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芥川龍之介「トロッコ」少年時代への郷愁と帰る場所のない大人の孤独感

芥川龍之介「トロッコ」あらすじと感想と考察

芥川龍之介「トロッコ」読了。

本作「トロッコ」は、1922年(大正11年)3月『大観』に発表された短篇小説である。

この年、著者は30歳だった。

作品集としては、1923年(大正12年)5月に春陽堂から刊行された『春服』に収録されている。

母親を慕い、少年時代を懐かしむ

本作「トロッコ」は、帰る場所のある少年の安心感を描いた物語である。

逆説的に言うと、それは、既に帰る場所を失ってしまった元・少年の心細さ(不安)を描いた物語ということになる。

つまり、この小説で作者が伝えたかったことは、帰る場所のない大人の孤独感だった、ということだ。

この小説のハイライトは、言うまでもなく、家に帰り着いた途端に、主人公(良平)が号泣するラストシーンである。

彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。(芥川龍之介「トロッコ」)

そして、主人公の安心感を、殊更に強くする効果を現しているのが、家に帰り着くまで良平が抱いていた、強い不安感だった。

蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷ってもつまずいても走って行った。やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。(芥川龍之介「トロッコ」)

強い不安を抱いて夕闇の中を走り続けた主人公は、両親の待つ家へ辿り着いた途端に号泣してしまう。

少年の日の、この安心感は、大人になった今、既に取り戻すことはできない。

この作品は、過去を描きつつ、実は、現在を描いているという、人生を象徴する物語なのだ。

物語の最後に、大人になった主人公の心境が綴られているのが、その証拠である。

良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している(芥川龍之介「トロッコ」)

トロッコが導く数々の坂は、主人公が乗り越えてきた人生の坂道でもあっただろう。

そして、人生のアップダウン(薄暗い藪や坂のある路)は、これから先にも延々と続いていく。

時には、泣きたくなるような場面があるかもしれない。

しかし、大人になった主人公は、少年時代のように、もう泣いたりすることはできない。

彼には帰る場所などないし、今や、彼自身こそが、妻子の帰る場所となってしまっているからだ。

本作「トロッコ」は、中学校・国語の教科書に収録されることで、広く人口に膾炙する作品となったが、この小説の本当の意味を理解するには、中学生では早すぎるだろう。

大人になって、人生に惑い、帰る場所のないことに気がついた時にこそ、この物語は、大きなリアリティを持って蘇ってくるからだ。

大人になって読むと、作品の細かいところにも、大人になった元・少年の気持ちが反映されていることに気がつく。

良平は殆ど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。(芥川龍之介「トロッコ」)

一人で帰らなければならないという事実に気がついたとき、泣きそうになりながらも、主人公は「泣いている場合ではない」と思う。

これは、当時の少年の気持ちであると同時に、大人になった元・少年の気持ちでもなかったか。

泣きたいような場面でも、簡単に泣くことはできない。

そこに大人の厳しさがある。

さらに、胸に沁みるのは、家へ帰ったときの母親の優しさだ。

その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。(芥川龍之介「トロッコ」)

「殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした」という文章に、母親に愛されて育った少年の気持ちが表れている。

興奮している少年には、母が何と言ったのか覚えていない。

ただ、母の優しさだけが、記憶の中に強い印象として残っている。

この作品は、少年時代を懐かしむと同時に、(おそらくは今は亡き)母親を慕う小説でもあったのだ。

「トロッコ」は大人になってから読み返したい小説だ

多くの家族小説を残したことでも知られる庄野潤三は、作品の中で繰り返し亡き父や亡き母の思い出について触れた。

両親を慕う庄野さんの作品には、芥川龍之介「トロッコ」に共鳴する主題が流れている。

(大人になった)多くの読者は、この物語を読んで、優しかった父や母の思い出を懐かしく思い出すことだろう。

同時に、帰る家を失ってしまった孤独を、しみじみと感じるかもしれない。

この作品が、時代を超えて多くの読者に支持されているのは、大人であれば誰もが持つだろう心細さを描いているからに他ならないからだ。

SIONのアルバム『蛍』(1992)に収録されている「2月というだけの夜」は、芥川龍之介の「トロッコ」にインスパイアされた作品だと思われる。

暗くなるまで遊んでいた少年が、息もしないで走って家へ帰る。

やっと家に着いた時
えらく叱られたけど
ほっとして 全部ほっとして
あの時の空の黒さに似て
あの時の心細さに似て
あの時のカラッポに似て
あの時と掛け離れた俺が居る

(SION「2月というだけの夜」)

<帰る家のある安堵感>と<帰る家のない頼りなさ>とが、この作品でも描かれていて、あたかも「トロッコ」のデジャヴを見ているかのようだ。

人は、大人になったとき、誰しも、一人で生きることの不安を感じることがある。

そして、そのとき、自分には、既に帰る家がないという事実に初めて気がついて、温かった少年時代の記憶を思い出すのだ。

ところで、「トロッコ」のモデルについて、瀧井孝作は、「純潔―『藪の中』をめぐりて―」(1951年1月『改造』)の中で、「力石君から貰受けた五六枚の原稿で、書改めた」と記している。

角川文庫版『トロッコ・一塊の土』に収録されている三好行雄の作品解説によると、湯河原出身のジャーナリストで、当時、金星堂の校正係を務めていた<力石平蔵>(平造や平三の表記もあり)がモデルになっていたものらしい。

三島由紀夫のいわゆる<日本独特の、作文的短編>で、<トロッコという物象にまつわる記憶を描いて、それを徐々に人生の象徴へもってゆき、最後に現在の心境に仮託させる>手ぎわはまことにみごとである。彫琢のゆきとどいた名文で、つとに<写実の奥を掻きさぐっている>文章という室生犀星の激賞がある。(三好行雄「作品解説」)

中学校の教科書に掲載されていることで、ともすれば「トロッコ」は、子ども向けの作品と思われがちだが(実際、多くの少年少女文学全集にも収録された)、この物語は、やはり、大人になってこそ読むべき作品だと思う。

子どもにも理解できるような内容で、大人の心境を綴った芥川龍之介の才能ということだろうか。

書名:トロッコ・一塊の土
著者:芥川龍之介
発行:2018/10/24
出版社:角川文庫

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みつの沫
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。