織田裕二「就職戦線異状なし」バブル世代のリアルな就職活動を語る

就職解禁日の3月1日目前である。

NHKニュースによると、コロナ禍の中、就活生の多くが不安を抱えているという。

僕が就職活動を始めたのは大学4年生のときで、1989年(平成元年)の夏だった。

それは、バブル景気が最高潮に盛り上がっていて、「超売り手市場」などという言葉が当たり前の時代だった。

企業側は会社説明会に参加する学生集めにも必死で、多くの先輩たちがリクルーターとなって、母校の後輩たちに声掛けをしていたくらいだ。

友人に頼みこまれて、某企業の説明会に参加したときは、帰りがけに、その友人の先輩から一万円札を渡された(一人一枚である)。

そんなふうにして出席した会社説明がどのくらいあったか思い出せないが、今となっては、それが、どんな分野の企業だったのかということさえ思い出せない。

もっとも、そんな超売り手市場にあっても、人気企業に就職することは、極めて難関であったことは当然である。

あの頃、僕の周りでは、金融業界とマスコミ業界に人気が集中していて、この二つの業界に就職することができれば、まあ、とにかく、就活は大成功だと思われていた。

織田裕二主演の映画『就職戦線異状なし』を観ると、あの頃の就職活動の空気を思い出す。

マスコミを志望してバタバタ駆けずり回る織田裕二の姿は、まったくもって、学生時代の僕自身の姿でもあったからだ。

織田裕二主演の映画『就職戦線異状なし』織田裕二主演の映画『就職戦線異状なし』

「なりたいものじゃなくて、なれるものを捜し始めたら もうオトナなんだよ…」

『就職戦線異状なし』は、そんなキャッチコピーの青春映画である(ちなみに、主題歌は槇原敬之の「どんなときも」)。

僕の友人で、金融業界志望だったものの、銀行も信用金庫も生命保険も全滅の末、最終的に消費者金融(サラ金)大手の<武富士>に入社した人がいる。

最後まで「金融業界に入社したい」という自分の信念を貫き通した結果だったけれど、一年後には地方公務員へと転職してしまった(そして、今も地方公務員のままだ)。

某大手新聞社が主催するマスコミセミナーに参加したとき、作文試験の添削教室みたいなものがあった。

後日、その新聞社から「重役面接を受けるように」という連絡があったので、知っている先輩に訊ねると、作文試験の内容を見て、内々で面接選考を進めているのだという。

考えてみると、あれが僕にとって初めての面接試験だったらしい(もちろんダメだったけど)。

時間が空いているときには、志望ではない業界の面接試験も受けた。

内定をいくつ手に入れるかということが、当時の大学生の最大の関心事だったのだ。

外食産業へ行けば、その企業が運営するチェーン店で食事を御馳走してもらえた。

食品産業へ行けば、その企業の商品をたくさんお土産に持たせてくれた。

今にして思うと、超売り手市場の中、どの企業の人事担当者も、優秀な学生を確保しなければならないという思いで必死だったのだ。

その超売り手市場という波に乗って、当時の大学生は浮かれまくっていたのである(もちろん、僕自身も)。

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やがて、僕らは「バブル世代」と呼ばれて、会社のお荷物扱いされていくことになるのだけど(ちなみに、僕は「花の90年組」だった笑)

突然、映画の話に戻ると、『就職戦線異状なし』は、バブル時代の学生社会を知るのに、とても良い資料だと思う。

どうしてこれをDVD化しないのか。

全国の仙道敦子ファンのためにも、ぜひ今からでもDVD化して発売してほしい。

少なくとも、僕は買います(たぶん)。

ABOUT ME
kels
バブル世代のビジネスマン。読書と音楽鑑賞が趣味のインドア派です。お酒が飲めないコーヒー党。洋服はアーペーセーとマーガレット・ハウエルを愛用しています。