芥川龍之介『杜子春』は、人間に絶望した男を描いた短編小説である。

この記事では、本作『杜子春』のあらすじを整理するとともに、この小説が伝えているメッセージについて、分かりやすく考察していきたい。

3行でわかる『杜子春』

発端(大金と人間不信)
唐の洛陽で貧しい暮らしをしていた杜子春は、謎の老人から黄金のありかを教えられ、大金持ちになるが、財産を失うと人々に見捨てられる経験を繰り返し、人間というものに愛想を尽かしてしまう。

転換(仙人になるための試練)
老人の正体が仙人・鉄冠子であることを知り、弟子入りを願った杜子春は、仙人から「何が起こっても決して口をきいてはならない」という試練を与えられ、峨眉山で恐ろしい幻の世界にさらされる。

結末(「お母さん」の一言)
地獄で両親が責め苦を受ける姿を見ても沈黙を守っていた杜子春だったが、母親の苦しむ姿に耐えられず、思わず「お母さん」と叫んでしまった瞬間に試練は終わり、杜子春は仙人になることよりも、人間としての愛情を選ぶ。

『杜子春』簡単なあらすじ

唐の洛陽で、貧しい暮らしをしていた青年・杜子春は、ある春の日暮れ、途方に暮れて西門の下にたたずんでいた。そこへ現れた不思議な老人は、杜子春の影を指して、その頭のあたりを掘るように教える。言われた通りに掘ってみると、そこから大量の黄金が現れ、杜子春は一夜にして大金持ちになる。

ところが、金を使い果たして貧乏になると、それまで親しくしていた人々は離れていき、再び老人の助けで大金持ちになっても、同じことが繰り返されるだけだった。金銭だけでなく、人間というものそのものに愛想を尽かした杜子春は、老人に「仙人になりたい」と頼みこむ。老人は自分が仙人・鉄冠子であることを明かし、杜子春を峨眉山へ連れていく。

仙人になるための試練は、「何が起きても決して口をきかない」というものだった。杜子春の前には、恐ろしい怪物や猛獣が次々と現れ、さらに彼自身が殺され、地獄へ落ちるという凄惨な幻が繰り広げられるが、それでも杜子春は沈黙を守り続けた。

しかし最後に、地獄へ落ちた両親が目の前に現れます。父親が責め苦を受けても耐えていた杜子春は、母親が苦しめられる姿を見た瞬間、ついに耐えられなくなり、「お母さん!」と叫んでしまう。思わず声を発したことで、試練は終わった。

すべては仙人が見せた幻だった。鉄冠子は「もし杜子春が、両親の苦しみを見てもなお沈黙を守っていたなら、仙人になる資格はないとして命を絶つつもりだった」と明かす。そして、仙人をあきらめた杜子春に家と畑を与え、普通の人間として生きる道を示して去っていく。

【考察】杜子春の喪失と再生の物語

本作『杜子春』は、主人公・杜子春の喪失と再生の物語である。

①杜子春の絶望(喪失体験)

仙人から与えられた財産で、杜子春が得たものといえば、あまりにも身勝手な人間のエゴだった。

自分ではなく「金」に群がってくる人々に、杜子春は絶望していたのだ。

人間に絶望した杜子春は、仙人になることを決意する。

②杜子春の再生(人間らしさの回復)

仙人から与えられた試練によって、杜子春が得たものは「人間らしさ」だった。

「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っしゃっても、言いたくないことは黙っておいで」(芥川龍之介『杜子春』)

自分たちよりも、息子(杜子春)の幸せを願う母親の姿に、杜子春は人間の素晴らしさを見たのだ。

両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら「お母さん」と叫んだことで、杜子春は「人間らしさ」を取り戻す。

③『杜子春』の主題

1920(大正9)年7月号『赤い鳥』に発表された『杜子春』は、芥川龍之介による児童文学である。

しかし、芥川龍之介は、この作品を「普通の親孝行物語」として書いたのではなかった。

「人間は皆薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になって御覧なさい。柔しい顔さえもして見せはしません」(芥川龍之介『杜子春』)

「人間は薄情だ」という絶対的な絶望が、この物語に深みを与えている。

杜子春が見た地獄は「人間に対する絶望」を可視化した世界である。

地獄からの復活こそ、まさに、この物語の主題だったのだ。

おとなが読んでも感動することのできる児童文学が、つまり、この『杜子春』だったのではないだろうか。

【解説】唐代伝奇『杜子春伝』との違い

芥川龍之介『杜子春』は、唐代伝奇『杜子春伝』を大幅に再構成した創作である。

『杜子春』と『杜子春伝』の比較表

比較ポイント 唐代伝奇『杜子春伝』 芥川龍之介『杜子春』
物語の基本構造 杜子春が仙人になるための試練を受ける 原典の基本設定を踏まえながら、芥川が大幅に再構成
人間への絶望 財産をめぐる人間の欲望や薄情さが描かれる 金持ちになったときだけ人が寄ってきて、貧しくなると離れていくことで、杜子春の人間不信を強調
仙人の試練 どのような恐ろしいことが起きても、決して声を出してはならない 同じく「何が起きても口をきかない」という試練を受ける
沈黙を破る理由 家族への愛情によって、最後に沈黙を破る 母親への愛情によって、「お母さん」と叫んでしまう
試練の結果 仙人になることに失敗する 仙人になることには失敗するが、その「失敗」が人間らしさの証として描かれる
仙人の反応 杜子春が試練に失敗したことを惜しむ 鉄冠子は、杜子春が母親への愛情を捨てられなかったことをむしろ喜ぶ
作品の価値観 人間的な情愛は、仙人になるための修行を妨げるものとして描かれる 人間的な愛情こそ、人間が人間らしく生きるために大切なものとして描かれる
結末の意味 仙人になれなかった杜子春の「限界」が示される 「仙人になること」より「人間として生きること」を選ぶという方向へ物語が反転する

杜子春が試練に失敗した理由

「何が起こっても声を出してはいけない」という試練に、杜子春は耐えられず声を出してしまうのだが、杜子春が失敗した理由は、二つの作品で大きく異なっていた。

唐代伝奇『杜子春伝』
杜子春は、息子への愛情によって沈黙を破る。つまり、「人間としての愛」が、仙人になるための修行を破ってしまったのだ。

芥川龍之介『杜子春』
一方、芥川龍之介『杜子春』では、息子に対する母親の深い愛情が示されている。杜子春は、母親の愛情に打たれたことで、人間らしさを回復したのである。

仙人の反応

唐代伝奇『杜子春伝』
原典において、道士は杜子春の失敗を惜しんでいる。なぜなら、家族への愛に縛られていては、到底、仙人になることはできないからだ。仙人は人間を超越した存在だった。

芥川龍之介『杜子春』
一方、芥川龍之介『杜子春』において仙人は、杜子春の失敗を褒めたたえている。「人間に絶望した男が、人間らしさに触れることで、人間らしさを取り戻していく」という構図は、仙人よりも人間に対する信頼を示している。

もしかすると、作者・芥川龍之介は、本作『杜子春』を書くことによって、自ら「人間に対する信頼」を探していたのかもしれない。

まとめ│生きづらい世の中を生きる

杜子春が生きた世界が「生きづらい世の中」だったように、僕たちもまた「生きづらい世の中」を生きている。

人間に対する絶望と、人間らしさの回復。

案外、それは、今を生きる僕たちの姿だったのではないだろうか。

子どもの頃に読んだ小説も、大人になって読み返すと、読み方がまったく変わってしまうことがある。

『杜子春』は、そんな文学の可能性を示してくれる短編小説だった。

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