田中小実昌「浪曲師朝日丸の話」読了。
本作「浪曲師朝日丸の話」は、1971年(昭和46年)6月の『小説現代』に発表された短編小説である。
このとき、著者は46歳だった。
作品集としては、1979年(昭和54年)に泰流社から刊行された『香具師の旅』に収録されている。
なお、本作「浪曲師朝日丸の話」は「ミミのこと」とともに、1979年(昭和54年)、第81回直木賞を受賞している。
無器用な男たちの無器用な生き方
「浪曲師朝日丸の話」は、二人の男の物語である。
物語の語り手である<ぼく>は、戦争中に<朝日丸>と同じ軍隊に属する戦友だった。
無器用な二人は、上官や同僚たちから馬鹿にされる兵隊で、同じような病気に罹って戦列を離れる。
戦後、朝日丸は、特技の浪花節で生計を立てながら、広島の原爆孤児の少女を幾人も引き取っては育てているということだった。
ところが、少女たちが成人すると、朝日丸は彼女らと次々と性的関係を持ち、結局同居する11人の女性に自分の子どもを産ませたのだという。
ぼくがおどろいてると、朝日丸はわらった。「ほんまに、よわっとるんじゃ。あの明子が、うちももう歳じゃけん、子供がほしい言うてせがむんで、タネをつけてやったら、ほかの娘も、みんな、うちも、うちも、言うで、できてしもうてのう。わしゃ、みんな娘のつもりで、嫁さんのつもりはなかったのに──」(田中小実昌「浪曲師朝日丸の話」)
そんな話を<ぼく>は、兄妹同然に育った原爆孤児の<元子>と不倫の情事に耽りながら、彼女から聞かされている。
しかも、朝日丸は、そんな女性たちをストリップ劇場に出して、生活費を稼いでいるらしかった。
この物語は、戦友・朝日丸についての話だが、朝日丸を語りつつ<ぼく>は、実は<ぼく>自身をも同時に語っていることに注意が必要だろう。
元子は、左の腰骨のあたりから、やわらかな下腹のくぼみにそって、ななめにケロイドの跡がある。元子は、小学校にはいった年、広島で原爆にあった。ただ、ぼくには、元子のお腹のケロイドの跡が、ぜんぜん醜いものには見えない。(田中小実昌「浪曲師朝日丸の話」)
だから、この小説はダブル主人公の物語なのだ。
軍隊で似たような境遇にあった二人は、戦後、離れ離れになって、それぞれの道を歩きながらも、どこかで共鳴し合っているように感じられる。
その象徴が、家族同然とも言える原爆孤児の女性と、倫理に反するような肉体関係を有してしまうということだったのではないだろうか。
戦争体験と原爆孤児の運命共同体
この物語で晒されているものは、戦争で歪められた人生でも、広島の原爆孤児の悲劇でもない。
戦争と原爆によって曝け出された人間の生きる力である。
近親相姦というのは、それまでぼくなんかが考えていたのはまるで逆で、衝撃みたいなものがないのが、近親相姦ではないのか。世間的なことをぬきにすれば、せいぜい、うちのお菓子も、よそのお菓子とおなじように甘かった、というぐらいのうしろめたさで……(田中小実昌「浪曲師朝日丸の話」)
原爆孤児を引き取って育てている朝日丸の話は、美談として新聞に採りあげられてもいた。
しかし、その実態は、同居する女たちに次々と子どもを産ませて、ストリッパーとして働かせているという、およそ常識を超えた暮らしぶりである。
規模感は異なるが、かつて原爆孤児となった元子と一緒に、家族同然に暮らしていた<ぼく>が、妻に内緒で元子と寝ている行為も、どこかで朝日丸の生き様とつながっていく。
だから、この小説を読んで最初に注目したことは、<ぼく>と朝日丸との、奇妙な運命共同体のような関係性だった。
戦争体験と原爆孤児は、運命共同体としての二人の関係を、とりわけ強く印象付けるエピソードだったのではないだろうか。
「浪曲師朝日丸の話」は、二人の男たちによる二重奏のような物語だと思った。
人生の中で、二人の悲しみが共鳴し合っている。
作品名:浪曲師朝日丸の話
著者:田中小実昌
書名:香具師の旅
発行:2004/7/20
出版社:河出文庫