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平中悠一編『シティポップ短篇集』明るくてオシャレだった80年代の青春文学アンソロジー

平中悠一編『シティポップ短篇集』明るくてオシャレだった80年代の青春文学アンソロジー

平中悠一編『シティポップ短篇集』読了。

本作『シティポップ短篇集』は、2024年(令和6年)4月に田畑書店から刊行されたアンソロジーである。

この年、編者は59歳だった。

シティポップ時代の日本の短篇集

「シティポップ短篇集」とは、「シティポップ時代の日本の短篇集」という意味。

「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。(NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき – logirlブログ (tv-asahi.co.jp)

シティポップといえば、「70年代の日本で作られるようになった、都市で生きることを歌った新しい音楽」(2018年3月『レコード・コレクターズ』)で、1980年代に隆盛を迎えた。

近年、世界的な再評価が進んでいて、本作『シティポップ短篇集』も、そんなシティポップ人気を背景として生まれたアンソロジーだ。

もっとも、編者・平中悠一は「近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃない」という。

「80年代の日本の都会的な短篇小説のアンソロジーを編纂するというアイディア」を、編者は80年代当時から持ち続けていた。

というのも、自分の原稿の掲載された雑誌だけを見ていても、都会的なセンス、従来の日本文学とは異なる光や風、空気感を持つ短篇小説が自然といくつも目についたからで、こういう作品を集めれば都会的な、『ニューヨーカー短篇集』のような短篇集ができるのではないかと当時しばしば考えた。(平中悠一「【ライナーノーツ】”時代”の終りと”物語”の始まり」)

『ニューヨーカー短篇集』とは、「最も都会的な雑誌」と呼ばれた『ニューヨーカー』に掲載された短篇小説によって編まれたアンソロジーのことで、1970年代後半から1980年代にかけて、複数の出版社から刊行された(中心人物に常盤新平がいる)。

当時の日本において、アメリカ文学というのは、ほぼ絶対的な人気を誇るキラー・コンテンツだったのだ(というか、アメリカン・カルチャー全体に対する日本人の崇拝が、現代以上に強かった)。

平中悠一や川西蘭が愛読したというJ.D.サリンジャーの作品も、そこには収録されている(早川書房版では「バナナ魚には理想的な日」(橋本福夫・訳)が入っている)。

「あわただしい日常生活の哀歓を洗練されたタッチでさりげなく描く、都会人のための都会小説」、それが『ニューヨーカー短篇集』のコンセプトだった。

一方、日本のシティポップの特徴は「現実そのものではなく、現実(リアリズム)をベースにしながらも、むしろ理想化された、イマジネーションの中のリアリティ(フィクション)を描き出す」ことにあった。

平中悠一の言葉を引用すると、「現実に一枚ヴェールをかけて架空化した<場所>を生み出すためのフィルターを、ひと言で表すのが「都会的」というコンセプトだった」のだ。

「シティポップの時代─The City Pop Age─」(平中悠一「【ライナーノーツ】”時代”の終りと”物語”の始まり」)。

『an an』や『POPEYE』、あるいは『BRUTUS』などといったマガジンハウス系の雑誌が提案する都会的なライフスタイルと呼応して、シティポップは新しい世代に支持された。

この「シティポップの時代」の文学を、今ここに再現したものが、本作『シティポップ短篇集』というアンソロジーである。

もちろん、1970年代から1980年代にかけての日本文学というだけでは、「シティポップの時代」を表現することはできないから、「シティポップと同時代的な性格を持つ日本の短編小説集」というコンセプトが、そこに生まれた。

つまり、美学と文体の面において翻訳アメリカ短篇小説の影響を受けた、80年代日本のミニマリズムの都会短篇小説、というのが本書の収録作品の一応のクライテリア(目安)ということになる。(平中悠一「【ライナーノーツ】”時代”の終りと”物語”の始まり」)

「美学」とは、作品中の舞台や道具立てのことで、「都会的な街の生活」であることが、まずは条件となる。

「文体」とは、短いセンテンスやドライな描写などといった、翻訳文学の影響を色濃く受けたものを示す。

ひと言で表現すると「80年代日本のミニマリズム都会文学」というのが、つまり、本書『シティポップ短篇集』のコンセプトだったということだ。

今回のアンソロジーは音楽のシティポップと同時代的な、英米翻訳短篇文学に影響を受けた80年代日本の都会的なミニマリズム文学、というひとつのクライテリアで集成してみたが、大きくいって、これは美学と文体を基準にした評定だった。(平中悠一「【ライナーノーツ】”時代”の終りと”物語”の始まり」)

80年代当時、日本文学に「ミニマリズム文学」という概念があったのかどうか、確認できないが、少なくともアメリカでは、ミニマリスト作家によるミニマリズム文学(と呼ばれる短篇小説)が全盛の時代だった(レイモンド・カーヴァーを筆頭として)。

言い換えると、シティポップと同時代的であり、アメリカのミニマリズム文学とも同時代的であった日本の文学作品が、今回のアンソロジーの選定基準になったということなのだろう(もちろん、レイモンド・カーヴァーのような作品がある、ということではないし、そもそも、そんな作品は含まれていない)。

もっとも「シティポップと同時代的」と言っても、作風に統一性があるわけではなく、片岡義男「楽園の土曜日」と平中悠一「かぼちゃ、come on!」を、同じカテゴリーに分類することは、そもそも難しい。

信号がグリーンに戻り、ウインド・シールドに雨と風を受けながら、山崎はステーション・ワゴンを発進させた。まえにいる黒いセダンのうしろについてゆっくりと走っていき、その古風な建物のまえで車の列を左へ離れた。(片岡義男「楽園の土曜日」)

***

──ったく、ったく×××。と、タケオが軽くタックルをかます。「ダメだよ、彼女は」俺がイタダク。耳打ちをした。げー、なんでー。そんなのアリかよ? 突っかかると、フッフッフッ。タケオは不敵に笑ってみせた。(平中悠一「かぼちゃ、come on!」)

全然異なる二つの作品に共通しているのは、ハードボイルド・タッチの片岡義男も、軽薄短小を強調する平中悠一も、実は、1980年代的テイストをまとった作品だということである。

シティポップに様々なアレンジがあるように、80年代日本文学にも、様々なアレンジがあったということなのだろう。

いずれの作品にも通底しているのは「都会的だった」ということに尽きる(いろいろな意味で)。

『シティポップ短篇集』だからといって、必ずしも<シティポップ>が登場しているわけではない。

というか、本書でシティポップらしき音楽が明確に登場しているのは、川西蘭の「マイ・シュガー・ベイブ」だけだ(なにしろ、タイトルからして<シュガー・ベイブ>である)。

彼女は窓ガラスに額をくっつけて、夜の街を見つめつづけていた。僕は彼女の手を握っていたけれど冷たく小さな手は彼女の手のようには思えなかった。カー・ラジオから、土曜の夜はダウン・タウンにくり出そう、と歌う山下達郎の声が流れていた。(川西蘭「マイ・シュガー・ベイブ」)

この「マイ・シュガー・ベイブ」は、本作『シティポップ短篇集』の中で、実は中核となっている作品だ。

硬質すぎず、軟派すぎないというところで、質量ともに「シティポップと同時代的な性格を持つ日本の短編小説集」を代表する作品として位置付けることができる。

ちなみに、川西蘭・平中悠一ともに、アメリカ文学ではJ.D.サリンジャーに影響を受けた世代だったらしい。

【平中悠一】ぼく、『ナイン・ストーリーズ』が好きなんですよね。だから、サリンジャーにはテーマ的なものを学んだというより、むしろ一つの素材があって、それをどういうふうにつかめば作品になるかという方法論的なものの影響をすごく受けたと思っているんです。【川西蘭】ぼくも『ナイン・ストーリーズ』が好きでして、高校時代には繰り返し読みました。人間を書くときにどういうふうに魅力的な面をひき出すかという手際が非常にうまいですね。(「対談 ファッションのディスクール / 平中悠一・川西蘭」1985年2月『新刊展望』)

1985年(昭和60年)2月『新刊展望』の対談では、平中悠一『She’s Rain(シーズ・レイン)』はじめ、川西蘭『春一番が吹くまで』、田中康夫『なんとなく、クリスタル』、堀田あけみ『1980アイコ十六歳』などが、新しい時代の文学として紹介されている。

平中悠一は、当時から片岡義男に対するこだわりが強かったらしい。

【平中悠一】片岡義男さんはエンターテインメントの作家として評価されているけれど、なぜ純文学じゃないのかというと、彼の作品はすべて世界がポジティブとネガティブということによって規定されるわけなんです。(「対談 ファッションのディスクール / 平中悠一・川西蘭」1985年2月『新刊展望』)

本書『シティポップ短篇集』刊行に際してのインタビューの中で、平中悠一は、田中康夫『なんとなくクリスタル』を「暗い」と評した。

【平中悠一】「田中さんの世界認識は暗いと思うんです。世間的には、1980年代の明るい空気感を反映していると受け止められがちですが、僕が読むとそうは思えない。田中さんが政治家になったとき、なるほど、と思いました。小説を書くより、もっと直接的に社会を変えなくては…という決意なのかな、と」(「シティポップ」は音楽だけにあらず。「都会的でウィットに富んで乾いた空気感を持つ…」 まるで初期の村上春樹のような短編がくれる忘れられた80年代の風景 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け (shueisha.online)

つまり、ポジティブとかネガティブとかいう世界観は、編者にとって重要な判断基準となっていたということなのだろう。

田中康夫の『なんとなくクリスタル』は、先進的な青春像を描きながら、社会的な責任感というものをまったく放棄しているというわけではない。

それは「理想化されたイマジネーションの中のリアリティ」ではなく、等身大的にリアルな青春像だったのだ(だから、ある意味「不気味」でさえあった)。

【平中悠一】「僕はシティポップ短篇のことを『都会的な小説』と言っていますが、それは『都市的な小説』とは違う。『都市』というと『光と影』がある。きらびやかな面とそうでない負の面の両方が含まれています。一方、『都会』という言葉の響きにはそういう暗さがなくて、明るくポジティブな側面が大きいと思います」(「シティポップ」は音楽だけにあらず。「都会的でウィットに富んで乾いた空気感を持つ…」 まるで初期の村上春樹のような短編がくれる忘れられた80年代の風景 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け (shueisha.online)

80年代を振り返るときに「暗い」というキーワードから読み解く論者は少ない。

少なくとも表面的には、「根暗(ネクラ)」に対して「根明(ネアカ)」であることこそが、80年代的なトレンドだったからだ(「陰キャ」に対する「陽キャ」みたいな感じで)。

そこへいくと、原田宗典「バスに乗って それで」は、爽快な明るさの中に、青春の微妙な焦りを浮かび上がらせた、好感の持てる作品だ。

ガールフレンドとデート中に元カノ(松任谷由実的昔の女=松女)とバッタリ再会する物語だが、主人公の少年に等身大的な80年代男子を感じることができる。

後方斜め四十五度から見た感じと同じく真正面から見てもやはり男前でしかも背が高く松女と二人で歩く様子はアンアンやノンノなんかでも飽きもせず特集記事が組まれる”街で見かけたステキなカップル”みたいだった(原田宗典「バスに乗って それで」)

「松任谷由実(ユーミン)」はもちろん、「アンアン」や「ノンノ」といった雑誌名は、既に、若者世代の共通言語だった(村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』にも『ブルータス』が繰り返し登場していたことを思いだす)。

80年代当時、『これもすべて同じ一日』や『あの空は夏の中』など、センチメンタルな詩集でブレイクした銀色夏生の小説は新鮮。

その広いところの、ある点。その広い広い広いところの中の一点が、私だ。夏の午後の、一点だ。(銀色夏生「夏の午後」)

大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」(1984)を作詞した銀色夏生は、シティポップ界隈とは、かなり近い距離にいた作家とも言える(なので、本アンソロジーでも全然違和感がない)。

80年代に人気を得て、その後、忘れられた作家の作品──

ロックンロール小説で人気のあった山川健一は、本書ではレゲエ小説を寄せている。

海の向こうに太陽が沈んでいく。気が遠くなるほど長い夕暮れ時だ。海沿いの道にとめた、派手にペイントしたワゴンから、大きな音量で無名の女性レゲエ・シンガーのレコードが流れてくる。(山川健一「テーブルの上にパンはないけれど、愛がいっぱい」)

ミュージシャンとしても活躍した山川健一は、音楽との親和性が高い文学作品を多く残した(シティポップとの距離感は別として)。

本作中で最も異色だと感じたのが、椎名誠<あやしい探検隊>メンバーだった沢野ひとし(ワニ目の沢野)。

卒業式の前の日、彼女は小さな箱を砂場の前でくれた。家に帰って開いてみると、うすい紙につつまれて、前に見たプリズムが一つあった。彼女の筆箱にあったプリズムなのである。そして短い手紙が入っていた。──嘘をついてごめんなさい。(沢野ひとし「プリズムをくれた少女」)

沢野ひとしの「プリズムをくれた少女」には、80年代の匂いが薄くて、むしろ、時代を越えて読むことのできる透明感が心地良い(主人公も小学生)。

逆に言うと、その他の作品には、何らかの形で80年代が感じられ、若い世代(高校生や大学生)が主人公となっている。

つまり、本作『シティポップ短篇集』に収録された作品は、いずれも「青春小説」なのだ。

アメリカのミニマリズム文学の象徴と呼ばれたレイモンド・カーヴァーのように、倦怠期夫婦の浮気やセンシティブな家族関係がテーマになっているわけではない(それらは「明るい」とは言えない)。

つまり、明るい青春小説であるということが、80年代日本における都会文学の特徴ということになるのだろう(田中康夫『なんとなくクリスタル』の質感は、一定の社会性を有しているという意味で、むしろ、カーヴァーのそれに近いかもしれない)。

とは言え、レイモンド・カーヴァーを日本に広める役割を果たした村上春樹の作品が一つも収録されていないことには、どうしても物足りなさを感じる。

「翻訳アメリカ短篇小説の影響を受けた、80年代日本のミニマリズムの都会短篇小説」の筆頭に挙げられる作家こそ、当時の村上春樹であることに間違いはないからだ。

人気作「午後の最後の芝生」あたりが入っていると、満足度もかなり高かっただろうが、あるいは、それはそれで、一つの違和感を生んでしまうかもしれない。

なぜなら、本書『シティポップ短篇集』に収録された作家は、いずれも「現代的とは言えない」という共通項を有しているからだ。

80年代に人気を得て、その後、忘れられた作家の作品──。

あるいは、それが、本書最大のコンセプトではなかっただろうか。

【平中悠一】「村上さんは、初期の作風は非常に都会的でシティポップ的だと思います。でも、先ほども言った通り『真実』を書くのが文学のメインストリームの伝統でしたから、文壇からの反発があったわけです。 それが変わったのが『ノルウェイの森』。ある意味では、伝統的な日本の小説だと思いました。そこから、より広く作品が受け入れられるようになり、国民的な作家になった。村上さんは有名になったけれど、村上さんの初期の作風に通じる都会的な空気感を持っていた他の作家は忘れられてしまいました」(「シティポップ」は音楽だけにあらず。「都会的でウィットに富んで乾いた空気感を持つ…」 まるで初期の村上春樹のような短編がくれる忘れられた80年代の風景 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け (shueisha.online)

処女短篇集『中国行きのスロウ・ボート』が、2024年(令和6年度)2月に中央公論社から(単行本として)復刊されるなど、80年代の作品でさえ、村上春樹は現代性を失っている状況とは言えない。

『シティポップ短篇集』に収録されるべき作品は、シティポップ同様に、現代において「再評価されるべき作品」なのだ。

果たして、『シティポップ短篇集』の刊行によって、「明るい80年代の都会文学」は再評価を得ることができるのだろうか。

竹内まりや「プラスティック・ラブ」や松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」と同じように、片岡義男や平中悠一の(1980年代の)短篇小説が脚光を浴びる時代が再びやって来たとしたら、それは、とても素晴らしいことだと思うのだけれど。

そのためにも、本作『シティポップ短篇集』は、当時を知る人たちに「懐かしい」と思われるだけではいけない(レトロスペクティブ)。

本書は、今の時代を支える若者たちにこそ、理解してもらわなければならないのだ(それを「再評価」という)。

そういう意味で、今後も同じようなコンセプトの企画が続くことを楽しみにしている。

書名:シティポップ短篇集
編者:平中悠一
発行:2024/04/10
出版社:田畑書店

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みつの沫
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。