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アニメ映画『めくらやなぎと眠る女』村上春樹原作の短篇小説<全6作品>を読む

アニメ映画『めくらやなぎと眠る女』村上春樹原作の短篇小説を読む

村上春樹の短編小説がアニメ映画になった。

タイトルは『めくらやなぎと眠る女』で、2024年7月26日(金)公開。

原題は『Blind Willow, Sleeping Woman』。

監督は、音楽家でアニメーション作家のピエール・フォルデス氏。

映画は、村上春樹の6つの短編を再構築したオリジナルのストーリーとなっているらしい。

アニメ映画『めくらやなぎと眠る女』原作小説は次のとおり(全6作品)。

・「かえるくん、東京を救う」(『神の子どもたちはみな踊る』)
・「UFOが釧路に降りる」(『神の子どもたちはみな踊る』)
・「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(『パン屋再襲撃』)
・「バースデイ・ガール」(『バースデイ・ストーリーズ』※)
・「かいつぶり」(『カンガルー日和』※)
・「めくらやなぎと、眠る女」(『レキシントンの幽霊』※)

なお、上記6作品のうち、「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「めくらやなぎと、眠る女」の3作品(※のあるもの)は、作品集『めくらやなぎと眠る女 TWENTY STORIES』(2009、新潮社)にも収録されているので、『神の子どもたちはみな踊る』『パン屋再襲撃』と加えて3冊の書籍で、全6作品を読むことができる。

それぞれ独立した物語を、どのように再構築しているのだろうか?

今回は、映画の原作となっている短編小説の概要を、それぞれまとめておきたい。

「かえるくん、東京を救う」

『神の子どもたちはみな踊る』(2000年、新潮社)収録作品。

初出は、『新潮』1999年(平成11年)12月号だった。

この年、村上春樹は、『新潮』8月号から12月号まで、「地震のあとで」と題する連作短編小説を発表しており、本作「かえるくん、東京を救う」は、その最後の作品(5作目)となった。

「地震のあとで」の「地震」は、1995年(平成7年)1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」を意味している(ちなみに、村上春樹は、兵庫県の西宮市・芦屋市出身で、神戸市とも縁が深い)。

物語の季節は2月中旬。

東京安全信用金庫新宿支店の融資管理課で係長補佐をしている片桐(40歳・独身)のアパートに、突然、巨大な蛙「かえるくん」が現れる。

かえるくんは、1995年2月18日の朝8時半頃に、とても大きな地震が東京を襲うと予言する。

その地震は、「先月の神戸の地震」に刺激を受けた巨大ミミズ「みみずくん」によって引き起こされるものらしい。

かえるくんは、東京を救うためにみみずくんと戦うので、片桐にも手を貸してほしいと言った。

「片桐さん、実際に闘う役はぼくが引き受けます。でもぼく一人では闘えません。ここが肝心なところです。ぼくにはあなたの勇気と正義が必要なんです。あなたがぼくのうしろにいて、『かえるくん、がんばれ。大丈夫だ。君は勝てる。君は正しい』と声をかけてくれることが必要なのです」(村上春樹「かえるくん、東京を救う」)

見えないものと戦うことの勇気を、この小説は教えてくれる。

そして、社会が危機的な状況にあるときには、誰しも自分にしかできない役割があるということを。

「目に見えるものが本当のものとはかぎりません」と、かるくんは言った。

ニーチェやジョセフ・コンラッド、『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)、『白夜』(ドストエフスキー)など、海外文学を引用するかえるくんは、知恵と勇気を備えた正義の味方だ。

いつかは、僕も、かるくんのようになりたいと思う。

「UFOが釧路に降りる」

『神の子どもたちはみな踊る』(2000年、新潮社)収録作品。

初出は、『新潮』1999年(平成11年)8月号だった(「地震のあとで」シリーズ最初の作品)。

主人公(小村)は、秋葉原にある老舗のオーディオ機器専門店でセールスの仕事をしている。

26歳で妻と結婚して以来、5年の間、小村は妻以外の女性と寝たことがない。

しかし、阪神・淡路大震災の5日後、妻は当然に家を出て行ってしまった。

「もう二度とここに戻ってくるつもりはない」という書き置きを残して。

傷心の小村は、同僚からの預かり物を届けるために、真冬の釧路を訪れる。

同僚の妹(佐々木ケイコ)が連れてきた若い女性(シマオさん)と二人きりで、ラブホテルに宿泊することになった小森。

「それはね」とシマオさんはひっそりとした声で言った。「小村さんの中身が、あの箱の中に入っていたからよ。小村さんはそのことを知らずに、ここまで運んできて、自分の手で佐々木さんに渡しちゃったのよ。だからもう小村さんの中身は戻ってこない」(村上春樹「UFOが釧路に降りる」)

震災による喪失感に寄り添いながら感じる不安定な人生。

「あなたとの生活は、空気のかたまりと一緒に暮らしているみたいでした」と、妻は言った。

地震を伝えるテレビ・ニュースの中に、彼女は何を見ていたのだろうか?

そして、僕たちも。

「ねじまき鳥と火曜日の女たち」

『パン屋再襲撃』(1986年、文藝春秋)収録作品。

初出は、『新潮』1986年(昭和61年)1月号だった。

後に、長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の原型となった作品である。

季節は、五月上旬の、とある火曜日。

法律事務所を辞めて無職になっていた主人公(30歳・妻と二人暮らし)は、見知らぬ女から謎の(過激な性的内容を含む)電話を受ける。

妻からの電話で、行方不明になっている猫を探しに出かける主人公。

露地の行きどまりで出会ったのは、飴色の縁の濃いサングラスをかけた女の子(15歳か16歳くらい)だった。

「あなたってそういう人なのよ」と妻は言った。「いつもいつもそうよ。自分では手を下さずにいろんなものを殺していくのよ」(村上春樹「ねじまき鳥と火曜日の女たち」)

電話の女が言った「あなたの頭の中のどこかに致命的な死角があるとは思わないの」という言葉もぐっとくる。

人は誰も、知らず知らずのうちに誰かを傷付けている。

自分の頭の中のどこかにある「致命的な死角」によって。

長篇『ねじまき鳥クロニクル』への期待が高まる作品だが、短編小説としても完成されている。

「バースデイ・ガール」

『バースデイ・ストーリーズ』(2002年、中央公論社)収録作品(書き下ろし)。

中学3年生用の国語教科書『伝え合う言葉 中学国語3』(教育出版)に採用されたことで、広く知られる作品となった。

11月17日は、彼女にとって「二十歳の誕生日」だったが、その日も、彼女は、いつもの金曜日と同じように、ウェイトレスのアルバイトをしていた。

オーナーの部屋へ食事を運ぶ役割を任された彼女は、オーナーの老人と不思議な会話を交わす。

老人は、彼女の二十歳の誕生日のお祝いに、願い事をひとつだけ叶えてくれると言ったのだ。

「願いごと?」と彼女は乾いた声で言った。「こうなればいいという願いだよ。お嬢さん、君の望むことだ。もし願いごとがあれば、ひとつだけかなえてあげよう。それが私のあげられるお誕生日のプレゼントだ」(村上春樹「バースデイ・ガール」)

彼女が、老人に何を願ったのか、それは明かされていない。

年齢を重ねた彼女の「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと」という言葉から、読者は、彼女の願いを想像するだけだ。

二十歳の誕生日に願った、将来の希望。

本作は、作品集『めくらやなぎと眠る女 TWENTY STORIES』(2009年、新潮社)にも収録されている。

「かいつぶり」

『カンガルー日和』(1983年、平凡社)収録作品。

初出は『トレフル』1981年(昭和56年)9月号だった。

今回の映画原作の中では、最も古い作品となる。

主人公は、別れた妻への離婚手当の支払いにも苦労している失業者。

どうにか良い仕事が見つかりそうになって指定された場所を訪ねるが、室内へ入るには「合言葉」が必要だという。

コンクリート造りの狭い階段を下りると、その先には長い廊下がまっすぐに続いていた。天井がいやに高いせいか、廊下は干上がった排水溝みたいに見えた。(村上春樹「かいつぶり」)

『カンガルー日和』に収録されたショート・ストーリーは、どの作品も謎に満ちているが、本作「かいつぶり」もまた暗示的な作品だ。

一体、彼は、どこにたどり着いたのだろうか?

そして、僕たちの人生は、どこへたどり着こうとしているのだろうか。

本作は、作品集『めくらやなぎと眠る女 TWENTY STORIES』(2009年、新潮社)にも収録されている。

「めくらやなぎと、眠る女」

『レキシントンの幽霊』(1996年、文藝春秋)収録作品。

初出は『文學界』1983年(昭和58年)12月号で、『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1984、新潮社)に収録されているが、このときのタイトルは「めくらやなぎと眠る女」だった(読点「、」がない)。

1996年(平成8年)に『レキシントンの幽霊』へ採録される際に、タイトルが変更されるとともに(「めくらやなぎと眠る女」と読点が加わった)、大幅に短縮されたため、「ショート・バージョン」と呼ばれることもある(400字詰め80枚から45枚へと、原稿量は4割カットされた)。

「めくらやなぎのためのイントロダクション」によると、この改訂は、1995年(平成7年)の夏に芦屋と神戸で行われた朗読会のために行われたもので、「めくらやなぎと、眠る女」というタイトルも便宜的なものだったという。

原稿量は約四割減らせて、四十五枚ほどにダイエットしたわけですが、それにそって内容も部分的に変わってきており、オリジナルとは少し違った流れと意味あいを持つ作品になったので、違う版として、あるいは違った形の作品として、この短編集に収録することにしました。(村上春樹「めくらやなぎのためのイントロダクション」)

オリジナル・バージョン(いわゆるロング・バージョン)は、初期の名作短編「蛍」と対になっており、エピソードの一部はともに、長編小説『ノルウェイの森』に採用されている。

物語の季節は五月。

主人公(25歳・東京の小さな広告代理店を辞めて失業中)は、故郷の街で、耳に障害を持つ「いとこ」(14歳)と一緒にバスに乗っている。

いとこの病院へ付き添うためだ。

いとこの診察を待っている間、主人公は、高校二年生の夏休みのことを思い出している。

それは、友だちと一緒に、彼のガールフレンドを見舞ったときのことだった。

胸の手術をして入院している女の子は、「めくらやなぎ」の絵を描いた。

「私が作ったんだもの」、彼女は微笑んだ。「めくらやなぎには強い花粉があって、その花粉をつけた小さな蝿が耳から潜り込んで、女を眠らせるの」(村上春樹「めくらやなぎと、眠る女」)

丘にはびこる「めくらやなぎ」は、彼女の孤独だったのだろうか?(心の叫び)

誰の目にも見えることは、それほど重要なことじゃない。

大切なことは、「見えない何か」を、しっかりと見ることだったのだ。

長編『ノルウェイの森』で、友人は「キズキ」として、女の子は「ナオコ」として登場。

オリジナルのロング・バージョンも好きだけれど、思い切ってダイエットされたことによって、ショート・バージョンでは、作品の焦点がよりはっきりとしたようだ。

本作は、作品集『めくらやなぎと眠る女 TWENTY STORIES』(2009年、新潮社)にも収録されている。

まとめ

全6作品に共通しているのは、人は誰も「喪失感」を抱えながら生きているということだ。

そして、1995年(平成7年)1月に発生した阪神・淡路大震災は、人々の孤独を顕在化させるとともに、一方では、心のつながりの大切さを明らかにした事件でもあった。

村上春樹は、人間の内面にフォーカスした作品を書く小説家である。

心の弱さを救ってくれた「かえるくん」、機械仕掛けの世界でネジを巻く「ねじまき鳥」、長い廊下の向こう側にあった「手のりかいつぶり」、女の子の心にはびこる「めくらやなぎ」、UFOを目撃した直後に疾走した人妻と、二十歳の誕生日を祝う謎の老人。

村上春樹の小説は、キャラクターにより仕掛けが優れていて、つい、テーマよりもキャラクターに目が行きがちだが、キャラクターにばかり固執していると、物語の意味を見失ってしまう。

「かえるくん」は「かえるくん」であり、「めくらやなぎ」は「めくらやなぎ」だ。

彼らは、僕たちの心が抱えている「問題」を、きっと明らかにしてくれるだろう。

それは、同時に「自分とは何か?」を知るための作業でもある。

いったい、僕たちは何者なのだろうか?

そんな疑問の答えを知りたい人は、きっと、このアニメ映画を観るべきだと思う。

夏の映画公開が楽しみだ。

ABOUT ME
みつの沫
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。