新設校に行きたくなかった。ギチギチのきつい規則には、従おうったって従えないのが、アイコの性格なのだ。(略)すべては今年流に言って「カラスの勝手」。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

1980年代前半までは、第2次ベビーブーム世代を受け容れるために、全国各地で多くの高等学校が新設された(少子化時代の到来により、このときの高校が、現在は不良資産となっている)。

校内暴力問題を抑えるために、厳しい校則などの管理教育が進んだのも、この時代だった。

進学を重視する学校では、特に厳しい管理教育を強いられるなど、高校生にとっても悩み多き時代だったのかもしれない。

ちなみに「カラスの勝手」は、TBS『8時だョ! 全員集合』で、志村けん(ザ・ドリフターズ)が流行させたもの。

ボーイフレンドとの幼い初恋を終わらせた主人公は、弓道部で新しい恋を見つけるが(良太)、仲間たちから「妊娠中絶のカンパ」が回ってくると、複雑な気持ちになってしまう。

せっかくの命がかわいそう、もう二度と無責任なことはしない、と。そうだよね。「できちゃった」って、いけない言い方なのよ。「つくった」んだよね。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

当時、十代の妊娠は、『3年B組金八先生』(第1シリーズ)でも、「十五歳の母」として採りあげられるなど、社会的な問題となっていたが(荒れた学校~不純異性交遊~十代の妊娠という図式)、こうした社会情勢が、子どもたちの自主的な成長を促したという見方もできる(ある種の自己防衛本能として)。

本作『1980アイコ十六歳』では、主人公をはじめとする、多くの女子高生たちが、当時の教育的課題の中で、どのように生きていたのかを知る、貴重な歴史的資料として読むことも可能だ。

基本的には「大人VS子ども」という図式がある中、子どもたちを導く格好いい大人が登場する場面もいい。

例えば、近所の甘味処「ひまわり屋」の女主人(おばさん)は、中学校時代の元カレ(トミ坊)を避け続ける主人公に、次のように諭す。

「まちがえてかんよ、ラブちゃん。ここに来る子は、みんないろんな話をしてくわ。それでね、ナウいおばちゃんにもわからんことがあるんだわ。別れる、とか浮気、とかね。あんたらね、何か勘違いしとるんじゃない? つき合うっていうのはどういうことなの。単なるボーイフレンドじゃいかんのかね。大人に汚染されて、妙にねちねちした感情でつき合うあんたら見とると、正直言ってやんなるに」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

混雑したバスの中で「座りたい」とワガママを言って騒ぐ子どもに、席を譲ろうとしたOLの善意を断った母親の言葉もいい。

「この子のためです。後から乗った者が立つのはきまりです。何もかも、自分の思い通りにはならないんですし……。元気のありあまっている子です。立っていられないわけがありません」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

このとき、主人公は、白髪のおばあさんが立っている横で、座って『少年ジャンプ』を読んでいる少年(坊主頭)に(心の中で)憤慨する。

やい、こら。この坊主。席譲ったらいいだろうが。「リングにかけろ」は立って読め。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

汚れたものを許しておけない潔癖な正義感は、アイコの魅力だ。

真剣な中にもユーモアが滲み出ている(「『リングにかけろ』は立って読め」というセリフも楽しい)。

「笑いが文中からはじけ出ているよう」と評したのは、文藝賞選者の島尾敏夫だった(「目が覚めて、ゲゲッだ」みたいな)。

ちなみに、1977年(昭和52年)に始まった車田正美『リングにかけろ』の連載終了は、1981年(昭和56年)。

1980年(昭和55年)現在のリアルな風俗・文化が、『1980アイコ十六歳』の中にはある。

生命尊重を話し合う仲間たちとの会話の中で登場しているのが、ミュージシャンの八神純子。

「それと、八神純子の新曲もそうみたいよ」「きいたことないなァ」「なんだっけ、『Mr.ブルー』だったかな」「へェ、あの人、色が好きね」「ウン、それがね、地球に対しての愛情の歌なんだ。あんまりきれいすぎるから、しらじらしくていまいち説得力に欠けると思うけど、松田聖子や田原俊彦が全盛の時期に、そういう歌を歌うというのは立派な根性だと思うわ」(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

「へェ、あの人、色が好きね」とあるのは、「みずいろの雨」(1978)や「パープルタウン」(1980)といったヒット曲を意味している。

1980年(昭和55年)11月発売「Mr.ブルー 〜私の地球〜」は、NHK総合で放映された天文科学番組『パノラマ太陽系』のテーマソングだった。

もっとも、アイコは、八神純子よりも中島みゆきの方が好みだったらしい。

あ……歌ってるの、誰ですか? 中島みゆきの「時代」アイコの好きな歌。優しい声、りんりんの声…ねぇ、ラブは倒れた旅人ですか。明日には…新しい今日には、立ち上がれますか。立って、そして歩いていいですか……(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

友だちが歌う中島みゆきの「時代」を聴いて「アイコは立ち上がることをやめられない」と思う、その健康的で前向きな姿勢こそが、本作『1980アイコ十六歳』の本質として認められるものだ。

自分を信じなよ。結果じゃなくて、その中にあるすごい力を、さ。誰だって持ってる。自分を否定しちゃったら、そこでおしまいなんだ。生きていけよ。生きていけよ。生きていけよ。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

健康的で前向きな自己肯定感。

もちろん、1980年(昭和55年)当時、自己肯定感を持つことができずに悩んでいる子どもたちも多かったはずだ(「登校拒否」という言葉が一般に定着するのも80年代だった)。

校内暴力(荒れた学校)と管理教育(厳しい生徒指導)の時代。

そんな時代だったからこそ、「自分を信じなよ」と叫ぶ、主人公の健康的な自己肯定感には意味があった。

燃えつきた青春、ね。冗談じゃないよ。青春だけで燃えつきるほど、ちゃちなものしか持っていないのかい。そうだよ。生きてくよ。燃やすよ。このエネルギー、この力……。天までとどけって。(堀田あけみ「1980アイコ十六歳」)

何度も「生きていく」と繰り返す主人公の言葉は、むしろ、高校生にとって生きにくい時代を反映したものではなかっただろうか。

ユーモア溢れる日常の中に、真剣に生きている女子高生の本音がある。

だからこそ、この物語は、同年代からの強い共感を集めることができたのだろう。

ある意味で、現代社会との原点とも言える1980年という時代。

軽いように見えて、みんな必死に生きていたのだ。

書名:1980アイコ十六歳
著者:堀田あけみ
発行:1981/12/10
出版社:河出書房新社

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みつの沫
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。