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フィッツジェラルド「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」夢と冒険の青春ファンタジー

フィッツジェラルド「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」あらすじと感想と考察

F・スコット・フィッツジェラルド「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」読了。

本作「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」は、1922年(大正11年)『スマート・セット』に発表された短編小説である。

原題は「The Diamond as Big as the Ritz」。

この年、著者は26歳だった。

作品集では、1922年(大正11年)に刊行された『ジャズ・エイジの物語(Tales of the Jazz Age)』に収録されている。

なお、村上春樹の訳では「リッツくらい大きなダイアモンド」となっている(『冬の夢』所収)。

2019年(令和元年)の宝塚宙組公演『リッツ・ホテルくらいに大きなダイヤモンド』の原作小説でもある。

少年の日の夢から覚めた若者たちが現実と向き合う成長ストーリー

本作「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」は、ダイアモンドの持ち主であるワシントン家の側から見ると、栄光と破滅の物語である。

しかし、この謎の黄金郷を訪ねた主人公<ジョン・T・アンガー>の側から読むと、この物語は、夢とスリルに満ちた冒険ファンタジーということになる。

少なくとも、僕はこの小説を、夏休みものの少年ファンタジーとして、非常に楽しく読むことができた。

なにしろ、主人公のジョンが、学校の友人<パーシー・ワシントン>に誘われたところは、地図にも載っていない秘境の地である。

しかも、パーシーの実家ワシントン家は、リッツ・ホテルくらいに大きいダイアモンドの山の上に建っているのだ。

「そんなの、なんでもないさ」パーシーは身をかがめて、声を落とし、ささやくように言った。「そんなの、ぜんぜんなんでもないよ。うちのおやじはリッツ・カールトン・ホテルよりももっと大きいダイアモンドを持ってるんだぜ」(F・スコット・フィッツジェラルド「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」渥美昭夫・訳)

ワシントン家の豪邸で、ジョンは夢のように贅沢な暮らしをし、おまけに、パーシーの妹である美少女<キスミン>と激しい恋に落ちてしまう。

しかも、キスミンが打ち明けたところによると、ワシントン家は、このダイアモンドの秘密を守るために、この地を訪れた客を生かして帰すことはないのだという。

ジョンはキスミンを連れて、この秘境から逃げ出すことを決意するのだが、プロットからディテールに至るまで、これはもはや児童文学ファンタジー小説である。

どうして、この作品が、岩波少年文庫に入っていないのか不思議なくらいだ。

宝塚では上演されているが、ジブリや新海誠のアニメ映画になっても、全然おかしくない内容だろう(ほぼ100年前の空想小説が、ここまでおもしろいとは!)

もちろん、『ギャツビー』の作者フィッツジェラルドの作品であるからして、そこには寓話的要素もしっかりと盛り込まれている。

すべてが終わった後で、ジョンはこんな言葉をつぶやいている。

「本当に夢だったのさ」ジョンは静かに言った。「だれの青春だって、夢なんだよ。化学的狂気の一形態なのさ」(F・スコット・フィッツジェラルド「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」渥美昭夫・訳)

財産を持つことが、必ずも幸せなことではないのだということを、少年たちは学んだ。

この小説は、少年の日の夢から覚めた若者たちが現実と向き合う、成長ストーリーでもあるのだ。

フィッツジェラルドの「もう一つの代表作」

村上春樹の解説によると、この作品は、当初中編小説として書かれたが、掲載誌が見つからないため、短編小説として縮小してしまったという。

短篇集『ジャズ・エイジの物語』収録時に、さらに短くされてしまったので、当初の構想からは、かなりコンパクトな作品になってしまったのだろう。

確かに、この物語には、もっと長いストーリーが似合うし、むしろ長編小説として話を膨らませた方が、より魅力的な作品になるのではないかと思われる。

直接、話の筋には関係のない細部にも工夫が凝らされていて、例えば、パーシーの実家へ向かう途中に通る<フィッシュ村>の設定などは、いかにもファンタジーっぽい。

フィッツジェラルドの作品だけに、物語のテーマは、やはり「富」と「幸福」ということになるのだが、お金持ちが、必ずしも幸せになるわけではないという鉄則は、この青春ファンタジーにおいても、しっかりと踏襲されている。

しかし、本作で強調されているのは、破滅してしまうブラドッグ・ワシントンではなく、すべてを失って一文無しになったところから新しい人生を歩み始めようとするキスミンとジャスミンの姉妹である。

豪邸を逃げ出すとき、キスミンが咄嗟に持ち出した宝石は、本物ではない模造のダイアモンドだった。

「どうもそうらしいわ」彼女は悲しげにそのキラキラ光る石をいじった。「わたし、こっちのほうが好きみたい。ダイアモンドにはちょっと飽きちゃったのね」(F・スコット・フィッツジェラルド「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」渥美昭夫・訳)

本物のダイアモンドではなく、模造ダイアモンドを持ち出し、そのことを受け入れているキスミンには、再生の可能性が感じられる。

そこに読者は、この物語の爽やかな風を感じることができるのだ。

「この世のなかにあるものはダイアモンドだけなのさ。ダイアモンドと、おそらくは幻滅というみじめな贈りものだけなんだ。さてと、ぼくももうその幻滅って奴を経験したんだから、みんなと同じように、忘れることにしよう」(F・スコット・フィッツジェラルド「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」渥美昭夫・訳)

栄光と破滅を眼前にした少年と少女たちは、現実世界へと戻っていく。

久しぶりに楽しい児童文学ファンタジーを読んだような気持ちになった。

ある意味で、フィッツジェラルドの「もう一つの代表作」と言えるのではないだろうか。

作品名:リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド
著者:F・スコット・フィッツジェラルド
訳者:渥美昭夫
書名:ジャズ・エイジの物語(フィッツジェラルド作品集1)
発行:1981/05/10
出版社:荒地出版社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。