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映画『バブルへGO!!』でゴージャズなバブル文化とへそ出しルックの平成レトロを同時に楽しもう

映画『バブルへGO!!』でゴージャズなバブル文化とへそ出しルックの平成レトロを同時に楽しもう

泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」読了。

本作「バブルへGO!!」は、2007年(平成19年)1月に刊行されたノベライズ小説である。

広末涼子主演の映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』の公開は、2007年(平成19年)2月10日。

阿部寛や薬師丸ひろ子などが出演していた。

バブル景気を支えた超低金利政策

バブル時代とは何だったのか?ということを知りたい人は、本作『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』を読むといい。

このノベライズ小説には、バブル経済の仕組みと、バブル文化の実際について、詳しく紹介されている。

そもそも、バブル景気の本質は、多額の借金を促す超低金利政策である(中曾根康弘総理大臣、宮澤喜一大蔵大臣のもと、戦後最低の2.5%まで引き下げられた)。

その結果、企業や個人は、銀行から金を借りやすくなり、市場で活発な投資が行われ、景気は上向いた。しかし、この超低金利政策が二年三ヶ月も続けられたことによって、市場には金が溢れ、金余りの状態を引き起こした。余った金で、土地や株、高価な美術品が買われ、それらの株価が急上昇。実態の経済成長以上に資産価値が上がるという、いわゆる、狂乱のバブル景気を生んだのである。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

バブル景気は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの4年3か月に渡って続いたが、政府(大蔵省)の発出した一通の通達によって崩壊を迎えた。

一九九〇年三月三十日の記者会見において、ある政策を政府は発表した。大蔵省。マイクの前に立ったのは、当時の金融局長、芹沢良道だった。「ええ、本日三月三十日をもって、不動産の投機を目的とした銀行への取引融資を規制いたします。この規制によりまして、地価は下がり、手軽にマイホームを建てられることになるでしょう」(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

実際の通達(『土地関連融資の抑制について』)は、海部俊樹総理大臣・橋本龍太郎大蔵大臣のもと、1990年(平成2年)3月27日付けで発出されているが、この「総量規制」によって、銀行の融資取引に急激なブレーキがかかり(いわゆる貸し渋り)、バブル経済の破綻へと発展していった。

本作『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』で、バブル景気の崩壊を食い止めるため、タイムマシンで1990年(平成2年)へと戻り、政府の「総量規制」政策を中止させる、ということが、ストーリー上の大きな軸となっている。

ドラム式洗濯機型タイムマシンを発明したのは、日立製作所家電研究所の研究員である田中真理子(薬師丸ひろ子)で、バブル崩壊阻止計画の中心にいるのは、財務官僚・下川路功(阿部寛)である。

2007年(平成19年)3月、真理子は、東京大学時代の元カレ・下川路の依頼を受けて、大蔵省の「総量規制」を中止すべく、17年前の1990年(平成2年)へとタイムスリップするが、その後、行方不明となってしまう。

「真理子はバブル崩壊を止めに行ったんだ。一九九〇年三月三十日に行われた不動産取引融資規制の発表を止めるためにね」下川路が言った。「今のこの国の危機的状況を打破するためには、十七年前に戻って、バブルの崩壊を食い止めなければならない。あのバブルを崩壊させた、不動産取引融資規制の発表を阻止しなければならないんだ」(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

下川路は、真理子の娘・真弓(広末涼子)を口説いて、真弓を1990年(平成2年)へと送り込む。

この作品は、2007年(平成19年)のキャバクラ嬢・真弓の視点から描かれた、バブル時代の物語である。

2007年(平成19年)は、戦後最長の好景気と言われた「いざなみ景気」の真っただ中にあったが、一般市民の感覚としては、高度経済成長期やバブル景気には、到底及ぶべきもないもので、与謝野馨経済財政担当大臣は「かげろう景気」と揶揄している。

見かけ倒しの「いざなみ景気」が、庶民の生活を変えた「バブル景気」への憧憬を呼び起こし、バブル復活を夢見る映画の制作へとつながっていったことは間違いない(いざなみ景気は「リーマン・ショック」まで続いた)。

その「2007年」からさえ、今では17年が過ぎてしまったけれども。

バブル時代と平成レトロとが共演している

『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』映画パンフレット『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』映画パンフレット

本作『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』の見所は、とにかく、バブル文化の再現にある。

この頃の宮崎もまた、秘書の高橋同様、肩パッドの入ったスーツに身を固め、太眉をきっちり書き込んで、ソバージュの前髪だけスプレーでカチカチに立たせていた。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

獣のような財務官僚(下川路)のオンナたち(金融局長秘書の高橋裕子や、女性記者・宮崎薫)は、いずれもワンレン・ボディコンのイケイケスタイルで、平成キャバ嬢である真弓を唖然とさせる。

きらびやかで、派手で、騒々しいほどに元気な夜……。路上には人が溢れ、車やタクシーが列をなしている。2シーターのスポーツカーやBMWが我が物顔に路駐している。高橋裕子や宮崎薫そっくりのワンレン・ボディコンファッションの女性達が平然と通りを横切り、安っぽいSF映画に出てきそうなデザインの制服を着た男達が、チラシを配りながら、女性に声を掛けている。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

当時の女性ファッションのロールモデルは、浅野ゆう子と浅野温子の「ダブル浅野」で、W浅野が共演したテレビドラマ『抱きしめたい!』(1988)は、トレンディドラマの名作として、今に語り継がれている(主題歌は、カルロス・トシキ&オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」だった)。

「眉毛、太っ!」と、真弓は宮崎の太い眉毛を指さした。「はっ?」「眉濃いし、服ピッタピタだし、濃い目のパンストって、ありえない!」「これはイタリア製よ! 一万二〇〇〇円もするんだから」(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

バブル時代は、とにかく、夜が元気な時代だったらしい。

働き方改革どころか、ビジネスマンたち自ら「♪24時間タタカエマスカ~」と歌っていた時代だったのだ(若者たちは、仕事のできるヤンエグ=ヤング・エグゼクティブに憧れた)。

ディスコのお立ち台では、まだ無名時代だった飯島愛と出会う。

「もしかして、飯島愛?」お立ち台で踊り狂っていたのは、飯島愛だった。「誰?」を、気だるいトーンで飯島愛は真弓に目を向けた。「あ、もう、本書いてる? 書いたらすっごい売れるから」(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

飯島愛『プラトニック・セックス』の発売は、2000年(平成12年)10月のこと。

お立ち台で有名な「ジュリアナ東京」は、バブル崩壊後の1991年(平成3年)5月オープンだが、80年代後半には「CIRCUS」「シパンゴ」「JAIL」「エリア」など、六本木スクエアビルのディスコに人気が集まった(「マハラジャ」は麻布十番、「M─カルロ」「シック」は銀座、「GOLD」は芝浦の人気でディスコだった)。

そして二人は、フロア奥のVIPルームに入った。VIPルームの中は、嘘みたいに静かで、その部屋にいる若い男女はなぜか偉ぶって座っていた。「これが昔のディスコ!」真弓は興奮を隠せなかった。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

テレビ局では、プロデューサーに叱られている飯島直子を発見する。

「諦めないで頑張って! あなた、缶コーヒーのCMで絶対くるから!」と、真弓は唐突に励ました。飯島直子がぽかんとした顔で突っ立っていると、下川路が割って入って、「ああ、すいません」と、真弓の手を引いた。「あと、夏っぽい男の人に気をつけて」と、真弓は付け加えた。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

飯島直子が「癒し系女優」としてブレイクするのは、1994年(平成6年)の「ジョージア」のCMから(「言っちゃえよ! ガツーンと言っちゃえよ! ガッツーン!とは言えないか…。ま、ジョージアでひと休み」)。

ディスコで出会ったラモスから、真弓は、ティファニーのオープンハートをもらう。

ラモスの指先から、たらんとぶら下がったのは、ティファニーのオープンハートのネックレスだった。そして、ラモスは見ず知らずの真弓の首に、そのティファニーを巻いた。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

1989年(平成元年)のクリスマスシーズン、銀座三越のティファニーには、人気のオープンハートを求める男性客が殺到。

クリスマス・イブには、朝から長蛇の行列が発生し、売り切れでオープンハートを買えなかった客のために、ティファニーでは「売り切れ証明書」を発行したという。

たったひと晩経験しただけで、主人公(真弓)は、豪華絢爛なバブル時代に魅了される。

夜の海に、花火が打ちあがった。真弓は、夜空に向かって、グラスをかざした。グラスの中で弾ける泡に、花火の光が溶け込んでいった。「バブルって最高!」真弓は、花火散る夜空に向かって両手を広げて叫んだ。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

しかし、大蔵省の「総量規制」を阻止して、2007年(平成19年)へと帰るとき、真弓は、ティファニーのオープンハートを、広告モデルの等身パネルの首にかける(「やっぱりこれは、この時代がお似合い」)。

真理子はそんな真弓を見て、不思議そうな顔をした。「お金が溢れてて、みんな贅沢して、バブルって最高だけど、……あたしには、家族がいればいい……」真弓はそう母に言った。(泡江剛「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」)

結局、バブル景気とは、真夏の夜の夢だったのだ(ユーミンの「真夏の夜の夢」は、バブル崩壊後の1993年発売)。

ひと夏の夢だからこそ、懐かしく、楽しかった時代。

バブル時代が復活することは、おそらくないだろうけれど、夢のような思い出は、永遠に残り続ける。

本作『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』は、夢のようなバブル時代を過ごした大人たちの思い出を映像化した作品だった。

就職氷河期を経て、日本は、スローライフからミニマリストの時代へと移り変わっていく。

「狂乱」とさえ呼ばれるバブル時代だったけれど、この物語には、ひとつの時代を生きているという人々のエネルギーが溢れている。

過ぎた時代という意味では、広末涼子がキャバ嬢を演じた2007年(平成19年)さえ、既に「平成レトロ」と呼ばれる現代だ(「ヤバい!」とか「ありえなくない?」とか「倖田來未」とか「へそ出しルック」とか)。

バブル時代と平成レトロを比較しながら、両方を楽しむことができるという意味で、『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』は、お得な映画だったのかもしれない。

書名:バブルへGO!! タイムマシンはドラム式
著者:泡江剛
発行:2007/01/25
出版社:角川文庫

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。