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『どかどかうるさいロックン・ロール・シティ』喪失感を抱えた少年の自己救済の青春小説

『どかどかうるさいロックン・ロール・シティ』喪失感を抱えた少年の自己救済の青春小説

川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」読了。

本作「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」は、1987年(昭和62年)10月に集英社文庫から刊行された長篇小説である(文庫書き下ろし)。

この年、著者は28歳だった。

大きな喪失感を抱えた高校生のイメージ世界

『どかどかうるさいロックン・ロール・シティ』は、最近読んだ小説の中でいちばん面白い小説だった(変な話、バルザックや開高健、村上龍より面白かった)。

本作『どかどかうるさいロックン・ロール・シティ』は、イマジネーションで展開する青春小説である。

ぼくはそのレコードを一年くらいの間、土曜日の朝には聴くことにしていた。レコードには『イマジン』という曲が入っていた。レコードを作った音楽家はとっくの昔に住んでいたアパートの前で射殺されていた。イマジン。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

おそらく、この小説の主題歌は、ジョン・レノン「イマジン」だっただろう。

あえて「ジョン・レノン」という名前を出さずに「レコードを作った音楽家」という表現を使ったところに、作者の意図が感じられる。

映画『いちご白書』の「サークル・ゲーム」にさえ、ジョニ・ミッチェルの名前が登場しているのだ(歌っているのはバフィー・セントメリーだが)。

その時、女の歌声が聞こえてきた。歌はジョニ・ミッチェルが作った『サークル・ゲーム』だった。『サークル・ゲーム』は『ストロベリー・ステイトメント』という古いアメリカ映画のテーマ・ミュージックだ。『ストロベリー・ステイトメント』は学生運動が流行っていた頃の映画だ。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

もちろん、この小説は、学生運動の物語ではない。

この小説に出てくるのは、幻の人気バンド「どかどかうるさいロックン・ロール・バンド」だ。

どかどかうるさいロックン・ロール・バンドが町にやってくる。それはとても信じられないようなことだった。何故なら、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドは、気まぐれにしか、コンサートを開かなかったから。どかどかうるさいロックン・ロール・バンドのコンサートを観ることができるのは、本当に幸福なことなのだ。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

主人公(17歳)が高校を退学になった夏、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドがやってくるという噂を聞いて、たくさんの若者たちが町へ集まってきた。

この小説は、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドのライブを観るために集まってきた若者たちをめぐる物語である。

次から次へと突拍子もないエピソードが展開するのは、そこがイマジネーションの世界だからだ。

例えば、主人公の相棒(17歳・男子)は、むき玉子みたいな宇宙人と友だちになって、過去を手に入れる。

忘れてたよ。むき玉子の声だけが聞こえた。何だよ。お礼を忘れてた。例なんかいらないよ。遠慮するな、地球人。声が消え、窓から一筋の光が射し込んできた。強く白い光は相棒の頭を金色に輝かせた。そして、相棒は過去の記憶を細部まで明確に取り戻していた。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

古い喫茶店に泊まり込んだ主人公は、ビリヤードの女の子に恋をする。

彼女は白いTシャツとひざに穴のあいたブルー・ジーンズを身につけ、頭にヘア・バンド代わりにバンダナを巻いていた。ブルース・スプリングスティーンのコンサートにでも行くような格好をしていた。そして、彼女はモーツァルトのピアノ・ソナタみたいに美しい女の子だった。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

マスターは、昔テニス・クラブで知り合った人妻の思い出話を聞かせてくれる。

あんなに破廉恥なセックスで私を狂わせておきながら、どうして、そんなに冷たい態度が取れるの? 男の人って、出しちゃえば、終わりなの? 女は違うのよ。終わったあとも、優しくしていて欲しいのよ。もお、しんじらんなーい。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

このセックス気狂いみたいな人妻のエピソードは、かなりぶっ飛んでいる。

もしかすると、彼女は、クレイジー・キャッツが好きだったのかもしれない(「無責任一代男」)。

若いお方、すべてを自分の力でやりぬいていくことは難しいのです。この世で大切なものは、コネクションと裏取引とC調に無責任なのです。努力は必ずしも報われはしないのです。真面目にやる人は御苦労さんなのです。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

高度経済成長期、「♪こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!~」とニッポンを笑い飛ばした植木等が、亡霊のように復活した時代。

あるいは、それが、バブル時代というものではなかったか。

主人公と相棒とビリヤード娘とマスターを軸に、物語は展開していく。

女の子は週刊誌を床に放り投げて、窓枠に手をかけた。雨でぬかるんだ校庭のほかには何も見つけることはできなかった。「何もないじゃない」抗議するように彼女は言った。ねぇ、トマト、と声をかけた時には、彼の姿はなかった。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

誰かに見えるものが、他の誰かには見えない。

すべては、イマジネーションの世界なのだ。

「想像はできるわ」静かな声だった。まるで深い闇の底から聞こえてくるような。「すべては夢のなかのできごとかもしれない。君の頭が創り出すことが可能なことばかりなのかもしれない。想像することは誰にだってできるものよ」(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

そこは、大きな喪失感を抱えた主人公のイメージ世界だった。

創造するのよ。ビリヤード娘の声が響いた。創造し続けるのよ。あなたのために。そして、私たちのために。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

本作「どかどかうるさいロックン・ロール・シティ」は、喪失感を埋めるために壮大なイマジネーション世界を生み出した高校生男子の、青春物語である。

あるいは、人は、それを逃避と呼ぶのかもしれない。

しかし、この物語には、間違いなく救いがある。

喪失感を抱えた若者の救済こそが、この物語の本質的なテーマなのだ(笑って泣ける小説だったけれど)。

ロック・キッズの時代だった80年代

「どかどかうるさいロックン・ロール・バンド」のモチーフは、もちろん、忌野清志郎率いるRCサクセションの「ドカドカうるさいR&Rバンド」である。

バカでかいトラックから機材が降ろされ
今夜のショーのためのステージが組まれる
街中のガキ共にチケットがばらまかれた
ドカドカうるさいR&Rバンドさ

(RCサクセション「ドカドカうるさいR&Rバンド」)

1980年代当時、どれだけの若者たちが、この曲に救われただろうか。

最近はすっかりと「雨上がりの夜空に」ばかりがRCの代表曲みたいになってしまったけれど、「ドカドカうるさいR&Rバンド」は、多くのティーンを勇気づけてくれた、究極のメッセージ・ソングだったのだ。

川西蘭の『どかどかうるさいロックン・ロール・シティ』を読みながら、久しぶりにRCサクションの『OK(オーケー)』(1983)を聴いた。

B面の最後の曲「ドカドカうるさいR&Rバンド」は、今聴いても、やっぱり凄い曲だった。

悲しい気分なんか ぶっとばしちまいなよ
ドカドカうるさいR&Rバンドさ Hey Hey!
悲しい気分なんか ぶっとばしちまえよ Baby
ドカドカうるさいR&Rバンドさ

(RCサクセション「ドカドカうるさいR&Rバンド」)

「♪悲しい気分なんか ぶっとばしちまえよ Baby~」という清志郎の言葉が、日頃のモヤモヤを全部吹き飛ばしてくれる。

そして、この「♪悲しい気分なんか ぶっとばしちまいなよ~」というフレーズに共鳴して生まれた小説こそが、川西蘭の『どかどかうるさいロックン・ロール・シティ』だったのだ。

一年前、主人公と仲の良かった女の子が、バイク事故で死んだ。

彼女のお葬式には彼女とつきあっていた町の男の子が全員集まった。小学校の同窓会みたいだった。お葬式の間中、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドのどかどかうるさいロックン・ロールが流れつづけていた。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックン・ロール・シティ)」)

主人公の町にやってくるどかどかうるさいロックン・ロール・バンドは、死んだ彼女の弔いである。

ここにおいでよ。バイクの事故で死んだ女の子だった。顔の半分が火傷で醜く変色していた。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックンロール・シティ)」)

主人公が、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドに求めていたものは、好きだった女の子を失った喪失感からの救済である。

彼女を亡くした大きな喪失感が、主人公の心の中に、壮大なイマジネーション世界を生み出していたのだ。

こんな風に考えてくれない? あなたが見ているものはすべてあなたが創り出したものなの。私もマネージャーも、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドも、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドのファンも、あなたの相棒も、この町も、全部あなたが創り出したものなの。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックンロール・シティ)」)

同じ誕生日の相棒も、素敵なビリヤード娘も、喫茶店のマスターも、むき玉子も、トマトも、淫乱な人妻も、すべては主人公自身の投影である。

自分の心の中で彼は、自分の心の中だけのオリジナル世界を創り上げていたのだ。

世間では、それを「引きこもり」という。

しかし、引きこもることで救われる心があるということを、作者は伝えたかったのだろう。

どかどかうるさいロックン・ロール・バンドというメッセンジャーを通すことによって。

主人公の再生は、どかどかうるさいロックン・ロール・バンドのコンサートという形で可視化される。

ぼくのまわりには相棒やビリヤード娘やマスターやむき玉子がいた。そろそろ始めるぜ、ベイビー。どかどかうるさいロックン・ロール・バンドのヴォーカルが叫んだ。(川西蘭「どかどかうるさいR.R.C(ロックンロール・シティ)」)

本作『どかどかうるさいR.R.C(ロックンロール・シティ)』は、喪失感を抱えた少年の、自己再生の物語である。

テーマに対してビジュアルが軽快なのは、それが80年代だったということなのだろうか。

80年代を代表する小説のひとつとして記憶されなければならない作品である。

本作は、文庫書き下ろし作品だったが、山川健一の解説もいい。

ストリート・スライダーズ。うん、悪くないね。サザンオールスターズ。ハッピーだと思うよ。ラフィン・ノーズはどうだい? スリリスングだろう。(略)だけど、まあ、この小説のBGMはRCサクセッションで決まりかな。ドカドカうるさいバンドさ、ってキヨシローが歌うあのナンバーは強力だものね。(山川健一「どかどかうるさいR.R.C(ロックンロール・シティ)」解説)

80年代は、ロック・キッズの時代でもあったのだ。

書名:どかどかうるさいR.R.C(ロックンロール・シティ)
著者:川西蘭
発行:1988/10/25
出版社:集英社文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。