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庄野至「真夜中の祝宴」兄の庄野潤三が芥川賞を受賞した夜のこと

庄野至「真夜中の祝宴」あらすじと感想と考察

庄野潤三が芥川賞を受賞した夜のことを書いたエッセイがある。

庄野さんの実弟・庄野至の「真夜中の祝宴」が、それだ。

その電話は、「プールサイド小景」が第三十二回芥川賞に決まったことを知らせる電話だった

私の妻が出たらしい。電話の男は、自分は東京の出版社の者ですが、と言ってから、「庄野潤三さんは、おられますか」と訊ねた。妻は居間でお茶を飲んでいた兄英二に電話に出てもらった。その電話は、潤三が「群像」に発表した「プールサイド小景」が今夜の選考委員会で第三十二回芥川賞に決まったことを知らせる電話だった。(庄野至「真夜中の祝宴」)

庄野至は、庄野兄弟の末の弟である。

昭和30年当時、庄野潤三は既に東京に移り住んでいたが、危篤になった母を見舞いに、ちょうど大阪を訪れているときだった。

母の病状が安定したので、潤三の妻と子ども2人は、先に東京へ帰ることとなり、潤三と至の兄弟は、22時発の急行銀河に乗る3人を、大阪駅まで見送りに行ったという。

列車を見送った後、潤三が「少し、飲みに行かないか」と、弟の至を誘った。

帝塚山の実家に、東京の出版社から電話がかかってきたのは、そんな夜のことだった。

潤三は、私に言った。「『プールサイド小景』が、芥川賞に決まった」

受話器をとった潤三が一瞬、厳しい顔になった。そして、「ありがとう。ありがとう」と繰り返して言ってから、笑顔になって、「イタちゃんと、ここでもう一杯飲んでから帰ります」と言って受話器を置いた。(略)潤三は止まり木に座って、ひと息ついてから、私に言った。「『プールサイド小景』が、芥川賞に決まった」潤三は(うーん)と唸ってから、しばらく宙を見つめていた。(庄野至「真夜中の祝宴」)

その夜、二人の兄弟は、大阪梅田の「トリスバア」のカウンターにいた。

昭和25,6年頃から「安くて、うまいトリスウイスキー」というキャッチフレーズで誕生したトリスバアは、安心して入れる洒落たバアということで、若いサラリーマンにも人気があったらしい。

その夜のトリスバアは、客の一人か二人はいたかもしれないが、静かな店内で、2人の兄弟は飲んでいたという。

2人が立ち寄りそうな店を、至の妻が見当をつけて、それで電話を入れてみたものらしかった。

続いて、東京の新聞社からトリスバアに電話が入り、カウンター席の潤三は、いつも以上にゆっくりとした口調で、電話に応対した。

わがことのように嬉しい顔をしている英二が、「潤ちゃん、芥川賞おめでとう」と大きな声で、乾杯の音頭をとった

「母さん、やっと芥川賞をもらったよ」潤三は枕元で言ったが、母は目覚めなかった。今度は仏壇の前に座って、父の写真にむかって潤三は、小声でモグモグと何かを言っている。英二が待ちきれずに、「潤ちゃん、早く乾杯をしたいから」とせかして、やっと食事の部屋に皆が集まった。(略)英二が、潤三の大きな杯に酒を注いだ。そして、わがことのように嬉しい顔をしている英二が、「潤ちゃん、芥川賞おめでとう」と大きな声で、乾杯の音頭をとった。(庄野至「真夜中の祝宴」)

ささやかな祝宴が始まったのは、深夜の0時頃だった。

英二夫妻、長兄鴎一の嫁・里子、満州から引き揚げてきた姉の滋子、至夫妻、そして、お手伝いのカズさん。

戦後間もなく長男の鷗一が亡くなり、2年後に父が亡くなった。

暗い空気が漂っていた一家に、久しぶりに賑やかな時間が戻った夜だった。

翌朝早く、潤三は二日酔いのままで、東京へ帰って行ったという。

書名:三角屋根の古い家
著者:庄野至
発行:2008/12/19
出版社:編集工房ノア

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。