今から20年前の2005年(平成17年)。
女子高生の歌うブルーハーツが話題となった。
リンダリンダ、終わらない歌、僕の右手、、、
スクリーンの中で、彼女たちは、ブルーハーツを歌った。
懐メロではない、自分たちの音楽としてのブルーハーツを。
映画の作品タイトルは『リンダ リンダ リンダ』(山下敦弘監督)。
パーランマウムは、高校生活最後の学園祭ステージに立った、フォーピースのガールズバンドだった。
ブルーハーツ「僕の右手」歌詞の意味を読み解く
ザ・ブルーハーツは、1980年代後半、若者たちに絶大な支持を得たパンク・バンドだ(メジャーデビューは1987年)。
パーランマウムのメンバーにとって、ブルーハーツは、自分たちが生まれた時代の音楽と言っていい。
2005年(平成17年)に18歳の彼女たちは、1987年(昭和62年)生まれだという推測が成り立つからだ。
パーランマウムの歌うブルーハーツは、当時の若い人たちにも好意をもって受け入れられた。
20年前の懐メロが、どうして、2005年(平成17年)当時の若い人たちに刺さったのだろうか?
その謎を解く鍵が「僕の右手」という曲にある。
僕の右手を知りませんか?
行方不明になりました
指名手配のモンタージュ
街中に配るよ
今すぐ捜しに行かないと
さあ早く見つけないと
夢に飢えた野良犬
今夜 吠えている
見た事もないような
ギターの弾き方で
聞いた事もないような
歌い方をしたい
だから
僕の右手を知りませんか?
(パーランマウム「僕の右手」)
「僕の右手」は、ザ・ブルーハーツ3枚目のアルバム『TRAIN-TRAIN(トレイン トレイン)』(1988)に収録された曲である。
一般に、この曲は、ハードコアパンクバンド「GHOUL(グール)」のボーカル「MASAMI(マサミ)」をモデルに歌った作品として知られている。
幼少期に右手首から先を欠損したMASAMIは、「片手のパンクス」として、ハードコア界隈でカリスマ的な存在だった(『右手を失くしたカリスマMASAMI伝』という書籍も出版されている)。
MASAMIと交友があった甲本ヒロトは、MASAMIをモデルに「僕の右手」という作品を書いたらしい。
「♪僕の右手を知りませんか?~」で始まるこの曲は、1988年(昭和63年)当時、多くの若者たちに受け容れられた。
カリスマとは言え、決してメジャーとは言えない一人のパンクスを歌っただけの曲に、若者たちが熱狂したのは、この曲が、伝説のパンクスをモチーフとしながら、多くの若者たちが抱える喪失感を歌った作品だったからだ。
「僕の右手」は、失われたアイデンティティの象徴である。
1980年代後半、狂乱のバブル景気の中、若者たちは金に狂った街を生きていた。
金があれば何でもできるという時代、逆説的に言うと、それは、金があってさえ何も満たされないという時代でもあった。
経済力によって約束された「物質的に豊かな社会」は、むしろ、薄っぺらな日本社会の「精神的な貧しさ」を浮き彫りにして見せた。
精神的に貧しい社会の中で、若者たちは、満たされない何かを感じていたのだ。
甲本ヒロトは、満たされない何かを「僕の右手」に投影して歌った。
「♪見た事もないようなギターの弾き方で、聞いた事もないような歌い方をしたい~」というフレーズには、新しいことへのチャレンジ精神に飢えた若者たちの焦りが含まれている。
何か新しいことに挑戦したいのだけれど、自分のやりたいことが見つからない。
世の中は金で溢れていて、就職先に困ることはないけれど、それは本当に自分たちの望んだ世の中だったのだろうか。
自分たちの求めていたのは、このように金に狂った社会だったのだろうか。
経済的に豊かなバブル社会と一個人として持つアイデンティティとの落差に、多くの若者たちが違和感を抱き、将来を見失っていた(なにしろ、価値観が大きく転換した時代だった)。
だからこそ、彼らは「僕の右手を知りませんか?」と叫んだのだ(自分自身の言葉として)。
ブルーハーツは、恵まれた時代に、精神的な貧しさを歌ったロックバンドである。
彼らは、それ(精神的な貧しさ)を「ハングリー」と呼んだ。
金余りと飽食の時代だからこそ、彼らの歌うハングリー精神が輝いて見えたということはあったかもしれない。
多くの若者たちが、ブルーハーツを聴いて「自分のための歌だ」と信じた。
バブルの時代、多くの若者たちが、やはり、本当の自分を探し続けていたのである。
そして、20年後の2005年(平成17年)、女子高生バンド(パーランマウム)が登場する。
「僕の右手」が、再び、脚光を浴びた。
氷河期世代も「僕の右手」を探し続けていた
20年の間に、時代は大きく変わっていた。
狂乱のバブル景気は1990年(平成2年)に崩壊、一転して日本経済は「失われた90年代」へと突入する。
1990年代から2000年代にかけて「就職氷河期」の時代が続き、若者たちは「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」とさえ呼ばれた。
パーランマウムは、氷河期の時代を生きてきた少女たちによって結成されたロックバンドである。
夢も希望もない時代を生きるパーランマウムは、彼女たち自身の歌として「僕の右手」を歌った。
彼女たちも、やはり、「僕の右手」を探し続けていたのだ。
人間はみんな弱いけど
夢は必ずかなうんだ
瞳の奥に眠りかけた
くじけない心
いまにも目からこぼれそうな
涙の理由が言えません
今日も明日もあさっても
何かを捜すでしょう
見た事もないような
マイクロフォンの握り方で
聞いた事もないような
歌い方するよ
だから
僕の右手を知りませんか?
(パーランマウム「僕の右手」)
失われた時代、もしかすると「僕の右手」は、バブル時代以上にリアリティをもって受け容れられたのではないだろうか。
なにしろ、「僕の右手」どころか、「僕の存在」そのものが失われかねないほど、それは生きることの難しい時代だったからだ(「年収300万円時代」が流行語となるのは2003年のこと)。
多くの若者たちが、物質的な豊かささえ保障されない中で、精神的な渇きに喘いでいた。
アイデンティティ・クライシス。
失われた「僕の右手」を探し求めるパーランマウムの歌は、失われた時代を生きてきた若者たちの心に強く刺さった。
映画『リンダ リンダ リンダ』を支えるテーマも、ここにある。
韓国からの留学生「ソンさん」を演じたボーカリストは「ペ・ドゥナ」。
韓国からの留学生。制服のスカートが一番長い。話を理解してなくても、わりと適当に返事する癖あり。一人カラオケではハングルバージョンの「CAN YOU CELEBRATE?」を熱唱。他人の恋愛話が好き。(映画『リンダ リンダ リンダ』オリジナル・サウンドトラック解説)
ソンさんの舌足らずなブルーハーツは、歌詞の持つエネルギーを、ほぼストレートに伝えてくれる。
気の強いギターリスト「立花恵」は「香椎由宇」が演じた。
キーボード担当だったが、今回は半ば意地でギターに。年上のバンドマンとつきあっていたことがあり、恋愛経験豊富に見えるが、実はそれほどでもない。一緒にバンドを始めた凛子とは近親憎悪の仲。(映画『リンダ リンダ リンダ』オリジナル・サウンドトラック解説)
4人の中で最も音楽に詳しいベーシスト「白河望」は「関根史織」。
口数は少ないが、一言ひとことが妙に鋭い。滅多にはしゃいだりしないが、たまに熱いセリフを吐いて周りをギョッとさせる。2DKの団地で家族5人暮らしで家事担当。(映画『リンダ リンダ リンダ』オリジナル・サウンドトラック解説)
個性的なメンバーをまとめるのは、ドラムスの「山田響子」だ(前田亜季が演じている)。
いつもニコニコ、交友範囲が広く、仲間のまとめ役。学園生活をめいっぱいエンジョイしたいタイプ。同じクラスの一也に片思い中。ちょっと怪しげな兄が一人のごくごく普通の家庭に育つ。山田という苗字にコンプレックスあり(なんだか田舎くさいから)。(映画『リンダ リンダ リンダ』オリジナル・サウンドトラック解説)
撮影に使用された学校は、群馬県前橋市の前橋工業高校。
バンド名の「パーランマウム」は、韓国語で「青い心(ブルーハーツ)」を意味していた。
「空腹と俺」は、現代の「僕の右手」だ
映画『リンダ リンダ リンダ』の上映から20年後となる2025年(令和7年)。
元ブルーハーツの甲本ヒロトは、ザ・クロマニヨンズとして、映画『劇映画 孤独のグルメ』の主題歌を歌った。
主人公(井之頭五郎)の「腹が、減った、、、」「もう、腹が、ペコちゃんだ、、、」という気持ちを言葉にした主題歌「空腹と俺」は、満たされない気持ちを歌った作品でもある。
もちろん、貧乏でね、お腹が空いたのもハングリーですよ。それはもちろんそう。でも、それ以外のハングリーもあるじゃない。それは、その、例えば、ロックンロールやってます、ハングリー精神とか言って、エレキギターぶら下げててさ、金持ちじゃん。
エレキギター持ってる、、、地球儀持ってさ。この地球上でエレキギター買えるやつなんてほんと、一握りですよ。本当に大変なんだから、いろんなところで。そんな恵まれた連中がさ、「ハングリー」って、ふざけんなですよ。
だけど、そうじゃないんだって。ご飯食べれても、着るものあっても、家があっても、なんか足りねえんだよ。その、、、飢餓感? それがね、ロックンロールのハングリーだと思う。(『劇映画 孤独のグルメ』松重豊×甲本ヒロト スペシャル対談)
「なんか足りねえんだよ」という甲本ヒロトの言葉は、金余りと飽食のバブル時代に「♪僕の右手を知りませんか~」と歌った、ブルーハーツを思い出させる。
つまり、「なんか足りねえんだよ」こそが、甲本ヒロト永遠のテーマだったということなのだろう。
そして、「なんか足りねえんだよ」に共感する人々は、いつの時代にも生きていて、きっと、自分たちだけの「僕の右手」を探し続けていたのだ。
映画『リンダ リンダ リンダ』は、大人になっても共感することのできる青春映画である。
なぜなら、僕たちは今も、自分たちだけの「僕の右手」を探し続けているからだ。
「片手のパンクス」は、甲本ヒロトの歌によって、多くの人々に歌い継がれることになった。
彼が探し続けていたものは、もしかすると、僕たちが探し続けているものだったのかもしれない。