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サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」3つの翻訳を読み比べてわかる謎のメッセージ

サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」3つの翻訳を読み比べてわかる謎のメッセージ

J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」は、1951年(昭和26年)にリトル・ブラウン社から刊行された長編小説である。

原題は「The catcher in the rye」。

この年、著者は32歳だった。

「ライ麦畑でつかまえて」とは何か?

もともと、サリンジャーが書いたのは、「マディソン・アベニューはずれのささいな抵抗」という短篇小説だった(金原瑞人・訳『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる / ハプワース16、1924年』所収)。

ホールデン・コールフィールドを主人公とする、この短篇小説は、1941年(昭和16年)12月『ニューヨーカー』に掲載される予定だったが、日米開戦の影響を受けて、掲載見合わせとなってしまう(戦時にはふさわしくない内容だった)。

アメリカ軍の兵士として、第二次世界大戦に参加したサリンジャーは、戦地でも小説を書き続ける。

それは、『ニューヨーカー』に掲載予定だった短篇小説を、長篇小説へと発展させる作業だった。

1951年(昭和26年)に刊行された『ライ麦畑でつかまえて』は、戦前から戦後にかけて、サリンジャーが心血を注いで育ててきた長篇小説だったと言える。

そして、サリンジャーの痛ましい戦争体験は、主人公(ホールデン・コールフィールド)にも、暗い影を与えた。

サリンジャーの出版エージェンシーで勤務した経験のあるジョアンナ・ラコフは、第二次大戦のトラウマを抱えた元米軍兵士から、サリンジャー宛てに届いた手紙のことを書き記している。

「引退したいま、気付けば戦争のことを考えています。働いていた頃は、家に帰ると『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだものです。当時は大好きな本でした。ホールデン・コールフィールドは、わたしの感じていた怒りや孤独を完璧に言葉にしているように思えました。あの本がわたしを救ってくれたのかもしれません」(ジョアンナ・ラコフ「サリンジャーと過ごした日々」井上里・訳)

十代の少年を主人公とする青春小説は、なぜか、元米軍兵士からも強い支持を得たらしい。

とは言え、『ライ麦畑』の中心的な読者は、やはり、主人公と同じ閉塞感を抱えて生きる、現代社会の孤独な若者たちだった。

1951年(昭和26年)、サリンジャーの『ライ麦畑』は、『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラー・リストで最高四位を獲得するヒット作となる。

アメリカだけではない。イギリスはいうまでもなく、フィンランド、ドイツ、フランス、イタリー、ポーランド、イスラエル、チェコ、それにソヴェートでも翻訳出版されて著しい反響を呼んだそうだ。(サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝「解説」)

同時に、スラングの多用された反社会的な、この作品は、保守的な大人社会から強い批判を浴びなければならなかった。

地方の学校では、この作品を「禁書目録」に掲載する場合さえあったという。

今でも少なからざる場所で『キャッチャー』は学校の図書館から閉め出され、英語の授業の選択図書から外され、「有害図書」に指定されたりしている。(村上春樹「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説」)

一方で、少年の異常行動のサンプルとして、心理学の教材にも使用されていたという『ライ麦畑』は、1980年代に入って、二つの大きな事件で注目を集める。

ひとつは、1980年(昭和55年)12月に発生した「ジョン・レノン射殺事件」で、犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマンは、犯行直後、警察官が現場へ到着するまでの間、平然と『ライ麦畑』を読み続けていたという。

自分の名前を「ホールデン・コールフィールド」に変えてしまうくらい、『ライ麦畑』の世界へ入り込んでいた彼には、ジョン・レノンが、インチキな世界の象徴のように見えていたのかもしれない。

さらに、1981年(昭和56年)3月、ロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂事件が起こる。

情緒不安定な犯人(ジョン・ヒンクリー・ジュニア)の所持品の中には、ボロボロになるまで読みこまれた『ライ麦畑』があった。

1965年(昭和40年)以降、完全な隠匿生活に入っていたサリンジャーは、二つの事件によって、再び社会的な注目を集めるが、彼が、公の場へ姿を見せることは決してなかった。

時代が変わっても、熱狂的な支持を得続けた1950年代の青春小説は、狂った若者たちの凶行と、作者の謎の生活も加わって、いよいよカルトな人気作品となっていく。

俗に二十年経って評価が変らなければその小説は本物と言われるが、三十年を経た「キャッチャー」は「白鯨」や「ギャツビイ」と肩を並べてアメリカ文学の名誉の殿堂入りを遂げる雰囲気が濃厚になってきた。(村上春樹『THE SCRAP』所収「一九五一年のキャッチャー」)

戦後の若者たちに向けて発信された青春小説は、こうして現代の古典となった。

ホールデン・コールフィールドは、今も、多くの若者たちと一緒に、孤独や疎外感を共有し続けている。

つまり、若者たちが抱える閉塞感は、時代が変わったからといって、簡単に解消されるようなものではなかったのだ。

作者(サリンジャー)の強い要望により、現代の古典『ライ麦畑』は、現在に至るまで一度も映画化されていないが、サリンジャーの伝記映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』(2017)では、『ライ麦畑』が完成されるまでの経過が、非常に丁寧に再現されている。

また、サリンジャーの出版エージェンシーで勤務した経験を小説化した作品、ジョアンナ・ラコフ『サリンジャーと過ごした日々』は、『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』(2020)のタイトルで映画化された。

さらに、サリンジャーが登場する映画としては、『ライ麦畑』に感銘を受けた若者が、サリンジャー探しの旅へと出かける青春映画『ライ麦畑で出会ったら』(2015)がある。

『ライ麦畑』を読む前に、イメージをつかんでおきたいという人たちには、どの映画もおすすめである。

ライ麦畑でつかまえて │ 野崎孝・訳

J.D.サリンジャー『The catcher in the rye』は、これまでに三回、日本語版の翻訳が出版された。

日本において、今に至るまでスタンダードとなっているのが、1964年(昭和39年)12月に白水社から刊行された野崎孝・訳『ライ麦畑でつかまえて』である。

「タイトルの訳が正確ではない」といった指摘を受けながらも、国内でサリンジャーといえば「ライ麦畑でつかまえて」と言っていいくらい、この作品名は広く普及した。

野崎孝の翻訳の根底にあるのは、大人社会に反抗する孤独な少年としてのホールデン・コールフィールド像である。

作品の基本的パターンを言えば、子供の夢と大人の現実の衝突ともいえるだろう。いつの世にも、どこの世界にもある不可避的現象だ。純潔を愛する子供の感覚と、社会生活を営むために案出された大人の工夫の対立。夢を阻む壁が厚ければ厚いほど、それを破ろうとする反発力は激化してゆくだろう。(サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝「解説」)

「孤独な少年」対「欺瞞に満ちた大人社会」という構図は、『ライ麦畑』の平均的な解釈として定着している。

主人公ホールデンの言葉が誇張にみちて偽悪的なまでにどぎついのは、大人が善とし美としているもののまやかしを何とかして粉砕しようとする彼の激情の所産である。(サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝「解説」)

「誇張にみちて偽悪的なまでにどぎつい」ホールデンの言葉は、野崎孝・訳では、極めて特徴的なものとなっている。

この文体──ホールデンが自分の体験を語ってきかせる、その言葉つき──これは、五十年代アメリカのティーン・エイジャーの口調を実に的確に捕えていると推賞され、遠い将来には、この時代の口語を探る絶好の資料として読まれるだろうと評されているものだけに、これを日本語に訳すことは至難であり、それを承知しながらあえてこの難事に挑戦した私の暴挙が、果たしてどこまで原文の感じを移すことに成功しているか、それは大方の判断にまつほかはない。(サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝「解説」)

ホールデンの言葉を訳すにあたり、野崎孝は、極めて斬新で独創的な文体を生み出した。

「実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな」「去年のクリスマスの頃にへたばっちゃってさ」「いろんなイカレタことを経験した」「このいやったらしい町からそう遠くないもんだからね」「奴さん、ジャガーを持ってやがんだよ」「これには参ったね」「いつだって、女の子はゼンゼン少ししかいないんだな」「競技だってさ、クソくらえ」「インチキだよ」「チェッ!っていう癖もあるんだ」「こんなチャラッポコを僕に読んできかせるなんて」「よたをとばしてやった」「奴らは三人とも本物の低能だったな」「外はジャカスカ雨が降っていて」、、、

深夜放送のラジオからヒントを得たという若者言葉は、日本の若者たちに受け入れられて、ホールデン・コールフィールドという主人公像の設定に、大きな貢献を果たしている。

当時、高校生だった村上春樹も、野崎孝・訳の「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ。

僕(村上)自身もこの野崎氏の訳で高校時代に『キャッチャー』を読み、感銘を受けたくちである。(村上春樹「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説」)

一方で、時代を反映しやすい若者言葉は、時代遅れになりがちな側面も併せ持っていて、いささか古臭い印象を与えていることは否めない。

もしも、野崎孝・訳に難しい部分があるとすれば、それは、時代の変化への対応という部分ではないだろうか。

なにしろ、1964年(昭和39年)の翻訳である(現在からちょうど60年前)。

しかも、当時の若者言葉(流行語)を意識しているから、現在では使われなくなった古い言い回しも少なくない(例えば「チャラッポコ」「ジャカスカ」のように)。

ある意味で、1960年代の空気感を感じたい人に、野崎孝の翻訳はおすすめだと言える。

そして、反抗する少年像としてのホールデン・コールフィールドは、やはり、野崎孝の翻訳で読んだ方が、すっきりと伝わってくるのではないだろうか。

つまり、従来の「ライ麦畑でつかまえて」が持っていた作品イメージを維持できるのは、野崎孝・訳の「ライ麦畑でつかまえて」だけということになるのだ。

書名:ライ麦畑でつかまえて
著者:J.D.サリンジャー
訳者:野崎孝
発行:1984/5/20
出版社:白水Uブックス

キャッチャー・イン・ザ・ライ │ 村上春樹・訳

時代の変化に対応した新しい翻訳として、2003年(平成15年)4月に白水社から刊行されたのが、村上春樹・訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』である。

しかし、『キャッチャー』のように、きわめて多くの人に読まれ、また文学史的にも重要な意味を持つ作品には、時代に応じて複数の翻訳があってしかるべきだというのが僕の(そしてまた出版社の)考え方であり、新訳の依頼を受けたとき、野崎氏の翻訳をそのままの形で残すという前提で、喜んで引き受けさせていただいた。(村上春樹「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説」)

現在、日本国内では、野崎孝・訳『ライ麦畑』と、村上春樹・訳『キャッチャー』の両方を読むことができる。

同じ原作の翻訳作品とはいえ、『ライ麦畑』と『キャッチャー』とは、かなり趣向の異なる作品となっている。

はっきり言って、これは、まるきり別の作品と言っていい。

村上『キャッチャー』では、野崎『ライ麦畑』にあった、ホールデン・コールフィールドの突拍子もない言葉遣いは姿を消した。

「でもはっきり言ってね、その手の話をする気にはなれないんだよ」「去年のクリスマス前後に僕の身に起こったとんでもないどたばたについてだよ」「このうらぶれた場所まではそんなに距離はないから」「なにしろジャガーを手に入れたばかりなんだよ」「これにはもう参っちまったね」「女の子はほとんどやってこない」「ゲームもくそもあるもんか」「嘘っぽい言葉だ」「やれやれ!ってのも口癖なんだ」「そんなクソみたいなものを僕の面前で声に出して読み上げたことで」「だから僕はひとしきりまくしたてた」「まったく底なしに鈍くさい三人組なんだよな」

村上春樹の訳は、野崎孝の破天荒な訳に比べると、かなりクールで落ち着いている。

村上訳で読むと、主人公(ホールデン・コールフィールド)は、いくぶんマシな(というか、かなりマシな)少年に思えてくるのではないだろうか。

そして、村上春樹の訳は正確である分、説明的で、教科書チックな印象を与える。

つまり、由緒正しい翻訳小説の形が、村上訳の『キャッチャー』からは感じられる。

ともすれば、村上春樹の小説を読んでいるかのような文体だから、村上春樹の小説を読み慣れている人にはおすすめかもしれない。

一方で、野崎訳の「クセのある」ホールデン・コールフィールドに親しんでいる人にとっては、物足りなく感じるということも、また、確かだろう。

あるいは、没個性が進む現代社会において、ホールデン・コールフィールドは、意外と村上春樹の翻訳のように、それなりにまともな言葉を使う少年なのかもしれない。

もちろん、ストーリーが変わらない以上、ホールデン・コールフィールドの異常な行動が変わることもないのだが。

村上春樹訳『キャッチャー』における最大のポイントは、主人公ホールデン・コールフィールドの内面の葛藤(オルターエゴ)にフォーカスされている、ということだ。

【村上】結局、この話は、ホールデンがニューヨークに出てからは、一種の地獄めぐりみたいな構成になってますよね。でも、その地獄というのは、巨大都市という現実的な地獄でありながら、そのまま、ホールデンの、そしてつまりはサリンジャーの、魂の内側の暗闇でもあります。(村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」)

村上春樹は、『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』など、人間の深層心理を物語化して描く作品を、いくつも発表してきた。

というよりも、深層心理を描くことが、村上春樹という作家のライフ・ワークになっていると言っていい。

村上春樹的に読んで『キャッチャー』は、主人公ホールデン・コールフィールドの、ある意味における「自己探索の物語」でもあったのだ。

【村上】それから、DBとかフィービー、アリー、そういうホールデンの兄弟姉妹に関して言えば、これはもう完全に自己分身的な存在ですよね。(村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」)

「社会に反抗する無垢な少年の物語」という従来の解釈を越えた翻訳が、村上春樹の『キャッチャー』にはある(村上春樹は「これまでの『キャッチャー』の読み違い」とさえ言っている)。

単純に言ってしまえば、もう完全にサリンジャー自身のオートバイオグラフィー(自伝)的なもの」というのが、村上春樹による『キャッチャー』の解釈だった。

【村上】そういう意味では、『キャッチャー』を読むと、これは彼自身による自己のトラウマの分析と、その治療の道を見つけるための自助的な試みなんだな、というふうに僕は捉えるわけです。(村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」)

だから、自己療養的な視点から、この作品を読みたいと考えている人は、間違いなく、村上春樹訳の『キャッチャー』を読んだ方がいい。

村上春樹の小説を読むような楽しさが、そこにはあるかもしれない。

書名:キャッチャー・イン・ザ・ライ
著者:J.D.サリンジャー
訳者:村上春樹
発行:2003/04/20
出版社:白水社

危険な年齢 │ 橋本福夫・訳

ところで、サリンジャー『The catcher in the rye』には、もうひとつの日本語翻訳がある。

それが、橋本福夫の翻訳により、1952年(昭和27年)12月にダヴィッド社から刊行された『危険な年齢』(J.D.サリンガー)だった。

本国アメリカにおける刊行が、1951年(昭和26年)7月だから、『危険な年齢』の翻訳は、ほぼリアルタイムなものだったと言っていい。

「危険な年齢」は昨年(1951年)に出版されたものであり、わたしがこの書を初めて読んだのはちょうど一年前の昨年の十二月頃であった。「ハーパース・マガジン」の書評でこの書のことを知り、期待して読んだのだったが、はたして期待に背かないものであると思った。(J.D.サリンガー「危険な年齢」あとがき:橋本福夫)

サリンジャーは、当時、日本では、まだ普通に知られる作家ではなかったらしい。

作者J.D.サリンガーはまだ若い人であり(1919年生まれである)、長篇小説はこれが処女作であって、今迄は短篇小説をいろんな雑誌に載せていたということだけれども、わたしはまだ残念ながらそれらの短篇小説を読んでいない。(J.D.サリンガー「危険な年齢」あとがき:橋本福夫)

訳者にとって、サリンガーは「未知数の作家」であって、本作『The Catcher in the Rye』についても、特別の思い入れを持つこともなく、自然体で翻訳していることが伝わってくる。

もちろん、『The Catcher』は、本国アメリカで発売直後からベストセラー作品になっていたし、あとがきには「映画嫌いなホールデン・コールフィールドには皮肉な話だが、映画化されるそうである」とも綴られている(実際に映画化されることはなかった)。

アメリカの生んだ戦後(アプレゲール)らしい戦後小説」であり、アメリカの若者たちに支持されている当代の人気作品として、訳者は、この物語を日本へ紹介するつもりだったらしい(なにしろ、この文学作品が、後に神格化されることを、当時は誰も知らない)。

タイトル「危険な年齢」については、「出版社であるダヴィッド社におまかせした次第であった」とある。

直訳すれば「ライ麦畑でとらまえる者」となるこの作品名を、どのような形で日本語に翻訳することが正解なのか、訳者にも判断が難しかったのだろう。

「危険な年齢」は多少漠然としているが、「ライ麦畑でとらまえる者」は戦後のアメリカの若い人達の持つ空虚感を表明した言葉であった。(略)要するに、「ライ麦畑でとらまえる者」とは、現実の虚偽、気取り、無神経、野蛮、グロテスクに絶望して、現実的な、実際的なことがらのすべてへの興味も希望も喪失した若いひとを、象徴しているわけである。(J.D.サリンガー「危険な年齢」あとがき:橋本福夫)

アプレゲール(戦後)という文脈から読んだとき、『危険な年齢』は、若者たちの虚無感を象徴した物語ということになる。

そして、戦争が終わって、まだ6~7年しか経っていない時代にあっては、そのような読み方が、最も自然だったはずで、「危険な年齢」という日本語タイトルには、戦争直後という時代背景が含まれていたことに注意しなければならない。。

ちなみに、この時代、日本の文壇に登場してきたのは、安岡章太郎や吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三といった、いわゆる「第三の新人」世代だった(サリンジャーが1919年生まれ、安岡章太郎が1920年生まれ、庄野潤三が1921年生まれ)。

さらに、1956年(昭和31年)には、石原慎太郎『太陽の季節』がベストセラーとなって、戦後の新しい若者たちの代表として「太陽族」が登場する。

こうした時代背景を考えると、当時の『危険な年齢』は、戦後に登場した新しい世代を象徴する作品として、日本の読者にも受け止められていた可能性は大きい。

本作『危険な年齢』のポイントは、戦後を生きる若者たちの喪失感に主眼が置かれている、ということになる。

戦争直後の喪失感(橋本福夫)、社会への反抗(野崎孝)、そして、オルターエゴ(村上春樹)。

三つの翻訳の歴史を振り返ってみると、発表から70年以上を経過するこの物語は、それぞれの時代を反映しながら、日本語による翻訳作品を得てきた。

できることなら、この三つの翻訳を読み比べてみることで、『The catcher in the rye』という作品に対する理解が、より深まるのではないだろうか。

書名:危険な年齢
著者:J.D.サリンガー
訳者:橋本福夫
発行:1952/12/20
出版社:ダヴィッド社

喪失感を抱えた若者による自分探しの物語

日本国内においても、70年以上読み継がれてきた『The catcher(ライ麦畑)』だが、その内容について、「何が言いたいのか分からない」という読後感は、未だに後を絶たない。

既に、古典とさえ言える『ライ麦畑』は、どうして理解が難しいのだろうか。

ストーリーとして、この物語は、全寮制の高校を中退した孤独な少年(ホールデン・コールフィールド)が、クリスマス前のニューヨークの街をフラフラとさまよい、実家に戻って妹(フィービー)と再会するというシンプルな内容になっている。

あらすじとしてシンプル過ぎるからこそ、一見「オチ」のない結末に、読者は戸惑ってしまうのかもしれない。

実際、『ライ麦畑』は、表面的なストーリーだけでは理解することが難しい、暗示性に富んだ、深い文学作品だ。

その代表が、主人公(ホールデン・コールフィールド)の被っていた「赤い帽子」である。

ついでその朝ニューヨークで買った帽子をかぶってみた。やけに長いひさしのついている赤い鳥打帽子なんだ。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

なお、ここでは、現在入手が難しい橋本福夫・訳『危険な年齢』から引用することで、野崎孝や村上春樹の翻訳との比較ができるようにしておく。

耳垂れの付いた赤い鳥打帽子は、物語の中で「ホールデン自身」として機能していく。

僕は鳥打帽子を、僕の好きなようにひさしをうしろにまわしてかぶり、ついで、あらん限りの声をはり上げてどなってやった。「眠りほうけろ、この低能めら!」(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

大きな声で怒鳴る前に、赤い帽子を後ろに回しているところに、ホールデンの心情が反映されている。

フィービーの小遣いをもらったホールデンが泣き止んだとき、彼は、赤い鳥打帽子をフィービへ渡す。

それから僕はオーバーのポケットから例の鳥打帽子をとり出して、彼女にやった。フィービはこういうへんちくりんな帽子が好きなんだ。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

さらに、回転木馬の場面(ラストシーン)では、フィービーが、ホールデンの頭に、赤い鳥打帽子を乗せる。

すると彼女はどうしたかというと──僕はまいらされたんだけど──僕のオーバーのポケットに手をつっこんで、僕の赤い鳥打帽子を取出し、僕の頭にかぶせてくれたんだ。「きみはいらないのかい?」と僕は言った。「すこしのあいだ、兄さんがかぶってていいわ」(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

赤い鳥打帽子が、兄妹の(心の)キャッチボールを暗示的に描いている。

こうした鳥打帽子の描写は、アントリーニ先生の「君は自分の真実の尺度を知り、それに応じた帽子を自分の頭にかぶらせられるようになる」という言葉に呼応したものだろう。

つまり、鳥打帽子そのものが、ホールデン自身だったのだ。

セントラルパークの小さな湖にいるアヒルも、ホールデンにとって大きな関心事だった。

「ねえ、君、ホリッヅ君」と僕は言った。「君は中央公園の中の湖(ラグーン)のそばを通ったことがないかい? 中央公園の近くのさ」「あそこのなんです?」「池。あの小さな湖みたいなやつさ。ほら、アヒルがいたりする」(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

湖が凍ってしまう冬の間、アヒルは、どこへ行ってしまうのだろうか?

アヒルは、もちろん、ホールデンの化身であり、アヒルの謎は、ホールデン自身の居場所探しでもある。

つまり、この物語では、様々な描写に、ホールデン自身の姿が投影されているのだ。

みんなが廊下をバタバタと駆け出し、階段を走り降りて行くので、僕もバスローブをひっかけて駆け降りてみると、ジェイムズ・キャスルが石段の上に横たわっていた。死んでしまっていて、歯や血がそこらに散らばっており、誰もそばへ寄ってみる者もなかった。キャスルは僕の貸してやった丸首のスエーターを着ていた。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

ホールデンのセーターを着て自殺したジェイムズ・キャスルも、また、ホールデンの分身として読むことができる。

こうした主人公の投影は、『ライ麦畑』という物語を読み解く上で、非常に重要な要素と言えるだろう(投影探し)。

ホールデンの反社会的スラングの多用は、あくまでも表面的な仕掛けであって、随所に織り込まれた暗示性を、どのように読み解くかというところに、この物語の「深さ」がある。

どこまでも掘り進めていくことができるのが、『ライ麦畑』という文学作品だったからだ。

泥酔したホールデンは、喧嘩別れしたばかりのサリーの自宅に、真夜中の電話をかける。

「サリイかい? きみんところのクリスマス・ツリーの飾りつけに行くぜ。いいかい? ねえ、いいかい?」「もうわかったわよ。さっさとおやすみ。いまどこにいるの? 誰といっしょなの?」「誰とでもないんだ。おれと僕自身と僕とだ」(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

誰とでもないんだ。おれと僕自身と僕とだ」というホールデンの言葉は、この物語が、多くのホールデンの分身によって構成されていることを暗示している。

社会を嫌悪するホールデンの嫌悪感は、ある意味での自己嫌悪であり、社会に傷付くホールデンの姿は、自分自身に傷付いている少年の姿なのだ。

ホールデンが「インチキ」と呼んだ現代社会は、実は、ホールデン自身の中に潜む「インチキ」であり、フィービーが持つイノセンスは、ホールデン自身が持つイノセンスでもある。

『ライ麦畑』という、この物語まるごと全部が、つまりは、ホールデン・コールフィールドという少年自身だった。

そして、作品タイトルと深く関わってくるロバート・バーンズの「Comin Thro’ The Rye(カミン・スルー・ザ・ライ)」。

最初に、この歌が登場するのは、教会から出てきた子どもたちが、車道を歩きながら歌っている場面である。

僕は何を歌っているのか聞きたいと思って、いっそう近寄ってみた。その子供は「だれとだれとが麦ばたけで」という歌を歌っているのだった。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

幼い兄弟は、歩道ではなく車道を歩いているが、彼らの両親は、子どもたちに注意を払うこともなく、前を歩いていく。

このときの「だれとだれとが麦ばたけで」が、ホールデンに勇気を与えてくれた(自分の居場所を見つけた)。

僕が何になりたいか知ってるかい?」と、ホールデンはフィービーに訊ねる。

「なによ? えらそうなことを言って」と、フィービーは兄を突き放す(『危険な年齢』のフィービは、クールな男前でかっこいい)。

「とにかく、僕には、ひろいライ麦畑のなかかなんかで、小さな子供たちが遊んでいる様子が頭に浮んでくるんだ。何千人もの小さな子供がね。そしてあたりには僕よりほかには誰も──おとなはだよ──いないんだ。僕は断崖のふちに立っている。僕のしなきゃならないことは、子供たちが断崖から転げ落ちそうになったら、つかまえることなんだ。子供たちがわき目もふらずに夢中で走ってきたりしたら、僕がどこからか飛び出してきて、つかまえてやるんだ。一日じゅうそんなことばかりをしているんだ。そういうライ麦の中のとらまえる者になら、僕はなってみたいな」(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

ライ麦畑の中で遊ぶ子どもたちは、ホールデンの持つイノセンスを投影したものだっただろうか。

変わることを恐れるホールデンは、自分自身の変化を(成長を)何よりも恐れていた。

ホールデンにとって成長とは、イノセンスを失ってしまうことだと知っていたからだ。

そして、イノセンスの喪失とは、ホールデンにとって、社会における自身の居場所の喪失をも意味していたのである。

ホールデン・コールフィールドの愛読書には、フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』があった。

僕はD・Bに、リング・ラードナーのものや「グレート・ギャッビイ」のような作品なら、僕は今でも愛読できるんだから、と言ってやった。事実そうなんだからね。僕は「グレート・ギャッビイ」には夢中になっていたんだ。ギャッビイ。愉快な男だな。あの男には僕もまいったよ。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

ホールデンの中のギャツビーは、イノセントを抱えたまま死んでいった30歳の男である(なにしろ、初恋の相手デイジーへの純愛はすごい)。

あるいは、変わらずに成長することの一つのモデルを、ホールデンはギャツビーの中に見出していたのかもしれない。

長い物語の(わずか三日間の物語だが)随所に登場するSOSは、ホールデン自身のSOSである。

「僕は何からも何ひとつ得られない人間なんだ。僕自身が狂ってきているんだ。へんてこになってきているんだ」(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

ガールフレンド(サリー・ヘイズ)とうまく意思疎通できないホールデンは、突然、「二人で山小舎か何かで暮そうじゃないか」と提案する。

都会願望の強い(つまり俗物の)サリーは、ホールデンの申し出を当然拒否するが、現状からの逃避を願うホールデンの言動は、この物語の大きな主題となっている。

高校の寄宿舎を飛び出して、真夜中のニューヨークをさまよい、田舎暮らしを提案するホールデンの行動を支えているものは、現状への不満によって育まれた、現実世界からの逃避願望である。

自己認識と現実社会との価値観のズレが、ホールデンを現実社会からの逃避へと駆り立てていた。

ホールデンの反社会性は、現実社会と折り合うことのできない自身の疎外感に裏打ちされていたのだ。

むしろ、ホールデンは、自分が生きている社会の現実に、常に傷付き続けているのであり、盛んに「気がめいる」という言葉を連発しているのも、その表れだったのだろう。

正直に言うと、性欲よりも気がめいってくるほうが強かった。彼女そのものが僕の気持をめいらせるんだ。押入れにかけた緑色のドレスやなんかがね。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

ホールデンは、とにかくいろいろなものに傷付いているが、彼を一番傷付ける存在は、最愛の妹フィービー(10歳)だった。

その時、僕は不意に泣き出してしまった。泣かずにはおれなかったんだ。誰にも聞きつけられないように気をつけたけれど、泣いたことは事実なんだ。僕が泣き出すと、フィービがすっかりおびえてしまい、そばへ来てなぐさめようとしてくれたけれど、一度泣き出すと、どうにも止められるものじゃないよ。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

フィービーからクリスマスの小遣いをもらったホールデンが号泣する場面は、この物語の中でも、とりわけ切ない場面だ。

フィービーの優しさが、ホールデンを傷付けるのであり、フィービーの持つイノセンスが、ホールデンをまた傷付けるからだ。

ホールデンは、変わることを恐れる少年だった。

今あるがままのすがたでとどめておきたいものもある。そうしたものは、あの大きな硝子のケースの一つに納めて、そうっとしておきたいのだ。そんなことは不可能だということは僕も知ってはいるけれど、それではひどすぎる気がする。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

イノセントなフィービーも、やがては俗世間の中へ解き放たれて変わってしまうだろう。

そのことを知っているからこそ、ホールデンは、フィービーの持つイノセンスにも傷付いていたのだ。

街の女の子たちを眺めながら「この女の子たちみんなに、これからどんなことが起るだろう」と考え、「いずれは大部分の者が馬鹿な男たちと結婚するにきまっている」と妄想して、自ら傷付くホールデンである。

フィービーの変化(成長)には、とても耐えられそうもない(「喪失感」の予感)。

アリイ、僕の姿を消さないでおくれ。アリイ、僕の姿を消さないでおくれ。アリイ、僕の姿を消さないでおくれ。おねがいだからね、アリイ」(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

弟(アリイ)が死んだとき、13歳だったホールデンは、ガレージの窓ガラスを、拳ですべて叩き壊してしまう。

変わることの恐怖が(失われてしまうことの恐怖が)、ホールデンを精神的に追い詰めたのだ。

それでも、傷付きやすいホールデンの心を癒してくれるのも、やはり、フィービーの持つイノセンスだった。

土砂降りの中、回転木馬に乗っているフィービーを見て、ホールデンは幸福な気持ちになる。

だが僕は気にもかけなかった。僕は急にむやみに幸福な気持がしてきたんだ。フィービがくるくる廻っているのを眺めているとね。正直に言うと、大声を上げそうになるほど、むやみに幸福な気持がしてきたんだよ。なぜだか知らないがね。(J.D.サリンガー「危険な年齢」橋本福夫・訳)

回転木馬は、フィービーの持つイノセンスの永続性を象徴したものだろう。

少なくとも、ホールデンは、フィービーを乗せて回り続ける回転木馬に、未来への希望を見たのだ。

だから、この物語は、喪失感を抱えた若者の、自分探しの物語として読むことができる。

答えは見つからないまでも生きるヒントはある、的な。

戦場でトラウマを抱えた元アメリカ兵も、現代社会を生きる若者たちも、それぞれの喪失感を抱えて生きていた。

本作『ライ麦畑でつかまえて』は、そんな我々に、未来への希望を与えてくれる物語なのだ。

まとめ │ 「ライ麦畑体験」のすすめ

橋本福夫の『危険な年齢』を、今、読むことはできない(図書館にはあるかもしれない)。

しかし、野崎孝の『ライ麦畑でつかまえて』であれ、村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』であれ、傷付きやすい少年(ホールデン・コールフィールド)に、自分自身の姿を投影することは可能だ。

あるいは、現状に何の不満も抱いていないという人には、この物語を理解することは難しいかもしれない。

大切なことは、失うこと(変わること)を恐れる心であり、居場所を探して歩き回る行動力(生命力)だからだ。

【村上】この本についていちばん素晴らしいと思うのは、そういうまだ足場のない、相対的な世界の中で生き惑っている人に、その多くは若い人たちなんだけど、自分は孤独ではないんだという、ものすごい共感を与えることができるということなんですね。(村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」)

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は、将来への希望に満ちた物語である。

僕はもう掛け値なしにハッピーな気分だったんだよ。嘘いつわりなくね。(J.D.サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」村上春樹・訳)

理屈を越えて、感情に訴えかけてくる「何か」が、この作品にはある。

まずは、どの翻訳でもいいから、実際に手に取って、読み始めてみることだ。

「ライ麦畑体験」は、この小説を読んだものにしか分からないものなのだから。

書名:翻訳夜話2 サリンジャー戦記
著者:村上春樹・柴田元幸
発行:2003/07/20
出版社:文藝春秋

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みつの沫
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。