小沼丹『ミス・ダニエルズの追想』は「生誕百年記念(初版1000部限定)」として、2018年に幻戯書房から刊行されたエッセイ集である。
小沼文学の根幹│懐かしい仲間たちへの追悼
生前に小沼丹が出したエッセイ集は『小さな手袋』と『珈琲挽き』の2冊で、作者の死後1998年に『福寿草』が出版された。
それから10年が経ち、幻戯書房から刊行された2冊のエッセイ集が『井伏さんの将棋』と本作『ミス・ダニエルズの追想』である。
つまり、生誕100年記念の2冊には、作者本人のチョイスに入らず、庄野潤三らの選による『福寿草』にも未収録だった随筆が、ようやく単行本化されたということになる。
よほど出来の悪い低レベルの作品ばかりが収録されていると思うかもしれないが、決してそんなわけではない。
今回、改めて『ミス・ダニエルズの追想』を読み返してみて、やはり、小沼丹のエッセイはおもしろいと思った。
小沼丹のエッセイは痛烈な社会風刺でもなければ、美味しいお店のグルメガイドでもない。
そこにあるのは、ひたすらに作家本人の追憶である。
例えば、表題作「ミス・ダニエルズの追想」では、「中学校の会話の教師」である「ミス・ダニエルズ」の思い出が綴られている。
僕は今度の戦争で親しい友人を幾人か失った。それらの「なつかしい旧い顔」に交ってミス・ダニエルズの顔も僕の脳裡に浮かんでくる。(小沼丹「ミス・ダニエルズの追想」)
「なつかしい旧い顔」は、チャールズ・ラムの「古なじみの顔」にインスパイアされた言葉だろう。
どこへ行ってしまったのだ。あの古なじみの顔は。
遊び友達があった。仲間がいた。
子供の頃の話だ。楽しい学校の日々だった。
みんな、みんな、いなくなった。古なじみの顔が。
(チャールズ・ラム「古なじみの顔」福原麟太郎・訳)
「みんな、みんな、いなくなった。古なじみの顔が。」というラムの言葉は、小沼文学に通底する主題だ。
小説だけでなく、随筆においても、小沼丹は「なつかしい旧い顔」を描き続けていたのである。
そういう意味で「二人の友」も、いかにも小沼丹らしい作品となっている。
大学生のころ、友人に伊東と云ふのがゐた。石川と云ふ男もゐた。僕が本腰を入れてお酒を飲むやうになったのは、思ふにこの二人の悪友の影響である。(小沼丹「二人の友」)
伊東と石川の思い出は、小説であれ随筆であれ、何度となく小沼丹の作品の中に登場している。
彼らの思い出は、師・井伏鱒二へと繋がるものでもあった。
大学へ這入つてまもないころ、僕が伊東と二人、阿佐ヶ谷駅南口近くの何とか云ふ店で飲んでゐたら、そこへひよつこり井伏さんが這入つて来られた。(略)──君はお酒飲むのか、と井伏さんは云つた。そいつはいいや。(小沼丹「二人の友」)
小沼丹ほど思い出を大切にした作家は、きっと珍しいに違いない。
「昔の仲間」という作品でも、小沼さんは「なつかしい旧い顔」を描いた。
僕は昭和十七年に早稲田の英文科を卒業した。(略)僕の親しかった友人も三人戦死している。矢島静雄、伊東保次郎、秋山明の三人である。(小沼丹「昔の仲間」)
若くして死ななければならなかった友人たちを弔うように、小沼丹は思い出を書き続けた。
戦後の深大寺は知らないが、戦前の深大寺にはニ、三度行ったことがある。一度は学生のころで、友人の伊東と云ふ男と一緒に行つた。(小沼丹「友の戦死」)
懐かしい仲間たちへの追悼は、小沼文学の根幹を成すものだった。
最初の妻を病気で亡くした後は、そこに愛妻の顔も加わり、鎮魂の小沼文学はいよいよ強固なものとなっていく。
繰り返される弔いは、しかし、作品集として収録されるには十分ではないと判断されたのかもしれない。
単行本化されることもなく、多くの作品が歴史の中へ埋れていった。
「生誕百年記念」で復活したのは、そんな懐かしい小沼文学の断片である。
多くの随筆の中に、単行本化された作品へと通じるエピソードを見つけることができる。
結局のところ、小説と随筆とを重ね合わせて読まなければ、小沼丹の作品を十分に楽しんだということにはならないのかもしれない。
井伏鱒二や庄野潤三との思い出
早稲田大学の英文学者だった小沼丹は、身の回りの人たちを作品に登場させた。
西田君は僕の後輩で同じ学校に勤めてゐる。以前は西武線の沿線に住んでゐたが、感ずるところがあつて現在の場所に家を建てて移つて来た。(小沼丹「男の子と犬」)
現在、西田君の住宅は「小田急線のある駅から歩いて十分ばかりのところ」にある。
大学を辞めていった仲間たちもいた。
中君が大学の先生を辞めて、小鳥屋をやると云ふから吃驚した。(小沼丹「小鳥屋」)
小沼丹は、物語を材料をわざわざ探しに出かけたりしない。
日常生活の中の小さなドラマを物語として語るのが、小沼丹の文学だった。
云はれて気が附いたが燈籠の天辺に木菟が載つてゐるのである。小鳥屋の店には打つてつけの代物だと感心した。(小沼丹「小鳥屋」)
この燈籠がやがて小沼家の庭へやってくることは、短篇小説「木菟燈籠」に書かれているとおりだ。
井伏鱒二との思い出は、小沼丹にとって日常の中の思い出だった。
先日、井伏さんとお酒を飲んでゐたら、井伏さんは甲州の話をされて、その裡にどこだつたか忘れたが、ある所にたいへん良い道標があると云つた。古い石の道しるべで、右何とか左何とかと彫つてあつて、君なんか見たら……、と云ひ掛けて、危い、危いと、と笑はれた。(小沼丹「地蔵さん」)
旅の思い出も、井伏鱒二と多くを共有している。
釣をやる予定のところが、台風の余波で天候が定まらず出かけられない。庄野と吉岡はスケッチ・ブックを出して鉛筆を動かす。尾関は釣の道具を調べる。僕は井伏さんと将棋を指す。(小沼丹「ある日私は」)
谷津の南豆荘へ行ったとき、井伏鱒二のほかに吉岡達夫、庄野潤三、尾関栄(『文學界』編集長)が一緒だった。
白石の小原温泉へ出かけたときの話もある。
白石から這入ったところの小原温泉は、僕には些かなつかしいところである。三四年前の早春、伊馬春部氏を案内役に立て、井伏鱒二先生、横田瑞穂氏、それに僕の同行四人で東北旅行を試み、小原温泉のホテル・鎌倉に泊まつたことがある。(小沼丹「妙な旅」)
随筆集のあちこちに(小沼文学の読者には)懐かしい名前がある。
巻末エッセイとして、大島一彦「或る日の思い出」が収録されているところも、このエッセイ集のポイントだ。
小沼丹のロンドン滞在記『椋鳥日記』のことや、二人で荻窪の寿司屋「ピカ一」へ行ったときの思い出が綴られている。
「さう云へば、このあひだ、井伏先生が見えましたよ」(略)「何ですか、随分と御機嫌がよろしくて、お連れの方が先にお帰りになつても、一人去り、二人去り、近藤勇はただ一人、とか仰有つて、暫くお一人で残つておいででした」(大島一彦「或る日の思い出」)
夜更けの飲み屋に取り残された井伏鱒二が「一人去り、二人去り、近藤勇はただ一人」と呟いたことは広く知られているが、その出典は明らかではない。
或る日何気なくテレヴィジョンを点けると、大分古呆けた時代劇映画をやつてゐた。黒白の画面に絶えず雨が降つてゐるやうな無声映画で、ときどき映像が切れて画面に語りや台詞だけが出る。題名は判らないが、鞍馬天狗が出て来るので暫く観てゐたら、一人の侍が畑中だか土手上だかの一本道を向うへ歩いて行く場面があつて、そのとき、一人去り、二人去り、近藤勇はただ一人、と云ふ語りの文句が画面に出たのである。(大島一彦「或る日の思い出」)
大島一彦にとって「井伏鱒二の思い出」は、そのまま「師・小沼丹の思い出」でもあったことだろう。
文学が文学らしかった最後の時代を、小沼丹は生きた。
その断片は色褪せることなく、今も光り輝いている。

『ミス・ダニエルズの追想』の次に読みたい本
小沼丹『ミス・ダニエルズの追想』は、大人のためのエッセイ集でした。
最後に、心を落ち着けて読みたい大人向けの作品を3冊ご紹介します。
小沼丹│おすすめ名作と読む順番
小沼丹の全著作を考察したマニアックな文学ガイドです。小沼丹の文学世界をもっと知りたい方は、ぜひご覧ください。
▶ 小沼丹 全著作考察ガイド│喪失感の中で生きるための「救い」の文学
井伏鱒二『還暦の鯉』
小沼丹と一緒に東北旅行をしたときのエッセイ「還暦の鯉」が収録されています。小沼さんのエッセイに登場したあの東北旅行を、師である井伏さんの視点から覗き見てみませんか?
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庄野潤三『せきれい』
小沼さんが終生描き続けた『友』のひとりが、彼の最期をどう見届けたのか。その答えがこの本にあります。小沼丹の最も良き理解者は、庄野さんだったのかもしれませんね。
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